倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

3,11「東日本大震災」発生から11年が経過

2022-03-12 | 日記

この日 今年の3月11日は、まさに未曾有の大規模自然災害となった「東日本大震災」発生から、そして その自然災害に伴い発生した(これには〝人災〟も加味されるところですが)「東京電力福島第一原子力発電所事故」の発生から11年が経過した日となりました。

この日は〝鎮魂の日〟となり 各地で多くの方々が、犠牲者を悼(いた)み 被災地・被災者に思いを寄せられたことが伝えられていました。

 

 

 

私たち長野市議会(議員)も、開会中の議会(委員会)の冒頭 黙祷(もくとう)を捧げたところであります。

 

 

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顧(かえり)みれば 11年前の3月11日の午後2時46分、日本列島の東北沖で間組チュード9,0の巨大地震が発生、激しい揺れをもたらすと同時に 東北や関東の沿岸に 高さ10mを超える大津波を発生させました。

 

 

 

その後の 人智を遙かに凌駕(りょうが)した被害の発生については 既にご案内のとおりであります。

 

 

 

警察庁などによると これまでに確認された死者と行方不明者は1万8,423人、さらに被災後の長引く避難生活で体調が悪化して死亡する いわゆる「震災関連死」に認定された人は3,786人に上り 合計すると2万2千人を超えた方々が犠牲になったことが報告されています

また、被災後に未だ避難生活を余儀なくされている人は 3万8,139人を数え、11年経った今でも震災は終わっていないことを実感させられます。

そんな中、宮城・岩手・福島の「災害公営住宅」で、誰にも看取(みと)られずに亡くなる いわゆる「孤立死」の人は、去年1年間で72人もおられたとのこと。

時間経過と共に、被災者の高齢化と孤立化が伸張していることが 併せ伝えられています。

 

 

東日本大震災の被害状況・被害内容は あまりに大きく複雑なものとなり、そのことが 図らずも人口流出を招くこととなってしまいました。

津波や地震で家や家族を失い、また 併せて起きてしまった原発事故のせいで、故郷(自宅)に戻りたくとも立ち入り制限でそれも叶わない方々が。

調査によると、震災と原発事故で大きな被害を受けた 岩手・宮城・福島の3県40自治体のうち、震災前と比べて人口が10%以上減った自治体は 全体の半数以上の28自治体に上(のぼ)っているとのこと。

そんな中、原発事故に伴い 全住民に避難指示が出続けていた福島県双葉町では、今年6月に一部の区域の避難指示が解除される予定で 住民の帰還の開始を目指しています。

が…あれから時間が経ち過ぎているうえに 家や町の劣化が進んだ状況の中、いかほどの住民が再び故郷に足を向けるのか 懐疑的な面は否めないところです。

 

 

 

 

あれから11年…被災地での見守り活動などを行なう各市町村の社会福祉協議会等は 財源や人員が減り、さらにコロナ禍が追い打ちをかけ 相互交流の機会も少なくなっているとのこと。

ある調査によると、去年と今とを比べ 震災を話題にすることについて、約5割の関係者が「減った」と回答しているそうです。

当事者の間でも 震災のことが話題に上らなくなってきている。まさにこれは〝風化〟の傾向を如実に表(あらわ)していると言えるでしょう。

 

時間というものは、ときに無情ともいえるほど 過去の事実を過去のものとして置き去りにし、そしてまた 忘れた頃に同じような災害や事案が発生、人はその都度に その(過去の)事実を呼び起こされるものでありましょう。

例えば 長野市においては、令和元年に「東日本台風」による甚大な被害を被り、また 今後に及んでも「千島海溝」や「日本海溝」などの海溝のひずみにより 死者が10万人から20万人に及ぶという予想がされることにもなっています。

それら さまざまな事象を踏まえ、私たちは いま一度11年前の「あの日」に立ち返り、震災の記録(記憶)を基に、教訓とする機会とすべきことを思いやるところであります。

 

 

 

 

 

 

◆ 長野市コロナ報告

3月11(金)、長野市内で新たなコロナ陽性感染者の発生が報告されています。

 

3/11(金) 長野市におけるコロナ感染症の発生(101例)について [PDFファイル]

                ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/743312.pdf