森の空想ブログ

いざなぎ流の祭祀跡が残る村を廻った一日 [物部川流域の祈祷神楽「いざなぎ流」を訪ねる旅(10)]


・物部村の中心地大栃の風景


・町並みに現役の太夫さんの家がある。


・写真左は太夫さんの墓地。集落のほぼ中心地にある。


・写真左は中世、この地を治めた公文氏の墓地。右は石彫の鷹を乗せた石灯籠が両脇を守る祠。

物部川流域の中心地・大栃で、韮生川と槙山川の二つの川が交わる。その大栃は山中の小都市の風情を漂わせる町で、往時は、いざなぎ流太夫の本拠もここにあったらしい。町には方々にその遺構が残り、中世の信仰世界を垣間見せてくれる。太夫の墓地やこの土地を治めた公文氏の屋敷跡、墓地、阿闍梨様と呼ばれる屋敷跡、さらには現役の太夫さんが近ごろまで住んでいたという家などがあり、その影響力の大きさを知ることができる。町は、普段どおりの生活空間だが、随所に古い信仰生活の名残がみられるのである。




鍛冶屋さん。昔は多くの鍛冶屋があったというが、今はこの一軒を残すだけである。この鍛冶屋の主も太夫さんだったという。鞴が現役のままに配置され、「火の神=竈神」の御幣が祀られ、正月に場占めて打たれた鎌の刃先が鴨居にズラリと打ちつけられていて、鍛冶屋そのものが呪的空間となっている。





町並みと山との境に点々と古い祭祀跡が残っている。巨木の下、水源を祀る場所、古い祠、墓地など。これらの場所で、近年まで祈祷や鎮め、種々の神祭りなどが行われたことがわかる。中世、この大栃から上流の物部川(槙山川と韮生川)上流域が「槙山郷」と呼ばれた地域で、いざなぎ流の信仰が栄えたのである。この物部川流域に小さな集落が点在し、それぞれの集落に太夫と呼ばれた宗教者が住み、様々な祭祀を行なったのである。
村を廻り、そのことが実感できた一日であった。

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