kyon's日誌

つれづれに・・・

長袖と半袖とオバサン年代

2016年07月05日 | 日記
朝6時過ぎは気温も18度・・・やや肌寒い。9時過ぎにようよう21度になり、段々気温が上がり26度位になろうか・・・という予報。
朝は長袖が離せないうえにまた何かを羽織ったりしてる。

夏でも薄手の七分袖や長袖を着るタイプだが・・・どうも半袖日が少ない。
それでも暑くなると今度は半袖に着替えるのだが、それも夕方になってくるとまた微妙に肌寒い。また長袖に着替えたりする・・・面倒やなぁ・・
ワタシの体感だけどねぇ・・・出掛ける時には少し悩む(笑)
何を着ようか・・・これ、結構苦痛~。

でも、街に出ると、半袖やタンクトップ、ミニスカートにホットパンツ・・・(え?言い方が古い?まぁまぁ・・(笑))を着ている若者が居たりする・・・信号待ちやすれ違う時に何気に見てるだけで寒い・・・気がする。
ねね、体を冷やし過ぎじゃないか?・・・と、オバサン年代のワタシは眉を顰めるのである。
う~ん・・・思うに、熱カロリーが高いんだろうなぁ・・そうだね、若いということはそんなもんなんだったっけ?(^^ゞ
そうそう、そう言えば40年前のワタシもそんな風にオバサン年代に思われていたかもしれない(苦笑)・・・と思えばさ、
自分の中だけで起こっているだろう体の変化と心の変化に『あ~ワタシも年ねぇ~』などと自嘲してしまうのである。
それで気持ちのテンションが落ちる訳ではないのだ。これが自然の理・・・なのかもしれないと納得してしまう。
ん~・・君達にも40年後は来るんだよねぇ・・・そうして今のワタシが感じるようなことをフフッと思わず笑ってしまうのだろうか、或いは羨むのだろうか・・・
そこがその人の生き方に通じていくのだろうなぁ・・・

以前、散歩友と話したことがあった。
80代になって人生を後悔ばかりする人が多いのは何故かしら?と問われた。
ワタシの中では答えは一つ・・・人生を語り合える相手が居なかったからじゃないか?
走っている時は夢中で、自分がこれでいいやと思えばその通りで、時に立ち止まり時に助けを求め、時に悲哀を語り合える、分かち合える相手がいてこその人生じゃないか・・・?
生きる為に一生懸命だったという人生はそれだけで美しいと思うけど、
そこに語り合える友が居る方がもっとふくよかな美しさに繋がる・・・そんな風に思えるさ。
ワタシらはそれが出来る間柄で良かったね・・・などと、オバサン二人は呵々大笑。

オバサン年代とはたいていは勝手な生き物である。
何でも自分に都合よく斟酌できるようになるのだ・・ぷっ。
で、我ながら可笑しくなる。
さて、今日はやっぱり少し薄着の長袖で散歩にしよう。
コメント (4)
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