老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

鴨川の記憶 ~ 死ぬなら鴨川を眺めながら

2020年05月30日 | 記憶のなかの京都 (昭和40・50年代)

冒頭の二枚の写真は

今日四条大橋から撮ったもの。

下の写真も

実は同じ時刻に撮ったものなのだが、

モノクロにするだけで、なにやら

学生時代の記憶の中の鴨川のように

思えてくるから不思議だ。

( 追記 )

下に掲げた、

「死ぬなら、京都がいちばんいい」

というのは、

小林さんという方が

余生を過ごすために移り住んだ京都での日々の暮らしを綴った

シニア向けの京都移住本だが、

私の周りにも、(学生時代を京都で過ごした

私より少し年上の団塊の世代の方々を中心に)

どうせ死ぬなら京都で死にたい、、、

というご要望はけっこう多い。

そして、驚くのが、

京都で暮らしたことのある方々は

概ね共通して、

さらにスペシフィックに

できることなら鴨川を眺めながら死にたい

と仰ること。

鴨川の記憶、、、、というのは

京都で暮らしてきた者にとって

よほど 特別なもの  らしいのだ。

死ぬなら、京都がいちばんいい
クリエーター情報なし
幻冬舎

以下は、その「死ぬなら、京都がいちばんいい」の内容紹介。

「 命の終わりを意識した時、

いちばん美しく見える都は京都以外に考えられない。

ありそうでなかった。最期の日々を過ごすための、京都ガイド。

著者は2015年7月不治の病の

「間質性肺炎」に冒されていると診断され、

余命は平均で約2年半、

長くもっても約5年、という宣告を受けた。

突然の難病宣告に恐れおののき、死ぬという現実を見つめ、

身辺整理を済ませ、死と向き合い、最期の時を待っていた。

しかし、友人の「最期に京都に住めば」というひょんな一言から、

大好きな都、京都で最期の時を迎えたいと思い立ち、

埼玉の自宅を捨て、京都に引っ越してしまう。

京都で人生の最後にやりたいこと、

食べたいもの、会いたい人、見たいもの。

最期の時のための京都ガイド  」

「 難病で余命わずか。

生まれる場所は選べなくても、死ぬ場所は選べる。

間質性肺炎を患った著者が人生の最期に

京都で見て、食べて、考えたこと。

「銀閣寺」の終焉の美に魅了され、

「哲学の道」の葉桜のはかなさに心打たれる。

人生最期に味わいたい !  究極の古都ガイド。

 

第1章  そうだ、最期は京都に棲もう

 

第2章 「終の棲家」生活の極意

 

第3章  最期の京都がもたらす幸せ

 

第4章  京都の街に溶け込んで生きる

 

第5章  悔いなく人生を全うする智恵

 

著者について

 

1954年生まれ。

埼玉県北浦和の有名会席料理屋「二木屋」の主人。

薪能の開 催でも知られる同店は、

国登録有形文化財にも指定されている。

著述家とし ても活動、絵や書もたしなみ、

郷土玩具研究家、雛人形研究家でもある。

著書に『あの世へ逝く力』(小社)。 」

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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そうなんです (ポテ太)
2020-05-31 10:01:36
鴨川と御所へ気軽に散歩でき、鴨川デルタで一服。できれば哲学の道も近い処で人生を終えられたら申し分ないです。
返信する
Unknown (京カフェ)
2020-05-31 11:19:38
ポテ太 さま

おはようございます。
そうですか、ポテ太さまにとっての京都は
「鴨川(デルタ)」「京都御所」「哲学の道」
でらっしゃいますか !
京都というのは、キーワードの多い街で
人によって京都をありありと想い出す
ワードはそれぞれなんでせう。
たとえば、修学旅行で来た京都が忘れられない、、、
という向きには、「清水寺」や「三年坂」であったり
「京極(のアーケード)」や「日昇旅館」であったりと。
ただ、鴨川から東山連峰や北山を望む眺めは
やはり格別ですよね !

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