クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

2017年、羽一の文化祭にて

2017年09月05日 | はにゅう萌え
羽生第一高校の文化祭は毎年9月に開催される。
別の用事と重なってしまう年もあるが、
わりとまめに足を運んでいる方だと思う。

僕が在学していた頃は、土日2日間の開催だった。
当時は「後夜祭」はなく、花火が打ち上がることもなかった。

卒業してから20年以上も経つのだから、
色々なことが変わっていくのは当然だろう。
近年は学校周辺で開発が進められ、
あと数年もしたらまるっきり変わってしまうに違いない。
校舎の窓からは、建設途中の病院の建物が見えた。

変わらないものもある。
それは体育館で行われるステージ。
毎年有志バンドがステージの上に立ち、爆音を響かせる。

僕の1つ上の先輩は、
卒業年次の夏にステージに立った。
バンドのギタリスト。
ライトを浴び、ギターを奏でていた。

どんな曲を弾いていたのかは忘れてしまった。
他のメンバーも知らない。
バンドの名前さえ記憶の彼方だ。
ただ、先輩の姿だけが瞼の奥に焼き付いている。

当時、僕もギターを弾いていた。
ただ、完全なる引きこもりギターで、
いつかは人前で弾けたらいいな、というくらいの感覚だった。
だから、ステージの上に立つ先輩が少しだけ羨ましかったのを覚えている。

夢は具体的に描かなければ叶わない。
僕がギターから得た教訓。
本当に人前で弾きたかったならば、
具体的な行動に出ていただろう。
ソロで長渕剛の曲を熱唱した同級生もいたのだから。

高校卒業後、先輩は音楽の道に進んだ。
都内の音楽の学校へ行くという。
それを知った後輩たちは意外に思っただろうか。
それとも予想通りだっただろうか。
僕はどちらかと言えば前者で、
「本当ですか?」と聞き返したけれど、
全然予想外だったかと言えばそうでもない。

高校を卒業したあと、先輩と高田馬場でばったり会ったことがある。
ギターケースを肩に掛けた先輩は大人びて見えた。
高校の校舎で会っていた頃とは違う空気を身にまとっていた。
きっと僕らが共有していた場からは全く離れてしまったのだろう、お互いに。
何とはなしにそう思った。

少し立ち話したあと先輩と別れた。
先輩はピックを投げるように手を振った。
それが、いまのところ僕が先輩を見た最後となっている。

ミュージシャンの道をそのまま真っ直ぐ突き進んだのだろうか。
先輩を知る共通の知人ともだんだん距離が離れてしまった。
環境が変われば、そこで出会った人と新しい時間を重ねていく。
「高校時代」の終わりを感じたのは、たぶんそういうときだった。

ところが、ふとしたきっかけで風の便りが届いた。
先輩はいまでもギターを弾いているという。
それを生業にしているのかはわからないけれど、
音楽に携わっていることは間違いないらしい。
ギターを弾く30代の先輩の姿も写真で目にした。

その写真に、文化祭のステージに立つ姿と重なった。
30代になっても「先輩」だとわかる。
ギターを持つ姿勢、雰囲気、その横顔……。
短くはない歳月を感じさせる一方で、
何も変わっていないように見えた。
僕を呼ぶ先輩の声がいまにも聞こえてきそうだった。

2017年に足を運んだ羽一の文化祭。
体育館では有志バンドが爆音を響かせる。
僕らが高校生だった頃に生まれてもなかった子たちだ。
ステージがとても遠くに見える。

僕はふと、ステージに立つ先輩の姿を探した。
もちろんいるはずもないことはわかっている。
頭ではわかっているけど、
あの頃の面影を追ってしまうのはなぜだろう。

体育館中に響き渡るエレキギターの音。
がなるように歌う高校生たち。
いつの間にか流れた20年もの歳月。

先輩はいま、どんな風にギターを弾くのだろう。
その音は僕の心にどう響くのだろうか。
本当にやりたいなら行動に移せばいい。
ほろ苦く胸が痛む。
ステージでギターを弾く先輩の面影を探しながら、
僕は16歳のようにそこに立っていた。

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