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くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

幻のノーベル賞作家

2013-11-16 23:20:16 | 書籍の紹介
学生時代、開高健に凝ったことがありました。

残念ながら開高健は、1989年に58歳という、
小説家としてはあまりにも若くして亡くなってしまった作家ですが、
私はもし彼が生きていれば、きっとノーベル文学賞の候補にも上がるような、
不世出の文豪になっていたと思っています。

そんな小説家に関する本を書店の書架で見つけ、思わず手にしてしまいました。


「開高健 名言辞典 漂えど沈まず」 滝田誠一郎 著/小学館 刊

この本の中には、
むかし読んだことのある懐かしい名言や、この本で初めて目にする名句、
思わず脱帽してこうべを垂れてしまうしかない名文の数々が、
出典とエピソードとともに紹介されており、読み進むうちに、
文学に人生の道標を求めて読み漁っていた若い日の想いが甦りました。

開高健は戦後の焼け跡で育ち、大学卒業後は壽屋(サントリー)に入社。
数年後、芥川賞の受賞を機に退社し、ベトナム戦争に記者として従軍。
帰国後はその凄絶な体験をもとに作品を発表する傍ら、
熱狂的な釣師として世界中を釣行しました。
食通としても知られ、酒と煙草をこよなく愛した彼の作品には、
そんな彼自身の体験と、そこから導き出された哲学が色濃く反映されています。

けれども、それよりも更に秀逸なのは、その表現力です。

凡人には思いつかないけれど、
一読すればその情景が凡人にもありありと伝わってくる、
そんな言葉を的確に見いだし、紡いでいく才能は、まさに職人技です。

もっとも、彼自身も、
「私は言葉の職人なのだから、どんな美味にであっても、
 ”筆舌に尽くせない”とか”言語に絶する”などと投げてはならない」
というようなことを言っているので、それは才能ではなく、
努力と苦闘の産物なのかもしれません。

先日、「よく本を読む」と言う大学生に、
「どんな本を読んでいるの?」と聞いてみたら、
映画の原作になるようなライトノベルの作家の名前が羅列されました。
「読まないよりはいいけれど、せっかく読むなら・・・」
と心の中で言いかけて、「余計なお世話か」と口に出すのはやめました。

ケータイ小説やライトノベルで育った世代には、
「文学」などという言葉は、かび臭い古書の世界なのかもしれません。

ところで、私がむかし読んだ開高健の本は、
引っ越しを繰り返すたびに処分してしまいました。
けれども、どうしても手放す気になれず手元に残したものが三冊あります。
それが「生物としての静物」(エッセイ集)と「耳の物語Ⅰ・Ⅱ」(長編小説)でした。
そして、久しぶりに再読してみようと思ったのでした。


青森駅で考えた。

2013-11-09 23:59:59 | 政治経済のことも考えよう
青森駅の構内で電車の発車時刻を待っていたときのこと。
列車の発車時刻を知らせる電光案内板に「函館行き」の文字がありました。

青森と函館は津軽海峡で隔てられています。
昔は、本州と北海道を行き来する手段は、船か飛行機しかありませんでした。
現在は青函トンネルがありますが、私はこれまで通ったことがあるわけでもなく、
やはり「北海道は海の向こう」という印象しかありませんでした。

でもこうして実際に、列車の行き先を示す電光案内板を目にすると、
「本州と北海道は陸続きなのだなあ」 と実感します。

青函トンネルは、開通当時から、
「税金の無駄」「無用の長物」などと言われました。
青函トンネルの建設は、昭和29年に1155人の死者を出した、
日本海難史上最悪といわれる洞爺丸事故を受け、
計画が本格的に動きだしましたが、
トンネルが完成する頃には、関東から北海道への旅客手段は、
飛行機が中心になっていたからです。

しかし、青森駅まで来てみると、
特急列車に乗って、気軽に北海道へ行けることがわかります。
船や飛行機のように気象条件に運行が左右されることもなく、
また、面倒な乗船や搭乗の手続きもなく、
東京に住んでいる人が、箱根や日光へ日帰り旅行するような感覚で、
気軽に北海道へ行くことができるのです。

会社で東北出身の人にそのことを話したら、
青函トンネルができてからは、同窓会とか会社の旅行などでも、
「北海道でやろうか」ということも多いのだそうです。


青森駅です。
青函トンネルがなかった昔は、線路は連絡船の港まで続いていました。

 
線路は青函連絡船に接続され、貨物は列車ごと船に載せられ・・・

 
こんなふうに本州と北海道を行き来していました。
現在は「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」が港に係留され、
青函連絡船の歴史が見学できます。

インフラへの投資は、都会から見た目で論じられがちです。
しかし、逆の立場から、違った角度で見てみると、
「旅客手段の中心は飛行機だから不要」だとか、
「採算が合わないから潰してしまえ」などと言った主張に、
いかにも都会人のエゴイスティックな理屈を感じます。

便利で安全な、恵まれた生活圏にいて、
「絆」だとか「人に優しい」などといった、
耳あたりの良いフレーズに目を潤ませながら、
心の中では舌打ちしているようなそらぞらしさを感じるのです。



自分では「誤表示」というけれど

2013-11-07 21:29:14 | つれづれなるまま
「赤信号、みんなで渡れば…」と言わんばかりに、
「有名店」「一流店」といわれる飲食店や販売店が、
食材の偽装表示をカミングアウトしています。

どの企業の会見でも共通しているのは、
「『偽装表示』ではなく『誤表示』だった」
ということをしきりに強調することです。

しかし、「誤表示」ならばなぜ、
「実はもっと高級な食材を使っていたのに、
 メニュー表示はもとの安いままで、直していませんでした」
というような事例がないのでしょう。

「消費者が得をした事例は公表しない」という、
奥ゆかしさが会見した企業にあるからとも思えません。
結局、「異なる表示」は消費者が損をするものばかりです。

食材の調達が困難になったなど、理由は何であれ、
それまでの食材より高級なものを使用する場合は、
お店はすぐにメニュー表示も値段も改定するはずです。
なぜなら、放置するとお店の採算が悪化してしまうから。
しかし、食材のグレードを落とした場合は、
メニュー表示も値段も改定せず、そのままにしてしまった。

それを、「忘れた」「うっかりした」と言いたいようです。

お店の採算が悪化することには即座に対応するけれど、
対応によって採算が悪化するのであれば何もしない。
消費者に対する信義はあとまわし。

これが消費者から見た一連の問題の本質です。
これを「偽装表示」と言わずして何というのでしょうか。

「ロブスターと書いてあったけれど、実はイセエビでした」
「パック詰めジュースの値段で出していましたが、
 実は搾り立ての生ジュースで、採算割れしていました」
などという事例があるなら、遠慮せずに出してほしいものです。

それなら「誤表示」も信ぴょう性があるというものです。


人脈を活かせる人、活かせない人

2013-11-05 23:14:39 | これが会社で生きる道
まだ若手社員だった頃、
新しく異動してきた上司から、
名刺交換のノルマ人数を与えられました。
要するに「人脈をつくれ」ということでした。

さすがに今どきは、もうこんな人はいないでしょう。
ビジネスマンの異業種交流や人脈づくりが、
さかんにもてはやされていた時代のことです。

一口に「人脈」と言っても、
お互いに顔と名前を知っているだけという間柄から、
年賀状や暑中見舞いを交換するだけの関係、
そして本当に困ったときに頼りにできる間柄まで、
その深度はさまざまです。

もちろん、名刺交換しただけでは人脈とは呼べません。
たまに、茶色に変色した著名人や有力者の名刺を大切に保管し、
何かあると自慢げに引っ張り出してくるオジサンを見かけますが、
そういうのは名刺のコレクションであって、
人脈とは言わないものです。

異業種交流会などで何百人と名刺を交換したところで、
また、名刺を交換した人に挨拶の葉書やメールをこまめに送ったところで、
実のある人脈がつくられるわけではありません。

そういうわけで、
上司から指示された私の人脈づくりも徒労に終わりました。

「人脈を持っている」とは、自分の知らない人を知っている人、
そしてその人を通じて、自分の知らない人を動かしたり、
あるいは情報を引き出したりできるコネを持っている人と、
継続してつながっていることです。

もとより、自分がその一人ひとりと、
直接つながっている必要はありません。
大事なことは「何人いるか」ではないのです。

顔の広い人が、人脈のある人ではありません。
資格と同じように、たくさん持っている人が、
必ずしも、仕事ができる人というわけではありません。

最も大事なことは、
人脈づくりに汲々とすることよりも、
すでにたくさんの人脈を持っている人に絞って交流し、
そうした人たちと持ったつながりを大事にすることです。

そのことにできるだけ早く気がつかないと、
いたずらにメールや葉書を書くことに時間を費やすだけで、
徒労に終わってしまうのです。


東洋のナイアガラ!? 「吹割の滝」

2013-11-04 23:59:59 | お出かけ
「吹割(ふきわれ)の滝」に行ってきました。

「吹割の滝」は、群馬県沼田市利根町に位置し、利根川の支流、
片品川の片品渓谷(吹割渓谷)にかかる幅30メートル、落差7メートルの滝です。
昭和11年に天然記念物に指定され、日本の滝100選にも選ばれています。

 (画像クリックで拡大)
岩でできた川床の巨大な裂け目に、片品川の豊かな水が豪快に流れ落ちています。

川床は火山の噴火による堆積物が固まったもので、
岩の柔らかい部分が激流によって長い年月をかけて浸食され、
いくつもの裂け目を誕生させました。
もちろん浸食は今も続いており、裂け目は少しずつ広がっているそうです。

誰が言ったのか、「東洋のナイアガラ」と呼ばれているそうですが、
「ナイアガラ」というにはあまりにもスケールが・・・ご本家に対して申し訳ないというものです。

 
渓谷を周遊する遊歩道が整備されていますが、
時々、転落事故があるそうで、カラーコーンとロープで立ち入り禁止箇所が指定され、
近くから滝の底をのぞきこむことはできません。

30年くらい前までは立ち入り禁止措置などなかったそうで、
「自己責任でいいじゃない!」とも思いますが、
ひとたび事故が起これば、地元の人もそういうわけにもいかないでしょう。
そう考えると、立ち入り禁止措置は仕方がありません。

 
滝のある片品渓谷(吹割渓谷)は、
約1.5キロメートルにわたって岩壁が続く奇観の渓谷です。
春は新緑、秋は紅葉が美しいそうです。


紅葉はすでに始まっており、
見ごろはあと一週間程度というところでしょうか。