昨日(3度)よりも暖か(7度)位の朝の気温でした。
風が強くなっていて、先ほど(11時半過ぎです)から雨が降り出した。まぁ‥予報通りっつうかね・・ホントに天気予報もよく当たるようになったなぁと感心することがあるよ(笑)
日中の気温も17度ぐらいになるとか・・・ちょっとぐらいストーブを止めても暫くは我慢が出来る・・・という感じですね。
さてさて、こうして毎日アホなことをほざいてても時間は過ぎますねぇ・・11月も中を過ぎて年賀状なども視野に入れなくては・・つまり、年末に向けての我が家の始末を考える時期になって来たということで・・・ん~・・日本人って、どうしても一年の締めくくりみたいなものを年末に求めてしまうんだわねぇ・・こういうのは年代に応じて変えてもいいんじゃないかと思う~(笑)
でも、世の中の流れは年末年始に向けての動き方だしね・・一人だけフン!と思ってもツマランことなので、あえてしないさ(笑)あ~バカですわな・・・ただ言ってみたかっただけ~(笑)
ほらね、またアホクサイことをほざくワタシなのよ(笑)あしからず~(^_^;)
こちらも そろそろ 朝晩 ストーブが必要になりました
そして 朝から雨も降ってます・・・寒いです
それでも 最高気温は12度になるようなので
雪は無理ですねー
私もこれから 今年来た年賀状と見合わせて
住所録の整理なんかを しようと 思ってます
それに 大掃除?中掃除?小掃除?も
やっぱり 少しはしないと・・(笑)
私の祖母は、小学校を卒業すると同時に、姉と二人、東京に出て、まだ、江戸時代の風習が色濃く残る大きな屋敷で女中奉公。明治が終わり、大正時代が始まる頃ではなかったかと思えます。12歳から、炊事、洗濯、掃除など日常生活の仕事をきっちり仕込まれたのでしょう。その後二人は勉強して、日赤の看護婦になり、姉は荒川区で開業した女医さん。祖母は、婦長になる寸前(祖母の言葉)だったらしいのですが、入院してきた二人の子持ちの男寡の、郷里福井の祖父に見事騙されて、その後の人生を歩むことになりました。
まあ、そんな人生は別にして、明治大正の頃の東京下町の生活ルールをしっかり身につけていたので、年末の障子の張り替えや大掃除、神棚や仏壇、床の間の飾り付けなどには、結構うるさく、かつ、キチンとしていました。もちろん、正月のお雑煮なども、今に思えば関東風でした。
北陸のお天気は、関東の江戸とは大違いです。年末の大掃除、障子の張り替えなどは、あくまで快晴の続く江戸の風習ですから、冷たい水で、今日みたいな大荒れの雨や雪の年末だと、障子洗いや張り替え、家の拭き掃除も大変です。でも、31日の夜、風呂上りには、真新しい下着を用意してくれていましたし、大学生になった頃でも、布団の襟カバーなど、毎週手拭いを取り替え、縫い付けてくれていました。小学校1年生の頃から、毎朝、みんなで使う(居間、食事、寝るところの)部屋の掃除は、私がしていました。やらされていたのでしょうが、あまり、嫌だと思ったことはありません。
今の私は臨機応変、適当なモンですが、一年の締めくくりと年明けに対する、昔の人のケジメに対する思い入れ、情熱には、考えさせられます。真似はできませんけどね。
やはり掃除などは欠かせないかな~(笑)何より毎度楽してサボり気味だしね、反省を込めてやらねば(笑)
予報によれば、そろそろ雪マークも気になり降る所も出て来そうです。急に冷え込んだりしたら要注意ですよね・・お互い年末まで風邪などひかぬように気を付けましょうね。(^_^;)
女中奉公・・・って、ワタシの伯母もそうだったらしいです。
なので、やたら躾には厳しい方でねぇ~・・(笑)
食事時にテーブルに肘をついたりしたらダメとか寄せ箸をするなとか・・時々しか会わないのに伯母は手厳しかった記憶があります(笑)網亡くなってしまってから十年ぐらいも経つかな・・・我が母などは末っ子で親も兄妹も甘かっただろうから、子供のワタシらにも大した躾はしなかったから、その事が伯母には目に付いたのかもねぇ・・ま、母は躾の厳しさはないが、それなりに自由人っぽかったから・・・という感じはしますね。なので、ワタシも気ままに育ち、感情丸投げの母に育てられたっつう・・(笑)
障子の張替とか、畳をおこして大掃除とか・・そういう事にもあまり縁が無かった。どちらかというと、ワタシは祖母の家で暮らしたからそちらの経験の方が生きてる気はします。だから、正月には下着を新しくするなんてのは、ワタシもやって来た癖みたいなもんです(笑)
面白いね、人生はどんな環境で誰と暮らすかで随分と影響を受けるものですね~・・(^_^;)