花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

滑った転んだ筑波山

2012年06月17日 | 登山

シダをまとった木


ブナ平1


ブナ平2

今週末は会津の檜枝岐村のバンガローに泊まる予定なので
携帯できる食料を好日山荘に買いに行った。
ところが、震災の影響で、尾西の携帯食料の在庫が少ない
どうやら、自治体や会社の非常用の備蓄食糧として回されて
いるのだろうか。
私の好きな混ぜご飯がない。とりあえず似ているきのこご飯を
買った。


昼近く筑波山の男体山頂にホシザキユキノシタを見に行った
昨夜来の大雨で、登山道はぐちゃぐちゃにぬかるんでいる。
長靴を履いて登っていったが、下山の途中の岩場で見事に
滑って転んでしまった。
幸いにも用心して三脚をザックにくくりつけていたので
両手とズボンのお尻が少々汚れただけですんだ。

見ている人は何とも思わないのだが、転んだ本人はみっともない
気分で、思わずあたりを見回してしまうのは、人のサガなのだろうか

筑波山は低くてもやはり山である。山頂付近のホシザキユキノシタは
ほんの数輪が咲き始めたばかりだった。筑波山神社付近では
とうに満開を過ぎかけているのに


咲き始めのホシザキユキノシタ

女体山から弁慶茶屋に向かって降りていくと、北斗岩の先に
私の大好きな「ブナ平」がある。(注:ブナ平は仲間内の通称)
ブナの若葉の時期は特にお薦めの場所だ。
若葉のトンネルほど、心安らぐところはない。
それは東北生まれの私の血に流れている原始の絆かもしれない

裏面大黒や国割り石、陰陽石や母の胎内くぐりを抜けると
このコース最大の奇岩「弁慶の七戻り」につく。


弁慶の七戻りの奇岩を超えると、2011年9月の強風で倒れた
巨大な杉の切り株がある。

中心部が空洞になっているため、正確な年輪は判らないが
その代わり、外側から中心に向かって数えた年代を示す
プレートが貼ってある。

倒れたのが2011年だから、一番外側は2011年なのかな?
プレートの最初の年号は「2000」になっている。
ちなみに、プレートの年代を外側から列挙すると次のようになる
2000、昭和元年、1900、明治元年、ペリー来航
間宮林蔵樺太探検、1800、天明の飢饉、赤穂浪士討ち入り
1700

空洞の年代を含めて、杉の年輪は、徳川初期と推定されている
江戸幕府を開いたのが1603年だから、1600年代の中頃と
すれば、2011年-1650年=361年を数える
少なくとも300年は経っていると考えても良いかも。

筑波山は、筑波山神社の寺領として保護されてきた関係で
このような巨木が残ってきたと思える

また神社そのものも、徳川家の手厚い保護を受けてきた。
特に三代将軍家光の時代に、多くの堂塔伽藍が寄進された

その中の一つに「日枝神社」がある。
神社の東外れに建つこの「日枝神社」には、日光の三猿よりも
3年も前に造られた「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が
飾られている。

日枝神社の三猿
この工事に関わった大工達が、日光東照宮の造営にも関わったと
伝えられている。


=======================================================

八ヶ岳の絶滅危惧種「ホテイラン」の保護について

何故生育場所を公開しているのかと思われた方もいるでしょう
先日の私のブログでも、場所が推定できたと思います。

それは、生育場所が登山道のすぐ脇であるため、登山者には
すぐに判ることなので、非公開にするよりも、公開して保護を
徹底する方針で保護をしているとの事です。
ホテイランの花のみならず、花のない葉っぱにも個体識別番号の
プレートをつけて、盗掘を防ぎ、なおかつロープを張っています。

おかげで、普通はなかなか見られない絶滅危惧種を見る事が
できる訳ですから、私たちも協力して行きたいものですね。

詳しくは「八ヶ岳・霧ヶ峰植物手帳」の著者「新井和也」さんの
ブログをご覧ください。

KAZの活動日誌

この中に「八ヶ岳のホテイラン保護活動」という記事があります