横浜黒船研究会

ペリー来航から横浜開港は日本文化の転換点でした。当時の資料から歴史を研究しています。毎月第2日曜日開催しています。

第99回定例研究発表会『幕末開国から明治自由民権運動への流れ ~土佐郷士の視点から~』

2012年09月22日 | 研究会案内
平成24年10月14日(第二日曜日)14:00~16:30
横浜市旭区市民活動支援センター「みなくる」 研修室1, 2, 3

研究発表会
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~15:30 発表者:当会会員 筒井寿博 氏 
参加費:500円

題 目:幕末開国から明治自由民権運動への流れ ~土佐郷士の視点から~
<発表趣旨>
軍記「土佐物語」の中に筆者の郷里である旧高知県土佐郡鏡村のなかの郷や荘の地名が出てくる.
これらの地域は応仁の乱以降本山氏の守城であったが,戦国期に北朝に組した長宗我部氏の「一領具足」のなかに掌握され,
次の江戸期には山内氏の支配のもと,他藩にない厳しい身分制度で「下士」として250年虐げられる. 一方,土佐の山間部には,負けた側の南朝方の伝説が散見され,そのひとつに郷里土佐群草ノ峰郷の新田神社にも「南朝の忠臣 脇屋義治 最後の地」として縁起が残され,その理想は筆者らの世代にまで伝承されており,こども心にも忠臣の美談に「ぐっ」ときたことをいまでも覚えている. 幕末の「尊王」や「勤皇」の形で興隆した思想の低層には,土佐や長州などの地頭・郷士の間に応仁の乱に端緒を得ること500年,長きにわたり伝承された南朝への理想や憧憬が脈々と流れていたのであろう. 維新の契機は確かに浦賀のペリー艦隊であるが,「土佐勤皇の志士」の決起の原動力は,土佐の地頭・郷士の間に伝承されてきた「南朝の情緒」であり,その情緒が時の到来を予感させたのであろう.そして,明治期に入り「戊辰戦争」から「自由民権運動」へとつながるこの一見論理的でない流れも,最後の「南朝的ロマン」に帰するのではないだろうか.
本稿では,この稚拙な推論を筆者の郷里の村史をたよりに展開してみたい.

15:30~15:40 休憩
15:40~16:15 質疑応答
16:15~16:30 机と椅子の現状復帰
以上

ご連絡:次回定例会は第100回記念定例研究会として11月11日(第二日曜日)
於横浜市南区南太田1-7-20 フォーラム南太田2階 大会議室で 講演者は
当会会員 岩下哲典氏 および 河元 由美子氏