羽生第一高校の文化祭は毎年9月に開催される。
別の用事と重なってしまう年もあるが、
わりとまめに足を運んでいる方だと思う。
僕が在学していた頃は、土日2日間の開催だった。
当時は「後夜祭」はなく、花火が打ち上がることもなかった。
卒業してから20年以上も経つのだから、
色々なことが変わっていくのは当然だろう。
近年は学校周辺で開発が進められ、
あと数年もしたらまるっきり変わってしまうに違いない。
校舎の窓からは、建設途中の病院の建物が見えた。
変わらないものもある。
それは体育館で行われるステージ。
毎年有志バンドがステージの上に立ち、爆音を響かせる。
僕の1つ上の先輩は、
卒業年次の夏にステージに立った。
バンドのギタリスト。
ライトを浴び、ギターを奏でていた。
どんな曲を弾いていたのかは忘れてしまった。
他のメンバーも知らない。
バンドの名前さえ記憶の彼方だ。
ただ、先輩の姿だけが瞼の奥に焼き付いている。
当時、僕もギターを弾いていた。
ただ、完全なる引きこもりギターで、
いつかは人前で弾けたらいいな、というくらいの感覚だった。
だから、ステージの上に立つ先輩が少しだけ羨ましかったのを覚えている。
夢は具体的に描かなければ叶わない。
僕がギターから得た教訓。
本当に人前で弾きたかったならば、
具体的な行動に出ていただろう。
ソロで長渕剛の曲を熱唱した同級生もいたのだから。
高校卒業後、先輩は音楽の道に進んだ。
都内の音楽の学校へ行くという。
それを知った後輩たちは意外に思っただろうか。
それとも予想通りだっただろうか。
僕はどちらかと言えば前者で、
「本当ですか?」と聞き返したけれど、
全然予想外だったかと言えばそうでもない。
高校を卒業したあと、先輩と高田馬場でばったり会ったことがある。
ギターケースを肩に掛けた先輩は大人びて見えた。
高校の校舎で会っていた頃とは違う空気を身にまとっていた。
きっと僕らが共有していた場からは全く離れてしまったのだろう、お互いに。
何とはなしにそう思った。
少し立ち話したあと先輩と別れた。
先輩はピックを投げるように手を振った。
それが、いまのところ僕が先輩を見た最後となっている。
ミュージシャンの道をそのまま真っ直ぐ突き進んだのだろうか。
先輩を知る共通の知人ともだんだん距離が離れてしまった。
環境が変われば、そこで出会った人と新しい時間を重ねていく。
「高校時代」の終わりを感じたのは、たぶんそういうときだった。
ところが、ふとしたきっかけで風の便りが届いた。
先輩はいまでもギターを弾いているという。
それを生業にしているのかはわからないけれど、
音楽に携わっていることは間違いないらしい。
ギターを弾く30代の先輩の姿も写真で目にした。
その写真に、文化祭のステージに立つ姿と重なった。
30代になっても「先輩」だとわかる。
ギターを持つ姿勢、雰囲気、その横顔……。
短くはない歳月を感じさせる一方で、
何も変わっていないように見えた。
僕を呼ぶ先輩の声がいまにも聞こえてきそうだった。
2017年に足を運んだ羽一の文化祭。
体育館では有志バンドが爆音を響かせる。
僕らが高校生だった頃に生まれてもなかった子たちだ。
ステージがとても遠くに見える。
僕はふと、ステージに立つ先輩の姿を探した。
もちろんいるはずもないことはわかっている。
頭ではわかっているけど、
あの頃の面影を追ってしまうのはなぜだろう。
体育館中に響き渡るエレキギターの音。
がなるように歌う高校生たち。
いつの間にか流れた20年もの歳月。
先輩はいま、どんな風にギターを弾くのだろう。
その音は僕の心にどう響くのだろうか。
本当にやりたいなら行動に移せばいい。
ほろ苦く胸が痛む。
ステージでギターを弾く先輩の面影を探しながら、
僕は16歳のようにそこに立っていた。
別の用事と重なってしまう年もあるが、
わりとまめに足を運んでいる方だと思う。
僕が在学していた頃は、土日2日間の開催だった。
当時は「後夜祭」はなく、花火が打ち上がることもなかった。
卒業してから20年以上も経つのだから、
色々なことが変わっていくのは当然だろう。
近年は学校周辺で開発が進められ、
あと数年もしたらまるっきり変わってしまうに違いない。
校舎の窓からは、建設途中の病院の建物が見えた。
変わらないものもある。
それは体育館で行われるステージ。
毎年有志バンドがステージの上に立ち、爆音を響かせる。
僕の1つ上の先輩は、
卒業年次の夏にステージに立った。
バンドのギタリスト。
ライトを浴び、ギターを奏でていた。
どんな曲を弾いていたのかは忘れてしまった。
他のメンバーも知らない。
バンドの名前さえ記憶の彼方だ。
ただ、先輩の姿だけが瞼の奥に焼き付いている。
当時、僕もギターを弾いていた。
ただ、完全なる引きこもりギターで、
いつかは人前で弾けたらいいな、というくらいの感覚だった。
だから、ステージの上に立つ先輩が少しだけ羨ましかったのを覚えている。
夢は具体的に描かなければ叶わない。
僕がギターから得た教訓。
本当に人前で弾きたかったならば、
具体的な行動に出ていただろう。
ソロで長渕剛の曲を熱唱した同級生もいたのだから。
高校卒業後、先輩は音楽の道に進んだ。
都内の音楽の学校へ行くという。
それを知った後輩たちは意外に思っただろうか。
それとも予想通りだっただろうか。
僕はどちらかと言えば前者で、
「本当ですか?」と聞き返したけれど、
全然予想外だったかと言えばそうでもない。
高校を卒業したあと、先輩と高田馬場でばったり会ったことがある。
ギターケースを肩に掛けた先輩は大人びて見えた。
高校の校舎で会っていた頃とは違う空気を身にまとっていた。
きっと僕らが共有していた場からは全く離れてしまったのだろう、お互いに。
何とはなしにそう思った。
少し立ち話したあと先輩と別れた。
先輩はピックを投げるように手を振った。
それが、いまのところ僕が先輩を見た最後となっている。
ミュージシャンの道をそのまま真っ直ぐ突き進んだのだろうか。
先輩を知る共通の知人ともだんだん距離が離れてしまった。
環境が変われば、そこで出会った人と新しい時間を重ねていく。
「高校時代」の終わりを感じたのは、たぶんそういうときだった。
ところが、ふとしたきっかけで風の便りが届いた。
先輩はいまでもギターを弾いているという。
それを生業にしているのかはわからないけれど、
音楽に携わっていることは間違いないらしい。
ギターを弾く30代の先輩の姿も写真で目にした。
その写真に、文化祭のステージに立つ姿と重なった。
30代になっても「先輩」だとわかる。
ギターを持つ姿勢、雰囲気、その横顔……。
短くはない歳月を感じさせる一方で、
何も変わっていないように見えた。
僕を呼ぶ先輩の声がいまにも聞こえてきそうだった。
2017年に足を運んだ羽一の文化祭。
体育館では有志バンドが爆音を響かせる。
僕らが高校生だった頃に生まれてもなかった子たちだ。
ステージがとても遠くに見える。
僕はふと、ステージに立つ先輩の姿を探した。
もちろんいるはずもないことはわかっている。
頭ではわかっているけど、
あの頃の面影を追ってしまうのはなぜだろう。
体育館中に響き渡るエレキギターの音。
がなるように歌う高校生たち。
いつの間にか流れた20年もの歳月。
先輩はいま、どんな風にギターを弾くのだろう。
その音は僕の心にどう響くのだろうか。
本当にやりたいなら行動に移せばいい。
ほろ苦く胸が痛む。
ステージでギターを弾く先輩の面影を探しながら、
僕は16歳のようにそこに立っていた。
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