森の空想ブログ

テッペイの夏/敗者の涙【森へ行く道<141>】

私どもが住んでいる森は、標高100メートルにも満たない台地の上にあり、日向灘・太平洋が10キロほどの東方にあるから、海から昇った朝日の光が真横から差し込んでくる。真っ赤な朝焼けの光が森の樹々を照射して、南国の熱い夏の一日の始まりを告げるのである。

その森の奥深い所から、かなかな、とヒグラシの声が響いて来た。

ああ、もう夏も半ばをすぎたのだな、と耳を傾けてその声を懐かしむ。

この森に小学生のころから通ってきている右下哲平君が中学3年になり、この夏で部活の活動を終えるという。初めて来た小学3年の時に、彼は

「お母さん、オレの学歴は幼稚園まででいい、この森のほうが学校の勉強よりはるかにためになる、オレはここに残る」

と言ってのけた剛のものだ。母親の右下友子さんも剛毅な人で

「いいよ、あんたが成人したら迎えに来るから、ここで鍛えてもらいなさい」

と即座に返した。さすがにテッペイはその日は帰ったが、その後通い続けて森で遊び、一緒に木を伐り、小規模な焼畑も実行し、ヤマメ釣りにも行った。なかなか個性豊かな少年であった。その彼が、小学校高学年の間はソフトボールをやり、中学の部活ではバドミントンを選択した。そして、練習に励み、かつての野生児は礼儀正しくチームメートを思いやる颯爽とした中学生となった。ヤマメ釣りに誘っても、

――オレが休むと相棒が困るからな。

と仲間とチームのことを優先して判断する爽やかな運動選手に育ったのである。その彼が、この夏、中学生活最後の大会に出て、負けた。相手は一階級上の高校生ペアだったらしいが、負けは負けである。が、彼は嘆かないし、泣かない。すぐに気持ちを切り替えて、後輩たちのコーチとしてチームに残っているというのである。これはよろしい。こういう先輩がいると、その気風は少しずつ後輩たちに引き継がれ、それが伝統になっていくのだ。いいぞ、テッペイ。

これは、南国宮崎のごく普通の中学校のスポーツ少年たちに繰り返される日常である。だが、ここにこそ、つまりは日本全国の少年たちのスポーツの現場にこそ、礼儀や相手に敬意をはらう節度や仲間を思いやるやさしさなど、健全な精神が生きている、と私は思うのである。そんな感想を抱くのは、同時期にフランスのパリで開催されているオリンピックの選手たちが、負けて大泣きに泣く場面が多く目につくから、違和感を持つのである。“負けに不思議の負けなし”とは日本プロ野球の故・野村克也監督の名言だが、負けるのは相手の方が強いからであり、負けるだけの要因があるというのである。彼ら、彼女たちは、身体能力に優れ、突出した技量を持つ代表選手である。同時に国民の期待やメディアの要求にも応えるべき責任感も負わなければならない。そのプレッシャーは想像の域を超えるが、負けるのは、相手のほうが強いからである。負けて泣き、その表情をテレビやインターネットなどのメディアが大写しに映して瞬時に流すことで一種の免罪符のような感覚を持っているのだとしたら、それは、スポーツの精神から大きく逸脱するものである。敗者が涙をこらえて勝者を讃え、勝者が敗者をいたわりねぎらう場面のほうが、より大きな感動と共感を我々に与えてくれるのは、古今の名場面を振り返ればよかろう。

私は、半世紀も前にバスケの選手として県の実業団選手権で優勝したチームの一員だったし、母校の中学校にコーチとして通い、その後を後輩たちが引き継いで片田舎のその小さな中学校バスケット部は半世紀近く市内のトップチームであり続けるという伝統を作った。定時制高校のバスケチームのコーチとして県大会で優勝に導いたこともある。1メートル56センチの低身長であり大病もしたからその上は望めなかったが、アマチュアスポーツの指導者としてはその良き伝統と精神を体験した一人だったと今は思う。その私が、このたびのパリオリンピックの現場にいて、負けて泣きじゃくる選手を目の前にしたら、一発、頬を張り飛ばすぐらいの指導はしたにちがいない。そうすれば、選手ははっと我に返り、きちんと身だしなみを整えて相手に礼をし、会場を去るだろう。それが指導であり、選手双方に対する愛情である。そして、私はその場でコーチの辞任を申し出るに違いない。それが指導者の覚悟というものである。つまり、現代のスポーツの指導や情報発信のあり方などに、今回の「大泣き」の背景や病理が潜んでいるように私には思えるのである。

この件についてはすでに各方面から論じられているので、この夏で76歳になる年寄りの放言はこれまでにしておこう。知ったかぶりのコメンテーターや芸能リポーター、無責任なインターネット投稿者などと同類にあつかわれては堪らない。テッペイの部活のスケジュールがすべて終わったら、ヤマメ釣りの極意を会得する段階に近づいている不登校中学生のカワトモ君と、テッペイ君の二人を誘って、まだ踏み込んだことのない源流部の渓谷に分け入ろう。釣り終えたら、水底まで透き通って見える淵に飛び込み、存分に泳ぎ、夏風の吹き渡る森で焚き火をして、釣りあげたヤマメを焼いて食べよう。夕闇が迫るころには、ヒグラシが、かなかな、かなかな・・・と、こちらの林から向こうの森へ、そしてさらに遠くの山脈へと鳴き声を響かせてくれるだろう。


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