花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

岩手の実家に行って来ました。

2011年04月11日 | 日記

 一関市の実家の近くの田んぼから栗駒山を遠望

同じ付近からの展望図


上と同じ場所から焼石岳を遠望

同じ付近からの展望図 (写真の獅子ヶ鼻は中央付近になっています)

「 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)
数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)
数値地図50mメッシュ(標高) 及び数値地図10mメッシュ(火山標高) を使用した。
(承認番号 平22業使、第446号) 」

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4月8日のブログを書いた後、水や食料を持って岩手の
実家に車で行きました。

4月7日午後11時32分の地震は、実家のある一関市では
震度6弱との事でしたが、実家の場所が、震度6強を記録した
宮城県の栗原市とは、山を隔てた隣なので、6強並みの強さ
だったようです。

91歳の母の部屋のドアが飛び、枕元のタンスが崩れて
母のベットの上に倒れたそうです。

弟は母を助けようとしたが、倒れたものや散乱したもの
で、家の中を歩けず(このとき停電して真っ暗だった)
外に逃げ出したら、母が自力で窓から脱出してきたと言います。

物置の鉄骨の柱が折れ、あおりで居間と物置を結ぶ屋根が
落ちかかっていました。

弟やその家族と一緒に、家の中の片付けをして、何とか
自宅の中で生活出来るようにしました。

窓は破れ、サッシは曲がり、壁はヒビだらけですが
本宅の屋根が無事だったので、雨風は防げそうです。

数日間だけでしたが、停電と断水の辛さをいやと言うほど
味わいました。
災害ボランティアに参加するつもりでしたが、実際にこういう
生活をしてみると、想像以上に厳しい覚悟が必要ですね。
常日頃、自分がいかに便利な文明に甘えていたか
思い知らされます。

寝袋や山用のガスバーナーなどを持参したのは正解でした
合間に暖かいコーヒーを入れて、つかの間の幸せを味わいました。
岩手の明け方の冷え込みは、厳しいものですよ。

それにしても、つくば市で水のボトルが一人二本に制限されて
十分に持って行けなかったのが残念です。
たぶん、買いだめの影響ですね。

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8日に実家に行くとき、宇都宮から東北道を走り
宮城県の古川ICまでの間に、帰ってくる警視庁のパトカーと
何十台もすれ違いました。
きっと任務を交代して帰る車だったのでしょうね。
それと目立ったのが、陸自第二師団のホロ付きトラック
どうやら100キロの定速で走っているようでした。

前沢付近で法面の土砂崩れがあり、古川から水沢間は
通行止めになっていて、古川から一関まで、国道4号線を
走りましたが、停電で真っ暗闇、その上地震で道路はガタガタ
まるで波乗りのような具合でした。

反対車線の登りの4号線は、何故か大渋滞、夕方だったから
あれは通勤渋滞だったのでしょうか。

自宅に帰ってくるときは、通行止めも解除され、一関から
高速に乗れましたが、路面はガタガタでした。

自宅近くの磐井川の河岸に、貝塚のような貝殻の堆積した地層が有り
昔、そこを掘って鳥のえさとした時代があります。
その堀跡が長いトンネルになって残っています。

その上に、いつの間にか住宅が建ち並んでいましたが
今回の地震で、何カ所も陥没して、家が傾いていました。
何であんな場所の建築の許可を出したのか、行政のいい加減さに
あきれてしまいます。




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