諸塚村の新奥部、桂集落へ行く道は、紅葉の真っ盛りだったが、その道は、途中で大きく陥没し、尾根道を大きく迂回しなければならなかった。先の台風で、大きな被害が出たのだ。電気が回復するまでに一週間、峠越えの高千穂方面と諸塚村中心部へと出るルートが開通するまで、孤立状態が続いていたのだった。村人は、70年以上暮らしてきて、初めてのことだった、とその恐怖の体験を語っていた。
道に迷い、峠の向こう側や下流域の谷をさまよっている人たちからの連絡が次々に入っていたが、神楽は淡々と始められ、続けられた。
以下は昨年(2021)の記事を加筆・要約して再録。
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諸塚村の深奥部にある桂集落は、現在5戸を残すだけの小さな村だが、その起源は古く、南北朝時代には南朝の落人が落ち延びてきたという伝承を持つ。この村での戦闘で果てたという落人の墓も現存する。歩く民俗家具者と言われた宮本常一も当地を訪れ、その伝承を記録している。
桂神楽は、高千穂から伝わったとされ、御神屋の飾り付け、演目の構成、太鼓のリズム・笛のメロディーなどに多くの共通項を持つが、高千穂神楽と同一ではなく、諸塚村の南川神楽・戸下神楽との共通項もみられる。諸塚山の星宿信仰との関連を指摘する研究者もいる。古格を保っていることは間違いないが、不明の部分も多い。そこがこの神楽の神秘性をさらに深めるのである。
神迎えの舞に続いて、主祭神降臨の舞「杉登」で八幡様が降臨する。
神楽は淡々と続けられ、昼食となる。近隣から集まって来た神社ゆかりの人々や里帰りの人たちが、村の女性たちが手間をかけて作った料理を囲んで和やかに過ごすひととき。
願成就の神楽は、天界と御神屋を結ぶ「神の糸」を解く舞である。今年の収穫を感謝し、狩りの豊猟と来期の豊年を祈る。
地主神「荒神」が日月を象った円盤を採って舞い、神楽が終わる。式三番と神送り、舞い納めの五番の神楽。今年、都会から村へ帰った若い舞人も加わった。短い時間だが、ここには神楽本来の姿がある。
「願成就」の神楽の途中で、時雨がきた。諸塚の山脈が通り過ぎてゆく雨に白く翳り、雲が疾り去ると晴れ間が戻る。
神楽を少し短縮して「直会」に招かれる。霜月祭りは桂神社の秋の例大祭である。一昨年と昨年、そして今年までコロナ過の影響は続き、各地の神楽が中止または縮小を余儀なくされている。さらにこの地区ではこの夏の台風が追い打ちをかけたが、めげることなく、この桂神社の霜月祭りは、大掛かりではないが、例年通りに開催された。神楽とは、疫病の退散や地霊鎮魂の祈願などもその主旨の一つである。災害を乗り越えて神楽の奉納を終えた村人の笑顔が爽やかである。
峠越えの帰り道は、深い霧に包まれた。
車を停めて、雑木林の中を歩く。霧に浮かぶ樹林と、森に散り敷いた落葉が山中の幻想世界へと旅人をいざなう。こんな日は、森の奥まで踏み込むのは遠慮しておいたほうがいい。