さき(4日)のブログ記事で触れましたが、ムラ(各地区)にある「神社」に自生する樹(き)・それも〝老巨木(ろうきょぼく)〟とも称(しょう)せられる、樹齢百年もゆうに超える大きく育った(育ち続けている)樹(き)=ご神木が、今や深刻な社会問題になっていること、そして そのことが、先日のHさんのみならず 他地区の人からも告げられたことを受け、改めて掲載(問題提起)させていただくところです。
私の住む地域(川中島町)にも、各地区に多くの神社があります。
その数は、指折り数えただけで10箇所以上に上(のぼ)り、そして現下ではこれが最も重要(問題)なのですが そのいずれもの神社に、大きな〝ご神木〟があるところです。
先日のHさんはじめ 神社を預かる関係者(氏子など)は、これら ご神木が、徐々にではありますが 関係者の手に負えなくなっていることを実感されています。
Hさん(60才代)曰く「オレらがガキの頃は よくこの境内で遊んだもんで、その頃からご神木は隆々と立っていた。あれから何十年…時間ばかりが経過したけど ご神木は成長を続け、幹は上へ上へ 枝葉は横へ横へと伸び続けている。
で 見てのとおり、伸びて(伸び続けて)いる枝葉は もはやオレらの遥(はる)か手の届かない高いところにいる有様だ。
そのうえで、オレら(氏子)が困っているのが、伸び過ぎた枝葉が自重に耐え切れなくなったり強風を受けたりして折れたり、そこまでゆかなくても 日常的に多くの落ち葉が落ちて近所迷惑になっていることが大きく問題視されてるってこと。ついては これらご神木の「剪定(せんてい)」が求められているんだけど、これだけ大きく育っちゃってると (住民の手では)もはや やりようがなくなっちゃってるんだよね。
脚立や高枝切り鋏(ハサミ)なんかで間に合う(届く)ハズもなく、これ片付けるには業者に頼むしかない。
また、秋には大量の落ち葉が舞い落ち それが堰(せき)に積もったり住宅の際(きわ)に掃き溜まったりして、これまた近所迷惑の温床になっているんだ。
これらの対策については、例えば落ち葉掃きなんかは不定期に住民が出張って片付けてるけど これ(巨木を見上げて)については業者に頼むしかない。
ところが だ。問題は費用。
オレの方で知り合いの造園屋に聞いてみたら、これだけの巨木たちを剪定するとなると 高所作業車や大型機械の出動など相当の設備や人工(にんく)が要され、ざっとみても三ケタの費用がかかるようだ。
本来、神社の維持管理は 氏子が負担し合うことは承知しているけど、この神社(上布施神社)の氏子は40数軒しかなく、これ(巨木の剪定)を氏子だけで賄(まかな)うことは とても無理。
んで、ご案内のとおりの(住民の)高齢化と人口減少だ。それでも今までは、氏子の数も多く 若さもあったから神社も守ってこれたけど、氏子自身が年(歳)を重ねて十分な活動もできなくなってきた。
そのうえで、人口も減りつつある中 神社の維持管理を若いモンにどのように頼んでいったらイイか…悩ましいことこのうえないところだよ。
オレら地元のモンとすれば、ただただ伸びてゆくご神木と枝葉を日々眺(なが)めながら、落ち葉掃きなど「できること」をしながら いつか大きな事故なんかが起きなきゃイイがな…と心底思っているところなのさ。」とのことでした。
で、かかるHさんと同義の〝愚痴〟を 域内の他の氏子さんからも聞かされ、どちらの地区(神社)でも「困りごと」として抱えておられることを実感したところです。
ムラの鎮守(神社)にある、伸び続ける巨木の幹と枝葉(落ち葉含む)の問題。これは神社が在する各地区の切実な問題と申せます。
そのうえで これは行政の限界とも言えるのかもしれませんが、行政(政治)は「政教分離」の原則に基づき 寺社仏閣の活動には公金を投入しない(できない)ことになっているのです。
したがって、Hさん(の地区)の切実な訴えがあって それを市行政につなげたとしても、市とすれば直ちに動くことはできないのです。
しかし であるからといって、このままを看過して 落枝や倒木などの被害が出たときはどうなるのか…「政教分離だから仕方がない」で済まされるところではないでしょう。
今回のHさんのお訴えを改めて伺う機会をいただいたことにより、私自身 改めて神社(ご神木)の維持管理について考えさせられることとなりました。
これは私見ですが、例えば今も水路改修などに適用されている「受益者負担」のように ある程度(割合)を神社の管理者(氏子)にご負担いただき、応分を行政負担とするなど何らかの公正(公平)性を担保して 結果、事故の抑止につなげるとか…いずれにしても 全体の課題として捉えるべきことを思ったところでありました。
取りあえず 開会中の12月議会では「環境問題」の視点で、委員会の所管事項で(環境部に)意見具申してまいります。