峠を越えて行く道で、キノコを見つけた。
最近、車を長時間運転したり、パソコンの前に長く座り続けたりすると眼が霞むことがあるが、時速50キロで車を走らせながらキノコを見つけ、瞬時にそれが喰えるキノコであるか、毒キノコなのかを見分ける特技は衰えていないから、医者の見立て通り、ただの疲れ目だろう。
キノコ採りは、秋の釣りの余禄。
欅の大樹が色づきはじめた森を抜けて、渓谷に降りる。
この谷は、一年に一度しか入らない、とっておきの渓流である。
十年ほど前、この谷に出会った時には、誰にも教えない「秘密の谷」にしておこうと思ったほど釣れたものだが、その後、徐々に人に知られて、最近では釣り師の足跡を見かけるようになった。
自分にとっての秘密の谷は、他の釣り師にとっても内緒にしておきたい釣りポイントの一つなのだ。こうして東洋の理想郷のような渓谷が一つまたひとつと「昔の風景」のなかに去ってゆく。
それでも、この谷は険しい岩場が連続し木々の枝が流れに差し掛かる難所続きだから、初心者にとっては難易度が高い。私も、足を怪我(アキレス腱断裂)した後の5ヶ月間は、怖くて踏み込めなかった手ごわい谷なのである。
この美しい谷に下り、一日を過ごすことが出来るほど怪我が回復していることがありがたい。
釣り始めの第一投に大物がきた。
下流へ向かって投げいれた試し釣り気味の振り込みに、がつんと出ごたえがあり、飛沫を上げる流れの中から踊り出てきたのが、8寸(24センチ)級の良型である。
このあまり例のない一尾の釣果を愛でながら、とりあえず竿を置き、ほっと一息、深呼吸をする。
こんな日は、大釣りをすることもあるが、興奮しすぎてあとの釣りが軽率になり、空振りに終わることもあるのだ。
ひとまず、心を静めて、次の一歩を踏み出すこともヤマメ釣りの心得のひとつ。
釣り進むにつれて、ぽつりぽつりと良型が上がる。
大漁を期待しているわけではないが、今季最後の釣りにふさわしい一日となりそうだ。
足元に木漏れ日が落ち、大岩の上に紅葉した榎の葉が散っている。
秋、産卵を終えたヤマメは、榎の落ち葉と一緒に流れを下るという。鮮麗なその彩りと婚姻色となったヤマメの体側の文様とを重ねて、九州脊梁山地の山人たちは、ヤマメのことを「エノハ=榎葉」と呼ぶ。山水のけしきとともにある奥ゆかしい命名といえよう。
沢水の音に混じって、遠くで誰かが歌っているような声が聞こえる。
竿を担ぎ、耳を澄ましても、その音は聞こえない。
山中で時々訪れる幻聴である。
倒木が行く手を塞ぎ、大岩が連続する難所の手前で竿を収めた。
5時間の釣りで8匹の釣果。
上々の第一日である。
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