東北関東大震災の被災者のことを思い、しばらくの間ブログの更新は休止していた。
私は、このジラゴンノで地震に遭遇し、幸い震度4の大きさで、ほとんど被害は無かったが
停電のためテレビが入らないため、世の中の状況もわからず、また、高速が不通のため、自宅に帰ることも
できず、2日間ここにいつも通りの生活をしていた。
電気が戻ってテレビを点けたとき、初めてこの地震の甚大さに驚いたのだった。
とのことなので、この2日間の行動は、地震の悲惨さを全く知らなかった人間の行動だと理解してほしい。
東日本大震災の被災者の皆様への心よりお悔やみと一日も早い復興を祈る。
§予想以上の雪と除雪
なるさわ道の駅は10cmほどの雪だったが、ジラハウスに着いたら、その4倍の40cmの積雪があることに驚いた。
早速、雪かき作業開始。
雪は非常に軽いので力はいらないが、運ぶ時に崩れてしまうので扱いにくい。
先日、薪割り用にと買ったゴムコーティングの軍手が役に立った。濡れないので冷たくなく、グリップ力も抜群。
丸々2時間かけてガレージの前と玄関までのアプローチ、さらにウッドデッキの雪を取り除いた。
(道の駅は10cm程度)
(運動場も雪一色)
(家の前は40cm以上!)
(雪かき開始)
(このゴム手袋が役に立った)
(雪かき完了)
§浄化槽の掃除
今回の目的は、延期になっていた浄化槽の掃除。
平日しか処理ができないとのことだったので、今日は休みを取って来た。
前の住人はほとんど掃除をしたことが無かったということだったので、危機感を持っていたが
案の定、ほぼ満杯の状態だった(とのこと)。約20分ほどの作業だった。
これで2~3年は大丈夫。
(この雪の中大変だ)
§「肉きん」うどん
富士吉田の「美香」と言う名のうどん屋さん。
自宅の居間で庭を見ながら食べることができる。年取ったおばあさんが注文を取りに来た。
肉きんうどんを注文。「きん」とは何かと思ったら、きんぴらのことだった。
味はまあまあ。麺はちょっと粉っぽさがあった。
(庭を望みながら)
(肉きんうどん)
§そして地震に遭遇
Jマートで薪棚用の木材を買い、その木材を地下倉庫にしまって、一息を着く。
実はこの時、氷に足を滑らせ、木材と担ぎなから仰向けに転倒。右半身をしたたか溶岩にぶつける。
一番痛かったのが右での甲。手袋を脱ぐとかすり傷に加えて、青白く内出血している。手袋が無かったら
もっと悲惨な結果になっていたかと思うとぞっとする。右肘も痛い。
濡れた氷の上に尻餅をついたので、おしりも濡れている。早々に着替える。
お茶でも飲もうかと考えていたところ、急にテレビと電灯が切れた。
あれブレーカが落ちたのかと思い、ブレーカをoff/onして見る。着かない。停電のようだ。
1分ほどしたところ、ギシギシという音を立てて、横に家が揺れた。大きな地震だと察した。
リビングはほとんどが吊り下げ型の電灯なので、それらが振り子のように揺れている。
壁から木の彫り物が床に落ちた。まだキシギシが続いている。
食器棚のような高い家具が無いので、押さえる物もなく、揺れを見守っていたが、
築23年のこの家は大丈夫かなと少し不安になった。
外を見ると、木に積もっていた雪がドサドサと落ちてきている。
2、3分ぐらい揺れていただろうか。
(ペンダント電灯やフライパンが揺れている)
(木彫りのお守り?が床に落ちた)
揺れが収まった後、携帯で妻に安否確認のため電話を掛けたがつながらない。
メールを送る。しばらくして応答があった。娘と学校のグランドに一緒にいて無事。
自宅では長男が、家具とPS3の倒落を押さえるために体を張っていたとのこと。
(次男にはなかなか連絡がつかなかったらしいが、4時間半かけて学校から徒歩で帰宅したらしい。)
停電がどの範囲で行われているのか、地震の状況の把握のために管理事務所に行った。
途中、大野さんとその友達に会い、地震の状況を確認した。お二人は卓球をしていて、地震の時には
卓球台の下に潜り込んでいたとのこと。これから自宅に戻り状況を確認するらしい。
管理事務所では3人がラジオと携帯ワンセグで情報を得ようとしていた。
東電に停電状況を確認しようとしてもつながらないらしい。
地震は東北地方で発生し、震度が7だったことを初めて知った。
§停電の夜
当面は、停電が続くらしい。テレビもつか無いので情報が入らない。
停電だと電子レンジもバズーカストーブも使えない。
だんだんと冷えてきた夜は、石油ストーブと暖炉の2つが必要だった。
明かり用には、キャンプ用のロウソクランタンが役に立った。
夕飯は昼買った焼き鳥をストーブで温めて食べる。
暖炉の火、ストーブの火、ランタンの火、3つの火の競合を長い間眺めていた。
(暖炉と石油ストーブ)
(キャンプ用のランタン)
私は、このジラゴンノで地震に遭遇し、幸い震度4の大きさで、ほとんど被害は無かったが
停電のためテレビが入らないため、世の中の状況もわからず、また、高速が不通のため、自宅に帰ることも
できず、2日間ここにいつも通りの生活をしていた。
電気が戻ってテレビを点けたとき、初めてこの地震の甚大さに驚いたのだった。
とのことなので、この2日間の行動は、地震の悲惨さを全く知らなかった人間の行動だと理解してほしい。
東日本大震災の被災者の皆様への心よりお悔やみと一日も早い復興を祈る。
§予想以上の雪と除雪
なるさわ道の駅は10cmほどの雪だったが、ジラハウスに着いたら、その4倍の40cmの積雪があることに驚いた。
早速、雪かき作業開始。
雪は非常に軽いので力はいらないが、運ぶ時に崩れてしまうので扱いにくい。
先日、薪割り用にと買ったゴムコーティングの軍手が役に立った。濡れないので冷たくなく、グリップ力も抜群。
丸々2時間かけてガレージの前と玄関までのアプローチ、さらにウッドデッキの雪を取り除いた。
(道の駅は10cm程度)
(運動場も雪一色)
(家の前は40cm以上!)
(雪かき開始)
(このゴム手袋が役に立った)
(雪かき完了)
§浄化槽の掃除
今回の目的は、延期になっていた浄化槽の掃除。
平日しか処理ができないとのことだったので、今日は休みを取って来た。
前の住人はほとんど掃除をしたことが無かったということだったので、危機感を持っていたが
案の定、ほぼ満杯の状態だった(とのこと)。約20分ほどの作業だった。
これで2~3年は大丈夫。
(この雪の中大変だ)
§「肉きん」うどん
富士吉田の「美香」と言う名のうどん屋さん。
自宅の居間で庭を見ながら食べることができる。年取ったおばあさんが注文を取りに来た。
肉きんうどんを注文。「きん」とは何かと思ったら、きんぴらのことだった。
味はまあまあ。麺はちょっと粉っぽさがあった。
(庭を望みながら)
(肉きんうどん)
§そして地震に遭遇
Jマートで薪棚用の木材を買い、その木材を地下倉庫にしまって、一息を着く。
実はこの時、氷に足を滑らせ、木材と担ぎなから仰向けに転倒。右半身をしたたか溶岩にぶつける。
一番痛かったのが右での甲。手袋を脱ぐとかすり傷に加えて、青白く内出血している。手袋が無かったら
もっと悲惨な結果になっていたかと思うとぞっとする。右肘も痛い。
濡れた氷の上に尻餅をついたので、おしりも濡れている。早々に着替える。
お茶でも飲もうかと考えていたところ、急にテレビと電灯が切れた。
あれブレーカが落ちたのかと思い、ブレーカをoff/onして見る。着かない。停電のようだ。
1分ほどしたところ、ギシギシという音を立てて、横に家が揺れた。大きな地震だと察した。
リビングはほとんどが吊り下げ型の電灯なので、それらが振り子のように揺れている。
壁から木の彫り物が床に落ちた。まだキシギシが続いている。
食器棚のような高い家具が無いので、押さえる物もなく、揺れを見守っていたが、
築23年のこの家は大丈夫かなと少し不安になった。
外を見ると、木に積もっていた雪がドサドサと落ちてきている。
2、3分ぐらい揺れていただろうか。
(ペンダント電灯やフライパンが揺れている)
(木彫りのお守り?が床に落ちた)
揺れが収まった後、携帯で妻に安否確認のため電話を掛けたがつながらない。
メールを送る。しばらくして応答があった。娘と学校のグランドに一緒にいて無事。
自宅では長男が、家具とPS3の倒落を押さえるために体を張っていたとのこと。
(次男にはなかなか連絡がつかなかったらしいが、4時間半かけて学校から徒歩で帰宅したらしい。)
停電がどの範囲で行われているのか、地震の状況の把握のために管理事務所に行った。
途中、大野さんとその友達に会い、地震の状況を確認した。お二人は卓球をしていて、地震の時には
卓球台の下に潜り込んでいたとのこと。これから自宅に戻り状況を確認するらしい。
管理事務所では3人がラジオと携帯ワンセグで情報を得ようとしていた。
東電に停電状況を確認しようとしてもつながらないらしい。
地震は東北地方で発生し、震度が7だったことを初めて知った。
§停電の夜
当面は、停電が続くらしい。テレビもつか無いので情報が入らない。
停電だと電子レンジもバズーカストーブも使えない。
だんだんと冷えてきた夜は、石油ストーブと暖炉の2つが必要だった。
明かり用には、キャンプ用のロウソクランタンが役に立った。
夕飯は昼買った焼き鳥をストーブで温めて食べる。
暖炉の火、ストーブの火、ランタンの火、3つの火の競合を長い間眺めていた。
(暖炉と石油ストーブ)
(キャンプ用のランタン)
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