霧のむこうに住みたい 須賀 敦子
昨年は 塩野七生さんの本を 幾冊か読んだが、同じイタリアを紹介してくれるこの須賀さんの本は初めてであった。昨年NHKで100冊の推薦本の特集があったが その中に須賀さんの作品があった。その紹介では、須賀さんの文章は、透明感があってなおかつ視線が低く清純であるという。 読んで、先の塩野七生さんとは正反対の世界のエッセイといった感じを受けた。読んでいて、高揚、興奮はしないが、一つひとつのエッセイが短く、なおかつ彼女のイタリアでの生の日常生活から得た話題を取り上げている。だから、読んでいて、肩が凝らないというか、ゆったりとした気分に浸りながら読み、好きなところで置くことが出来る。
この言葉は 今の私には理解できない。『宗教家にとってこわい誘惑の一つは、社会にとってすぐに有益な人間になりたいとする欲望だ。』
『“時間”が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めて一つにつなげる為に、駅から駅へ旅を続けている。』 時間とは 一人一人の人間、乗客であり、様々な思いをもった人々が一つの列車に乗り合わせ、それを運んでゆく。面白い表現だと思った。
イタリアには 当時?羊飼いが居たそうだ。今はどうか知らないが。彼らは羊をつれて山に籠もると誰とも話さない。彼らの子どもはやはり親父の後を継ぐのであろうか?彼らはどうして羊飼いになったのであろうか?なんて 読んでいて疑問に思った。
面白かったのは、イタリアには大洗濯日というのが有るそうだ。春の復活祭の前に、汚れ物を一斉に洗濯し、牧場では一面に広げて干すそうである。そしてたたみ仕舞うときにラベンダーをその間に挟んで、と書いてある。 以前、沖縄のペンションで枕の中に潜ませてあるのがあったが、良い香りで、眠りも気持ちよかったことを思い出す。 イタリア人もこんな工夫をしているんだなぁ!