横浜黒船研究会

ペリー来航から横浜開港は日本文化の転換点でした。当時の資料から歴史を研究しています。毎月第2日曜日開催しています。

第165回定例研究発表会『無人島発見から小笠原島の回収、開発 ―幕府による開発と八丈島の移民史―』

2018年10月25日 | 研究会案内
平成30年11月11日(第二日曜日)14:00 (13:30入場可)
場 所:横浜市旭区市民活動支援センター「みなくる」 研修室1, 2, 3

第165回定例研究発表会
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~15:30 発表者:日本島嶼学および 横浜黒船研究会 会員 對馬 秀子 氏
参加費:500円

講演題目: 無人島発見から小笠原島の回収、開発 ―幕府による開発と八丈島の移民史―
ペリーは、嘉永6年(1853)6月、沖縄、小笠原で薪水の補給所となる貯炭所用地を確保し、沖縄から浦賀に来航した。翌安政元年(1854)に再来したペリーは、3月日米和親条約(神奈川条約)、7月琉米和親条約を締結した。小笠原島に欧米人が定住したのは天保元年(1830)であり、幕府が小笠原島回収団を咸臨丸で派遣したのは文久元年(1861)12月である。翌文久2年7月朝陽丸を八丈島に派遣して開拓者を募集し、8月末に小笠原島に入植した。同年生麦事件が発生し英国との緊張関係の高まりもあって小笠原島開拓が中止となる。文久3年5月入植から9ヶ月で日本人全員引き揚げとなった。
なぜ、幕府は小笠原島の開拓民を八丈島から選んだのだろうか。
ここでは、小笠原島の回収・開拓に携わった八丈島民の出移民の史実を中心に報告する。

15:30~16:40  休憩
16:40~16:10 質疑応答
16:10~16:15 机と椅子の現状復帰
以上

ご連絡:次回第166回定例会は12月9日(第二日曜日)
於 レストラン 馬車道十番館4階 発表者 当会会員 溝手 正儀氏 
題目: 近世大衆文学と日本人の識字率 東海道中膝栗毛からの例証