kyon's日誌

つれづれに・・・

洒落っけの笑い

2014年02月25日 | 日記
ねぇちょいとオマイさんっ!今日もしっかりお稼ぎよ!
江戸の長屋の威勢のいいオカミさんがハリのある声で亭主に言う・・・
へっ、勝手なことを言いやがる・・・なんて亭主はブツブツ言いながらエラそうに、飯~っ!
あ~、この子はもう~~、またオネショをしたねっ!ばか~!・・・寝ぼけマナコで童がウロウロしながら悪気無くうえぇ~んと泣き叫び、背中の子はその泣き声で目を覚まし・・・あ~よしよし・・・なんて・・ってな活気が、
江戸のどこかの長屋生活には溢れていたのかもしれないな・・・と想像すると、
なんでまぁ現代人は辛気臭い青ビョウタンの様な顔で眉間に皺を寄せて生きてるんだろ?・・・と思う。

便利なものは何もない時代だ・・・火をおこし、一つしかない使い込んだ鉄鍋に汁を作り、欠けた椀に盛り付ける。沢庵の一つもありゃ~炊きたて飯は旨くて・・・なんて時代。
井戸端でカミサン連中が、両隣の薄い壁から透けて見える難儀を知らぬ振りにし、よそ様の噂として心配し合い、あ~難儀なことよ、可哀そうだねぇと、自分も貧乏人でありながら、恨みもせずに肩叩き合って笑い飛ばす。
笑い飛ばしてしまおうってぇ気概だけはある。
そうでもしなきゃ生きてる甲斐が無いじゃないかと思っている気持ちは仕舞いこんで。
それでも隣に何かがありゃ~、それはそれは親身に心配し合う。一緒に涙を流す・・・
ぜ~んぶ私の想像・・・(笑)
江戸庶民の生活は貧しいが、何だか心持が豊かだ・・・
そんな気分で落語を聞くと、うほっ・・・ふっ、と笑いがこみ上げる。

名人と言われる噺家はその巧みな話術で聞く人を引き込んでいく。少し離れた自分はまるでその生活全ての絵巻を透明なガラス越しに見せられているような気分になる。透明人間になり、その噺の中の誰かに寄り添って見聞きしている気分になる。

噺家、落語というのは、日本だけの独特な文化かなぁ?
西洋には似たような役割をする道化師がいたけど、道化師には卑屈な笑いがあるように思う。
底抜けに、あけっぴろげにあっはっは!・・と単純に笑える落語という文化は、もしかしたら日本人の気の良さを象徴してるんじゃないかね?
まぁ、私だけが勝手にそう思ってるだけよ、だから身びいきな気持ちが半分以上だ(笑)

元々落語が好きで好きで・・・という訳ではないけれど、
日本語はふくよかで多種多様な感情を引き出す為の優れもんなんだなぁとあらためて思う。
ストレートな言葉は時として人を傷つけ凹ませる・・・

洒落っ気で笑い飛ばし、しぶとくしたたかな生きざまが腹にガッテンと落ちた時の笑いは至福の一寸であるね・・・ほっほっほっ・・・
な~るほど、だわなぁ・・・
我もそう斯くありたいものよ、と笑いがまた腹の中で揺れるんでありんすよ(^^ゞ
コメント (2)
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