大河ドラマ「風林火山」。
「両雄死す」の回では“板垣信方”(千葉信一)と
“甘利虎泰”(竜雷太)が華々しく散りました。
男のドラマ満載の「風林火山」において、
彼らの死は中間地点のクライマックスでしょう。
合戦の舞台は上田原(長野県上田)。
天文17年(1548)2月14日、“武田晴信”と“村上義清が”激しく干戈を交えます。
世に言う上田原の戦いです。
村上義清は猛将で知られる男。
まるで川中島の上杉謙信のように、
晴信目がけて一直線に切り込んだと伝えられます。
当時、晴信は28歳。
彼もまた血気盛んに義清に向かっていくのでした。
しかし、武田軍の敗北で終わるこの戦い。
晴信自ら傷を負い、板垣信方や甘利虎泰らの重臣たちは戦場の露と消えてしまいます。
ドラマでは華々しく戦死を遂げた重臣たちでしたが、
実際は少々違うようです。
この上田原の戦いで先鋒を務めた板垣信方は、
村上軍の第一線を突破し、いわば前哨戦を勝利で飾りました。
ところがこの信方、何を思ったか敵陣で首実検を始めてしまいます。
そもそも首実検は総大将の武田晴信が執行するもの。
ドラマでは影武者を置き、敵をひきつける策としていましたが、
実際はどうだったのでしょう。
これを知った村上勢は、首実検中の板垣陣を奇襲。
信方はミイラ取りがミイラになるかのごとく、
逆に首を討ち取られてしまうのです。
「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。
勝利や成功を収めても、用心を怠ってはならないという意味ですが、
信方の場合緒が緩んでしまったのかもしれません。
ドラマでは劇的に彼の死が描かれていました。
しかし、あまり華々しくなると劇画的になります。
首実検中に首をとられたとする方が、まだ人間くささがあるというもの。
ときとして戦国武将の生き様は、
現代に生きる我々に警句を与えてくれます。
「両雄死す」の回では“板垣信方”(千葉信一)と
“甘利虎泰”(竜雷太)が華々しく散りました。
男のドラマ満載の「風林火山」において、
彼らの死は中間地点のクライマックスでしょう。
合戦の舞台は上田原(長野県上田)。
天文17年(1548)2月14日、“武田晴信”と“村上義清が”激しく干戈を交えます。
世に言う上田原の戦いです。
村上義清は猛将で知られる男。
まるで川中島の上杉謙信のように、
晴信目がけて一直線に切り込んだと伝えられます。
当時、晴信は28歳。
彼もまた血気盛んに義清に向かっていくのでした。
しかし、武田軍の敗北で終わるこの戦い。
晴信自ら傷を負い、板垣信方や甘利虎泰らの重臣たちは戦場の露と消えてしまいます。
ドラマでは華々しく戦死を遂げた重臣たちでしたが、
実際は少々違うようです。
この上田原の戦いで先鋒を務めた板垣信方は、
村上軍の第一線を突破し、いわば前哨戦を勝利で飾りました。
ところがこの信方、何を思ったか敵陣で首実検を始めてしまいます。
そもそも首実検は総大将の武田晴信が執行するもの。
ドラマでは影武者を置き、敵をひきつける策としていましたが、
実際はどうだったのでしょう。
これを知った村上勢は、首実検中の板垣陣を奇襲。
信方はミイラ取りがミイラになるかのごとく、
逆に首を討ち取られてしまうのです。
「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。
勝利や成功を収めても、用心を怠ってはならないという意味ですが、
信方の場合緒が緩んでしまったのかもしれません。
ドラマでは劇的に彼の死が描かれていました。
しかし、あまり華々しくなると劇画的になります。
首実検中に首をとられたとする方が、まだ人間くささがあるというもの。
ときとして戦国武将の生き様は、
現代に生きる我々に警句を与えてくれます。
もともと学生時代から、日本史が好きでしたが、学校で習った程度しかしりません。
しかし、ドラマとはいえ、今回の板垣を観て、上田市の史跡に行ってみたいと思ったほどでした。
これからも、興味深い歴史上のお話をたのしみにしています。ブックマークさせていただきます。
はじめまして!
コメントを寄せていただきありがとうございます。
今年の大河ドラマは見応えがありますよね。
「風林火山」の登場人物はみんな魅力的です。
千葉信一さんはこの板垣信方役をもって引退されるようですが、
見事に有終の美を飾ったと思います。
今後は「板垣信方=千葉信一」になってしまいそうです。
拙ブログでは歴史を主軸においていますが、
ときに“トレンド”として歴史とはあまり関係のない記事も載せています。
今後ともご高覧いただければ幸いです。
お気軽に遊びにきて下さいね。