朝9時40分、昨日の子ずれの若い父親のミニバンに乗り込んだ。
父親の運転する助手席でぐずる事もなく一人遊びをしていた男の子は、
今日は出勤していない。
昨日車を降りる時に小黄村まで「120元」で行くから携帯に電話してとメモ帳
に携帯番号を書いてくれた。
従江客運站には、電話をするまでもなく彼はすでに来ていた。
従江客運站から小黄までは、朝8時と午後2時半の一日2本だけだがバスは
出ている。
金額は、10元らしいがこの寒い時に運良く帰りのバスに乗り込めるという
保障はなかったのでミニバンを頼んだ。
ここから小黄までは、20キロメートルだ。
途中、従江鼓楼に寄ってもらったので小黄に着いたのは11時頃だった、
ここもまた途中の棚田は見ごたえがある。
くねくねと回りながら車は村を目指す。
日本にも素朴な景色はいくらでもあると思うが、ここで田畑を耕す人は全く
動力に頼っていない。
担ぎ棒で前と後ろに籠をぶら下げている。
その中身は畑で採ってきた野菜だったり、これから田畑に向かう人は
自然の肥料だったりする。
何よりも難儀なことは、それらはすべてが肩に担がれて自宅と田畑を行き
来することだ。
日本でも近くの田畑は、ここの人たちと同じことをやっているはずだが、
日本とは規模の違う棚田の一枚一枚がこの担ぎ棒で行われていると思うと
その気迫に圧倒される。
小黄村もまた草木染めが盛んだ。
山から刈り取って来たばかりの緑の葉っぱを、大きな亀に入れて水を張っ
ている様子があちこちで見られた。
草木染めのことはわからないが、こうやって発酵した汁を煮てその中で
布を何回も潜らせているようだ。
農作業をやる時でさえ民族衣装を着ているので、村には着物のパターンが
あるのかも知れない。着ているものは、先ずは染めるところから始まって
総て手作りだと思う
昨日訪れた芭沙村や、今日の小黄村、そしてもう通り過ぎてしまったが
肇興村は、少数民族の人の暮らしぶりや鼓楼、風雨橋だけでなく草木染め
に興味のある人は立ち寄って見る価値があると思う。
外部からの侵入者に気を止める様子もなく、村の入り口では家を建てる
為の丸木を削る作業に大勢の男衆がいそがしそうに働いていた。
寒かったが、色々な村を回って村の人たちの生活の一部を見れたこては
良かったと思う。
ミニバンは、12時半頃に従江に戻った。
近くの食堂でビール(4元)と炒め物を二品頼み合わせて24元で昼食を
済ませた。
父親の運転する助手席でぐずる事もなく一人遊びをしていた男の子は、
今日は出勤していない。
昨日車を降りる時に小黄村まで「120元」で行くから携帯に電話してとメモ帳
に携帯番号を書いてくれた。
従江客運站には、電話をするまでもなく彼はすでに来ていた。
従江客運站から小黄までは、朝8時と午後2時半の一日2本だけだがバスは
出ている。
金額は、10元らしいがこの寒い時に運良く帰りのバスに乗り込めるという
保障はなかったのでミニバンを頼んだ。
ここから小黄までは、20キロメートルだ。
途中、従江鼓楼に寄ってもらったので小黄に着いたのは11時頃だった、
ここもまた途中の棚田は見ごたえがある。
くねくねと回りながら車は村を目指す。
日本にも素朴な景色はいくらでもあると思うが、ここで田畑を耕す人は全く
動力に頼っていない。
担ぎ棒で前と後ろに籠をぶら下げている。
その中身は畑で採ってきた野菜だったり、これから田畑に向かう人は
自然の肥料だったりする。
何よりも難儀なことは、それらはすべてが肩に担がれて自宅と田畑を行き
来することだ。
日本でも近くの田畑は、ここの人たちと同じことをやっているはずだが、
日本とは規模の違う棚田の一枚一枚がこの担ぎ棒で行われていると思うと
その気迫に圧倒される。
小黄村もまた草木染めが盛んだ。
山から刈り取って来たばかりの緑の葉っぱを、大きな亀に入れて水を張っ
ている様子があちこちで見られた。
草木染めのことはわからないが、こうやって発酵した汁を煮てその中で
布を何回も潜らせているようだ。
農作業をやる時でさえ民族衣装を着ているので、村には着物のパターンが
あるのかも知れない。着ているものは、先ずは染めるところから始まって
総て手作りだと思う
昨日訪れた芭沙村や、今日の小黄村、そしてもう通り過ぎてしまったが
肇興村は、少数民族の人の暮らしぶりや鼓楼、風雨橋だけでなく草木染め
に興味のある人は立ち寄って見る価値があると思う。
外部からの侵入者に気を止める様子もなく、村の入り口では家を建てる
為の丸木を削る作業に大勢の男衆がいそがしそうに働いていた。
寒かったが、色々な村を回って村の人たちの生活の一部を見れたこては
良かったと思う。
ミニバンは、12時半頃に従江に戻った。
近くの食堂でビール(4元)と炒め物を二品頼み合わせて24元で昼食を
済ませた。