kyon's日誌

つれづれに・・・

本と自分と

2013年04月06日 | 日記
以前、読んだ本が何冊か枕もとの棚に置いてある。
佐野洋子さんの「神も仏もありませぬ」「ふつうがエライ」
で、何故か「心がス~っとなるブッダの言葉」・・・
これ、宗教的というより、生きてく知恵集みたいな話で、誰かにコンコンと諭して欲しいみたいな気分の時にはいいんで(笑)
何故か?
決まってるじゃない、元気な言葉や生きる術を探しているからさ~(笑)

佐野洋子さんのエッセイに出遭うまでは、
佐藤愛子さんのエッセイっぽいのとか、いいんだわ(笑)
スパッとしたい時にはゲラゲラ笑って読んだりしてた。
小気味いい感じが受けちゃうんだよねぇ~自分だけかもしれないけどさ(笑)

そ、それらは全部自分の為だ。
弱くて意気地無しで、落ち込んで中々グレーゾーンから抜け出せない時、
色々な本はちょっと違う視点をくれてね、
自分的には心地好い訳。
だから、読み終えても、適当に時々読みたい場所をパラパラとめくりたい訳(笑)
で、寝る前にひょぃと手にとってページをめくる。

あ~・・・そそ、ここ読んだのに読み返してみるとあらためて”な~るほどなぁ”と。
あれ?こんな感じで書かれてたっけ?そっか~・・・などと。

ふと心が分かり合える瞬間って、文章と同じような環境だったり、情緒レベルが似たような視点で無いとね、頭の中でた~だ通り過ぎてしまってるんだね~(^^ゞ
で、友人と話す・・・色々ね(笑)
本の事とか、今の心の中でくすぶってる事とか、色々~(笑)
傷のなめ合いだろうとなんだろうといいのよ。
そこさえ抜け出せたら次へ向かえるきっかけになるんだから。

聞き上手の友人が何人かいるのは助かる。救われる。
同じ目線で話し合える。
心で思っている事が言葉として声に出される時、
もう一度自分の耳にも入り直すから、
当然、少しは言い方を考えたり気遣ったりする作業が、もう一度自分の中で何気に起こる訳で、
整理された言葉や文章がまた自分の脳に折り畳まれる。
ちょびっとだけ心が整頓される。

そういうのが根暗な感情も少しづつ浄化されていくように感じてる。
本を読んだからとて、総てが分かる訳でも知りうる訳でもない。
自分はタダのオバサンじゃないか。
言葉はタダのキレイ事じゃないか。
でも、いいのだ。
自己中の自分を、癖の付き過ぎた体を少しでも違う目線で考えられたら。
そういう自己中の自分を誰も本気で叱ってくれる年代でもないしな・・・(^_^;)
で、
やっぱり未熟な自分をより強く感じて凹むんだけどね(笑)
ちびっとは足し・・・だ(笑)
ま、それでいいさ。人生は長いしな・・・
死ぬまで掛かってワカリャいいっか~・・・てなもん(笑)
いや、死んでも分からんかな?(^_^;)
コメント (4)
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