さみだれ

2006-05-19 15:55:17 | くるま



          五月雨を 集めて早し 最上川

     

      


      クラスに、松尾 というやつが居ると、、、
  
      必ず、あだ名は、芭蕉である。


      奥の細道 の有名な句です。
      大それたあだ名を付けるものですが、
      今は、バンナイ というのも あるかもしれない。
      ともあれ、
      大好きな句でありまして、この時期は必ず思い出します。
      実家は、目の前が川なんですが、
      この時期、雨が降ると、ゴーゴーと流れる音、
      雨樋の雨水が流れる水をたたく音で、
      雨の度合いがわかる。

      石垣の隙間に手を入れ大きな川蟹を捕り、
      雨で濁った日などには、鰻が釣れた。
      今ではコンクリートの川岸となり
      そんなこともできなくなってしまった。


      写真は先週でかけた 三日月の滝 だが、
      ちょっと調べてみた。


    
      三日月の滝物語  伝説

    平安時代、京の都で醍醐天皇の御孫姫小於女院と、
    笛の名手の清原正高少納言が恋をしました。
    しかし、身分の違いから正高郷は豊後の国に
    配せられてしまいました。
    それでも正高郷を慕う小於女院は、
    恋しさのあまり十一人の侍女を伴い、
    はるばると当地の玖珠までやってきました。
    やっとの思いで三日月の滝のほとりまでたどりついた時、
    一人の老人から「正高郷はすでに矢野氏の姫を妻に迎え、
    長野の館に住んでいる」と聞きました。
    傷ついた姫は、旅に使った笠や衣を松の木の枝に掛け
    「笛竹のひとよの節と知るならば 吹くとも風になびかざらまし」
    と辞世の歌を詠み、十一人の侍女と手を組み携えて、
    滝の水底に身を投じました。
    正高郷はこの話を問いて驚き、
    小松女院と十一人の侍女の御墓所を三日月の滝のほとりにを作り、
    神社を建て御魂を鎮めたといいます。
    



    いっしょに行った子供達のも教えておこう。
    名前の由来は、わからなかった。
    平安の頃にはすでに三日月の滝と呼んでいるようだ。
    この場所は、川の流れが大きく蛇行してあり、
    三日月の形に見えたり、三日月湖があったのかもしれない。
    天気の良い日にまた行くことにする。  


    それと、一度、最上川も訪れて見たいものである。 nose8




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