森の空想ブログ

栗のイガで「栗餡」の色が染まった [空想の森の草木染め<32>]

*昨日の続き。



森へ行き、子どもたちと栗拾いをした時、イガも一緒に拾って保存しておいた。栗のイガは染料としては一級品である。


煮沸し、煎液を採る。左下の容器の中は胡桃の葉(クルミの葉染めについては明日、報告します)。


「染め」の手順は他の染料とほぼ同じ。
絹のストールとマフラーを入れ、30分ほど煮沸すると薄茶系の黄色味を帯びた色が出た。


「鉄媒染」の予定を変更し、「銅媒染」に。茶系の淡黄色に染まった。


試みにマフラーの片面を鉄媒染で染めてみたら、渋いグレイに染まった(これが当初の予定の色)。古いシーツの鉄媒染は紫がかったグレイ(写真の右下)に。
思いがけない色は、翌朝、乾燥したものをみると、朝日に輝き、金色に光っていた。色の古名では、「櫨染(はじぞめ)」「浅黄(うすき)」「黄唐茶(きがらちゃ)」などの色名があるが、「栗餡の黄色」といったほうが端的である。



[栗の木のある風景]
縄文時代の集落遺跡の周辺から、栗の木が植栽されたと思われる遺構が発見されることがあるという。縄文人たちは、栗の実が、甘く、収穫量が多く、生でも食べられるし、煮ても焼いても美味しく、長期の保存もきくことを良く知り、村の周囲を取り囲むように栗の木を植え、その実を収穫し、食物としていたのだ。すなわち、栗の木は、日本列島における最古の栽培植物なのだ。
私はそのことを知った時、いつか、自分も縄文人のように家の周りに栗の木を植えて、秋になったらだれにも遠慮することなくその実を拾い、食べたり、人に分け与えたり出来るようにしよう、と思ったものだ。若い頃、北陸を歩いて旅行していて、コの字型の家に囲まれた大きな庭を持つ民家の、その庭の真ん中に栗の巨木が葉を繁らせている風景を見て、なんとゆたかな村だろう、と感心した記憶などもその心境の下敷きになっている。雪国のあの村の大きな栗の木は、縄文時代以来の村人の食生活を支えた大切な木だったのだろう。
この地へ移り住んできて、はからずも栗の木に囲まれた生活が実現した。家の前の森にも、裏の小道の脇にも、近所の竹藪の横にも栗の木があって、秋には大粒・小粒の実を落とすのだ。100年前、この茶臼原台地を開拓し、福祉と農業と教育・芸術が融合する理想郷を作ろうとした石井十次とその仲間たちが植えたものが、そのまま野性化したものだと思われる。
深い杉の森に埋もれて立ち枯れになったり、倒木となって長い時間が経ち、硬い芯の部分だけを残して古代の動物の骨のようになっているものがあったりすることが、それを示していた。
五年前、杉の森が切り払われてそれらの栗の木が姿を表した時から、私は森に通い、下草を刈ったり、落ちた少量の実を拾って周囲にばらまいたり、生ゴミや焚き火の灰を運んで腐葉土の生成を促したりした。生ゴミのバケツを持って森へ行く私の後を、放し飼いの鶏や野良猫がついてきた。夜には、そのあたりから狐の鳴き声が聞こえた。
森の時間がこうして過ぎた後、今年、大量の栗の実が落ちる秋がきた。85歳の母は、大喜びで、毎朝拾いに行った。そしてさまざまに工夫して食べたり、来客の手みやげにしたり、週に一回通っているデイサービスのおやつに提供したりたりした。山の村で暮らした経験を持つ母は、栗を拾うという行為そのものが懐かしく、心弾む衝動なのだろう。
硬くて、割るとスパリと板状に割れる栗の木は屋根材(板屋根)として使われたり、明治以降は線路の枕木として使われたりした。そして、無数の針で栗の実を防御しているあの憎むべきイガでさえ、染料としては一級品の価値を持つ。
栗の木は、人間の生活と密接に関わり続けてきた、「里山」を代表する樹木であった。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事