病んでこそ知る 老いてこそ知る 日野原重明 高野悦子
日野原さん90歳、高野さん80歳のときの対談です。現在日野原先生96歳ぐらいか、 バリバリの現役ですね。ご高齢になられてからも、ミュージカに出演したり、脚本を書いたり、本業以外でも好奇心旺盛でチャレンジしてゆく。高野悦子さんは映画と向き合って50年、がむしゃらに駆けて来られた。高齢になられて、お母さんの介護と、ご自身の病気を患われなおかつ、一病を囲いながら頑張っておられる。お二人の 病んでこそ 老いてこそ 知るとは 実に説得力ある言葉が発せられている。
『病気があっても逞しく生きている 人が居る。あの輝きは、彼にスピリットが有るからです。 略 1946年に WHO が健康の定義をした時は、人間が健康であるとは、たんに病気がないだけではなく、身体的にも社会的にも精神的にも完全に良好な状態にあることだとしていたが、その後、その定義にスピリットも入れようとしている。』 スピリットか、残念ながら自分にはあまり感じられないな。
高野さんが母親を介護していたのだが、実は『母を思う子の心よりも、子を思う母の心の方がずっと大きかった。』と気付いてから、心から母に感謝する気持ちになったそうです。そして、母を介護できる幸せを感じるようになったそうだ。母への介護の仕方を変えた後、母が話したい話題に耳を傾けるようになった。 すると母の認知症が改善したそうだ。
『いろいろな機会というのはハプニングで起こってくるのだけれど、子ども時代の環境とか体験などといった素地がないと、それをうまく受け止めるアンテナが働かない。』
高野さんから 『私、色紙を頼まれると 今日なら遅くない、今日から始まる。』と書いていたそうだ。『人間は長生きすると、若いときにはわからなかったことがわかってくると。』
日野原先生『明治の人には、何かモデルがあったんです。』みんな目標と出来る人物像があったのだと。今の若い人達にはあまりないよう。自分はどうだろう?
『いままで出来ないとおもっていたのは、機会が無かったからなんですよ。』
『健康とはフレキシビリチィを持つこと。』
南博先生の言葉『本当の意味での娯楽は、リ・クリエイト、つまり大衆に再創造するエネルギーを与えるものである。明日への生きる意欲、力を起させる娯楽は福祉なのだ。』 なるほど、良い娯楽は明日えの生きるエネルギーを与えてくれるものなのだ。そしてそれは福祉という考えとまさに一致する。