くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

100年前の日本

2010-05-16 17:33:48 | 書籍の紹介

「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(平凡社)

今から130年以上も前(明治11年)に日本を訪れ、
東北地方や北海道(蝦夷)を旅した女性がいました。

旅行家だった彼女は、西洋文化の影響を受けた東京や横浜でなく、
本当の日本の姿を見たいと思い立ち、伊藤という名の日本人通訳と
たった二人だけで東京から日光、新潟、秋田、青森、北海道を旅します。

この本は、その女性が書き記した「日本紀行」をもとに、
当時の日本人の暮らしについて、民俗学者の宮本常一が、
一般読者にもわかりやすく解説したものです。

「当時の日本人にとってあたりまえだったことは、
 日本人の書いた文献には残らない。
 しかし、外国人にはそれが驚きだったから記録される。
 だから当時の外国人が書いた文献を読むことによって、
 昔の日本人の普段の姿を知ることができる」

著者(宮本氏)が本書でそう記しているように、
イザベラ・バードの日本紀行には、私たちのイメージとは違う、
意外な昔の日本人の姿が描かれています。

明治維新から11年が過ぎたとは言え、
通信も交通も発達していない当時の地方の人々は、
都市部の文明開化の華やかさなどとは無縁の、
江戸時代と変わらぬ生活をしています。

その貧しさときたら、時代劇などで描かれる比ではありません。
下世話なたとえですが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で描かれた
岩崎弥太郎の実家を、さらにもっと貧乏にしたような感じです。

その状況をイザベラは、こう記しています。
「仕事もなく、本もなく、遊びもない。わびしく寒いところで、
 長い晩を震えながら過ごす。
 夜中になると、動物のように身体を寄せて暖をとる」

さらに庶民にとっては木綿すら手に入れることは難しく、
麻などで作られた衣服も大変な貴重品であったため、
できるだけ傷めないようにと着用せず、洗濯もしませんでした。
男も女も上半身は裸で労働するのが普通だったといいます。

そんな状態なので衛生状態は悪く、
子供も大人も、多くは皮膚病を抱えていたことが記されています。

宮本氏によれば、
「日本人は毎日風呂に入る、清潔好きな国民だと思われているが、
 それは先の大戦が終わってからのことで、
 戦前までは、自宅に風呂がある家は少なかった」
と解説しています。

それほど貧しくありながら、どこへ行っても人々は礼儀正しく、
また治安の良いことにイザベラは大変驚いています。
「女性が旅をしていても、一度たりとも危険な目に遭ったり、
 侮蔑的な言葉を投げられたり扱いを受けたりはしなかった。
 おそらく、日本は世界中で一番安全に女性が旅行できる国である」
そのようなことを書き記しています。

ただ、現代では考えられないことですが、
当時の日本はどこに行ってもノミとシラミの攻撃がすざまじく、
さすがに世界中を旅したイザベラもこれには閉口したようで、
その様子がありありと描かれています。

これも当時の日本人にとっては、ごく普通のことで、
外国人の紀行文ならではの記録でしょう。

このほか、盲人が多かった理由や津軽で三味線が広まった理由など、
興味深い内容が満載でした。

そしてイザベラ・バードが宿泊し、
今も当時のたたずまいを残す唯一の宿場が福島県の大内宿です。

高速道路が値上がりしないうちに行かなければ・・・


「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一 著、平凡社刊)