昨年と一昨年は、台風に直撃されて栗の実が全滅した。
今年も超大型の台風10号が九州の西岸を北上していったが、やや西に進路がずれたため、森に20本ほどもある栗の何本かは落果せずに残った。
それが、たわわに実って、実を落とし始めた。
家(九州民俗仮面美術館)の前の栗の木が見事である。
俗に、桃栗三年というけれど、一本の栗の木が成長して実を付け始めるまでにはおよそ5年から7年の年月を必要とする。実際に大量の実を収穫できるのは、7年目からということになろうか。
その7年目は沢山の収穫があったが、二度の台風にやられた。今年は10年目の本格的な栗拾いが出来るのである。
2年間の休養期間があったため、実は大きい。一つのイガに5個の実が入っているものさえある。
料理人の林田君が、早速、茹で栗や栗ごはん、栗の渋皮煮、栗餡などを作ってくれる。
この栗は、この茶臼原台地を開拓し、児童福祉の理想郷づくりに着手した石井十次たちが栽培したものの子孫だという。
実が落ちて次世代の木を育て、いのちを繋いできたものだ。現代のアーティストたちが関わり、里山の再生とともに、この栗の木も復活して新しい森の価値と景色を創ってゆくのだ。
20歳代前半だった半世紀ほども昔、私はスケッチブックを手に、各駅停車の湖西線に乗り、琵琶湖の西岸を北上して敦賀辺りまで歩いて旅をしたことがある。気に入った風景を見つけると、最寄りの駅で降車して、次の駅まで歩き、また列車に乗って旅を続けたのである。その時、この北陸路の沿線の農家のいずれの庭にも、大きな栗の木があり、たくさんの実を落としているのを見て、うらやましく思ったものだ。
縄文時代の遺跡の周辺から、栗の木が発掘される例があるという。甘く、貯蔵がきく栗は、縄文人たちの大切な食糧であり、日本列島最初の栽培作物であった可能性もあるという。農家の庭に栗の木が植えられているのは、縄文の記憶を残す風景だったのだ。
風に揺れ、騒ぐ栗の枝と、ばらばらと落ちてくる実の音を聞きながら、遠い日のことを思う。
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