横浜黒船研究会

ペリー来航から横浜開港は日本文化の転換点でした。当時の資料から歴史を研究しています。毎月第2日曜日開催しています。

第159回定例研究発表会『黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか? -その3―』

2018年02月27日 | 研究会案内
平成30年4月8日(第二日曜日)14:00~17:00 (13:30入場可)
横浜市開港記念会館 1階 1号室 〒231-0005 横浜市中区本町1丁目6番地

第159回定例研究発表会
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~16:00 発表者:今津 浩一氏  当会会員 代表代行
参加費:500円

講演題目:  黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか? -その3―
阿部正弘は大名たちに外交政策を諮問したのはなぜか、と、
「逷蛮彙議(てきばんいぎ)」(各大名の上申書)が幕府の対米政策へ与えた影響

前回は、水戸徳川家に伝わっていた史料「逷蛮彙議(てきばんいぎ)」をひも解いて、集められている253通(大名の部)の上申書を紹介した。
これは、老中阿部正弘がペリー提督の黒船来航にあたり、どのように外交をすすめるべきか諮問したのに応じて提出された上申書である。
大名たちの上申書を分析の結果、アメリカの要求する最重要の通商を許容するものは、全体253通の内、60通しかなかった。
しかし、上申内容のしっかりしたもの(4ページ以上のもの)を選び、さらに、6月末の諮問に対して、「打てば響く」ように提出したもの(7月提出分)に絞り込むと、
34通あり、その内20通が通商許容論であった。つまり、このように分類してゆくと、通商許容論の比率が逆転することが分かった。
さて、今回(4月8日)の発表では、①そもそも、なぜ阿部正弘は大名たちに外交政策を諮問したのかということ、
ならびに、②この上申書が幕府の対米政策にどのような影響を与えたのかの2項目を、ご報告したい。

16:00~16:10 休憩
16:10~16:45質疑応答
16:45~17:00机と椅子の現状復帰

以上
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ご連絡:次回第160回定例会は5月13日(第二日曜日)
於 横浜市開港記念会館1階1号室 講演者 当会会員 浅井壮一郎氏
題目:南北戦争と明治維新

第158回定例研究発表『黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか?-その2-「逷蛮彙議(てきばんいぎ)」 とその分析結果』

2018年02月26日 | 研究会案内
平成30年3月11日(第二日曜日)14:00-17:00
フォーラム南太田 2階 大会議室横浜市南区南太田1-7-20 

第158回定例研究発表会
14:00~14:05 開会のごあいさつ
14:05~16:10 発表者:横浜黒船研究会 会員(代表代行) 今津 浩一氏
参加費:500円

講演題名:黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか?-その2
「逷蛮彙議(てきばんいぎ)」 と、その分析結果

1853年(嘉永6年)、ペリー提督の黒船艦隊が浦賀に来航した。時の老中首座阿部正弘は、フィルモア大統領の親書とペリー提督の書簡を開示して、対米外交をどのようにするべきか大名、旗本、陪臣、儒者に諮問をした。
 今回の発表は、幕府の支配機構の一部を担っていた大名の意見を取り上げることとする。
 当時、大名は何人いたか。当時、幕府上級役人を紹介する名鑑『大武鑑』によると、大名は266人である。諮問に応えて上申書を提出した大名は何人いたのだろうか。水戸藩の前の領主徳川齊昭の命によって編纂されたという「逷蛮彙議(てきばんいぎ)」という史料には、多くの上申書が集められている。
 この史料の分析をしたところ、大名の上申書253通があることがわかった。そして、その上申内容が上申書の日付や、その文章の長さによって区分すると、驚くべき結果が出た。この結果は、のちに幕府の外交政策に大きな影響を与えることになる。今回、この「逷蛮彙議」と、その分析結果を紹介する。

16:10~16:15  休憩
16:15~16:45 質疑応答
16:45~17:00 机と椅子の現状復帰
以上

ご連絡:次回第159回定例会は4月8日(第二日曜日)
於 講演者 今津 浩一氏
【演題名]  題目:黒船来航!-日本の対外政策はどうするべきか? -その3-