kyon's日誌

つれづれに・・・

ドキュメントを見て

2013年07月07日 | 日記
関東地方・・・地方って秋田から見たら日本の中央部も地方~(笑)で梅雨明けか~。
秋田はまだだなぁ・・・カビが生えたくなる気持ちも・・・理解出来るわ・・・って、カビの気持ちになってどうするよ、自分!
なんちゃってさ・・・トホ(汗)

ところで、昨日はHHKのオンデマンドの無料番組を久々に視聴・・・たまにやるんだけどね。
ちょっとショックだったなぁ・・・!
日本に原発が入るまでのスクープドキュメント・・・みたいだったが。
少し頭の中を整理しないと・・・と、メモっておきたい。

私が生まれた翌年にビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ、付近で漁をしていた第五福竜丸が被爆っていうところからの映像だったが、
勿論、その前に日本は広島・長崎の原爆で終戦となり・・・だけど、
ソビエトはアメリカが実験をする前に水爆実験に成功していたんだね・・・

米ソが冷戦時代に突入する前後の時代・・・
実のところ、ちゃんと分かっていなかった事が沢山の資料から明らかにされて・・・日本が燃料不足だった時代に東海村に原発の研究所を作るまでの道のりや政財界の動き・・・
つまりは時代として、世の中がエネルギー確保を切望してた日本。

広島や長崎の事もあるが、第五福竜丸での被爆は日本の世論を大きく揺るがせ、
民主主義が共産主義に転換してしまうほどの反米感情を掻き立てていた・・・
それらの悪いイメージを払拭し、民主化を維持させる為にも、
アメリカは平和利用出来る原発を商用化させたかった・・・
日本もアメリカとの関係を断ち切りたくなかったし、大量のエネルギー確保が必須・・・
そこへもって来て、ソビエトでは商用化される原発が公開され協力国を次々に近隣諸国に広げ・・・
アメリカもそういう手法で近隣諸国に広げ・・・米ソは冷戦時代へ。
ある意味、日本はアジアの拠点として重要な地域だった・・・
中国が共産化していく過程を踏まえ、日本が終戦と共に民主化される事にアメリカは必死だった訳で、共産化されるのを恐れていた訳で。

水爆実験が成功した当初、国際管理をしようというアイゼンハワーの主張があったようだが、それは原発の平和利用とかいった商用化が先行し、一時棚上げになった。
今はそれは国際規約を作り管理されるかに見えてるが、実際は・・・というようなドキュメントだったに記憶してる。

伸びゆく兆しのある時代が、原発を欲して人の思惑で動かされ続けて来た・・・
急ぎ過ぎた時代の進歩が封印出来なかったものに振り回されている。
そして原発が諸悪の根源のように扱われ、実際に自分も確かに怯えている。
しかし、私の生まれる前からこの事実は動いていた・・・その事に衝撃を受けた。

東海村から40年、それから10年を経て原発稼働されたとか。
原発を完全に否定しては今の日本は立ち行かないのも現実だろうと思うし、それに頼り過ぎるのも立ち行かなくなるだろうし。
逃げたり恐れたりばかりはしていられないのも現実となっている。

人の思惑はいかなる不幸も幸福も創り出すのだなぁ・・・
そのことにまた衝撃を受けている。
コメント (2)
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