kyon's日誌

つれづれに・・・

父の存在感

2013年07月24日 | 日記
多分、コンプレックスになっているんじゃないか・・・と認めよう。
私には父が既に居ない。他界した。
父の思い出というものが無いに等しい。
だから、
幼い頃にオートバイの燃料タンクの上に乗せられて本能的に怖いと泣き叫んだ記憶しかない。
それは2、3歳ぐらいで、以後の記憶という記憶をいくら探しても思い出せもしないし、それ以前ともなればもう赤ん坊であるから記憶にも無い無いわ~(笑)

つまり残りの57年間は自分の肉親としての「父」というものに触れる機会も無く、叱られたとか足が臭かったとかの記憶すら皆無だ。
存在を目の前に育ってないから、記憶が無いのも当たり前だけどさ(笑)
んじゃファザコン系かと思われがちだが、それも無いのさ。

父としての存在自体が皆無な環境だったしな、あれこれ・・・もしも父が居たらなどという不便も必要も感じないで居たような気がするん。
欠落してしまった遺伝子?みたいな感覚に近い・・・(尚、分からないか(あはは))
欠落した感覚を持っているから、もしかしたらコンプレックスとして無意識に脳に刻まれているのじゃないかと危惧する訳で、
そうです!それはコンプレックスというものです!と言われたら、
素直に認めるしかないわねぇ~(笑)

その父はどうやら関西方面で暮したらしく、ある日オートバイ事故で亡くなったと知らされたのが保険会社からで、とにかく、え~?父なんて居たっけ?うそ~っ!・・・てなくらいに驚いた。
それほどすっかり記憶の中から抹消されていた。
保険屋さんが順を追って私の兄は既に死亡しているとか妹が居るとか・・・そういう事前に調べた受取順を丁寧に説明するものだから、
はぁ・・・そうなんだぁ~・・・と段々父が居たんだったよなぁ・・なんて、お粗末な自分の記憶を掘り起こされて、これこれこうです・・・と目の前に「父」という古代遺跡でも置かれたような感じだった・・・自分で求めた遺蹟ではないから、今一つピンとは来ないのだったけど、まぁ、それで何となく納得したっけ(笑)

私にとっては父は無いも同然だったから、あまり悲しいとも辛いとも思えない。
何しろ思い出らしきものが無いのだから。

その後、父は内縁の妻をつい十年前に入籍したらしいというのも、保険屋さんから聞かされた。
へぇ~そうだったんか・・・その時も人らしい感情は何も湧かなかったな。

総てが片付くまで1年は掛かったかな・・・結局、10年前に内縁妻から本妻に昇格した妻には連れ子が二人居たらしいが、養子縁組はしてなかったらしいと分かった時、
そう、自分でも不思議な事に、私ははじめて父は父であったのだと腑に落ちた気がした。
けれど、それ以上の感情はなかったけどね・・・

その父が実は母とどんな巡り合せでどんな夫婦生活をしてたかなんてのを、
最近あれこれ母から聞いて、最早私にはあまりに遠過ぎて笑えた。
そう?遊び人の酒飲みの金使いの荒い?・・・ほぉ~~?(笑)
母はだから子供には話したくなかったとか言いながら、
昔の記憶をあれこれ話すん。
子供に話したくなかったのはそういう父のことを打ち明けたら傷つくでしょう?って??
ぷっ!
もう、そういう年代じゃありませんことよ~(笑)
過ぎた事じゃん(笑)あ~たも忘れンさいな。
さて、今日は何を思い出してくれるんだろか?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする