今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、この週末に 地元住民を対象にした「説明会」が開催された際、それらを通じて、私の下(もと)にも多くの そしてさまざまな反響が寄せられています。
「あんなに大勢の人が集まるとは思わなかった。」
集会に参加したお一人は、会場を埋め尽くした住民の数に驚きを隠せませんでした。
件(くだん)の御仁(ごじん)曰く「この件は マスコミを中心に話題になって、オレ自身は高い関心を寄せていたけれど、地元のモンたちはそれほどでもなく (集会は)せいぜい50人も来ればな、と思っていた。それが…オレも早めに会場に着いたんだが もう受付は長蛇の列じゃん。ビックリさ。」と。
さらに「今までの市(市長)の説明なんかは「遊園地は廃止」一辺倒だった。だからオレは 地元もモンたちは「どうせ廃止だろ…」と諦(あきら)めていたと思ってたんだ。」
「ところが、集会をやってみれば この多人数(おおおにんずう)じゃん。これだけの人が ズク出してわざわざ(会場に)来たということは、地元住民の中での関心の高さを表(あらわ)していたと思うね。」とのことでした。
今回の遊園地問題への関心度は、集会の参加者数によって断定すべきものではありません。
中には(前掲のとおり)「どうせ廃止だから」と言って(会場に)来なかった人がいることも事実でしょうから、市(市長)は「集会に来た人が多かったから」を理由に 今後の判断を決めるのではなく、参加者の発言内容や傾向のようなものを客観的に分析し 然るべき判断に活かすべきと思うところです。
また 集会の後、私の下(もと)に 先日のブログで紹介したお子さんの親御さんから「ウチの子の〝勇気〟を紹介してくれてありがとう」旨のメッセージが届きました。
「ウチの子は「市長さんが来る」と聞いて「じゃあ私、おてがみを書く!」と言ったと思ったら、自分から紙と鉛筆を持ってきて(手紙を)書いていました。普段は 自分から宿題をやることなど無いのに(笑)」
「私は その自発的行動を見て「あぁ、子どもなりに遊園地で遊べないストレスを抱えながら過ごしていたんだなぁと実感させられました。」と、ご自身の子ながら感心した面持(おもも)ちでした。
で、「今回のことは、子どもにとってもイイ経験になりました。子どもだから我慢しなければならないんじゃなくて、子どもでも「言う権利」があること。集会でも「子どもの権利条約」の話しが出されていましたけど、私たち大人も そこに心を配って子どもに接してゆかなければならないと改めて思いました。」
で 最後に「ウチの子、後に報道されたテレビや新聞で「おてがみ」のことが流された(載せられた)こと、その後 クラノさんのブログで紹介されたのを見て、とても喜んでいました。」
「これからも、さまざまな場面での子どもたちの行動を 積極的に紹介してあげてください。」とエールを送っていただきました。
先日も触れましたが、今回の集会での 子どもさんからの「しちょうさんへのおてがみ」は非常に大きなインパクトをもたらすと同時に、それは市(市長)だけでなく 会場にいた私たち大人に対しても、イイ意味での問題提起をしてくれる〝勇気ある行動〟でした。
私自身、あの「おてがみ」が 親に言われたのではなく、自分で一念発起して書いたということに驚かされましたが、さらにその内容…「あそびたくてもあそべないので あそばせてください」とか「市長さんは どうして大人の話ししか聞かないの?」そして「別の場所へ遊びに行くのはあぶない」などと、大人の視点では〝二の次〟にされるような、でも最も大切な課題をズバリと指摘してくれたことに、感心するばかりでありました。
まさにこれが「当事者の生(なま)の声」でありましょう。
「原稿まで用意して集会に臨んだ「勇気ある行動」です。ものすごく褒(ほ)めてあげてください。」と返答したところです。
今回の問題の舞台となった遊園地での 主役はあくまで子ども。私たちは「子どもたちのために何が最善か」の視点、そのうえで公序良俗に基づき議論を交わすべきでありました。
それが 実際には、大人の事情(手続き・メンツ・プライド・保身・つじつま合わせ)に囚(とら)われながら事態が推移してしまった…私たちは そのことに内省しながら今後に臨むべき、との思いを新たにさせてもらったところです。
他方、一連の経過の中で 行政職員に対する同情の声も寄せられていました。
「担当する(担当していた)職員は 住民の苦情やさまざまな事案が発生する中、現行制度や責任の範囲で精一杯に対応してきた。特に 今回の遊園地については、地元の要望で造って 地元の要望で廃止するとの、然るべき行政手続きに則(のっと)って対応したのに、それが「行政が悪い」と言われるのは非常に辛(つら)いと思う。」とのことです。
このことについては、私も 行政職員には同情を禁じ得ないところです。
彼らは〝所管〟という 自分に与えられた守備範囲の中で市民対応に努(務)め、そして 遊園地の廃止についても、ルールの中で手続きを履行しただけなのです。それが、なぜ〝間違っていた〟というように言われなければならないのか…。
行政職員の愚痴(グチ)の声が聞こえてくるようです。
私は、彼らは 決して間違っていたとは思いません。
おそらくは「足りなかった」のではないか、と。
苦情などの問題が発生したとき、即座に対応した。そこまでは良かったのです。
しかし その時点で、区(地元住民)や 他の所管との情報共有を行ない、所管だけの問題では無く〝全体の課題〟として取り組んでいれば。
区長さんなど 区の代表者と手続きを進める際、全体への周知など「周辺への配慮」を行なっていれば。
事態は もっと違ったものになっていたかもしれません。
自分の守備範囲の〝その先〟を見る努力がちょっとだけ足りなかったが故に、こんなことになってしまったとすれば、さらに多様化を増す地域社会においては「今ままでどおりでヨシ」としない〝もう一歩〟を踏み出す感性(もしかしたら勇気)が、行政職員にも求められているのではないかと実感させられました。
また、こんな見解も。
「荻原市長は揺れている。そこに、彼の人間性を見た。大いに結構、揺れてほしい。」というもの(好評価)です。
就任してから僅か1年余、まだまだ手探りの部分もある〝新人市長〟は、さまざまな行政事務(事業)を行なうための情報には「これまでの経過」が欠かせないものです。
それ(経過)を参考に行政を進める中、今回の青木島遊園地廃止問題に関しては 今までとは違った顛末になりつつあります。
(前掲のとおり)行政ルールに則って「廃止」の方向で進んでいた施設が、実際には「存続」を願う住民が少なからずいる事実があったことを知らされた。
で、これが〝従来型の市長〟であれば、いかなる反対意見が出されようとも「既に決まったこと」で押し切るのが常道でありました。出された意見も〝ガス抜き〟で片つけてしまう。
ところが 荻原市長は 集会で出された意見を真摯に受け止めたうえで、(廃止との)既定路線を自ら修正し「最後は自分で決める」と公言するに至っています。
私はそこに、彼の〝人間性〟を見た思いがしました。
前掲の人が言うとおり、大いに揺れ、考え、最後は「ご自身で」決めればいいと思います。
今回の件での 荻原市長の「心の揺れ」に、逆に 彼の可能性のようなものを感じ取ったところでありました。
立派な遊具があるわけじゃない。
見ようによっては「ただの原っぱ」でしかない青木島遊園地ですが、そこには 地元住民の愛着があります。
今回の集会で 奇しくも明らかになったサイレントマジョリティや、遊園地に寄せる地元住民の「思い」などを踏まえ、これから荻原市長が「私の責任で判断する」とした後の英断に、多くの人たちが注目を寄せています。