クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「風林火山」の“板垣信方”。実際はどう討ち取られた?

2007年07月17日 | 戦国時代の部屋
大河ドラマ「風林火山」。
「両雄死す」の回では“板垣信方”(千葉信一)と
“甘利虎泰”(竜雷太)が華々しく散りました。
男のドラマ満載の「風林火山」において、
彼らの死は中間地点のクライマックスでしょう。

合戦の舞台は上田原(長野県上田)。
天文17年(1548)2月14日、“武田晴信”と“村上義清が”激しく干戈を交えます。
世に言う上田原の戦いです。
村上義清は猛将で知られる男。
まるで川中島の上杉謙信のように、
晴信目がけて一直線に切り込んだと伝えられます。

当時、晴信は28歳。
彼もまた血気盛んに義清に向かっていくのでした。
しかし、武田軍の敗北で終わるこの戦い。
晴信自ら傷を負い、板垣信方や甘利虎泰らの重臣たちは戦場の露と消えてしまいます。

ドラマでは華々しく戦死を遂げた重臣たちでしたが、
実際は少々違うようです。
この上田原の戦いで先鋒を務めた板垣信方は、
村上軍の第一線を突破し、いわば前哨戦を勝利で飾りました。
ところがこの信方、何を思ったか敵陣で首実検を始めてしまいます。

そもそも首実検は総大将の武田晴信が執行するもの。
ドラマでは影武者を置き、敵をひきつける策としていましたが、
実際はどうだったのでしょう。
これを知った村上勢は、首実検中の板垣陣を奇襲。
信方はミイラ取りがミイラになるかのごとく、
逆に首を討ち取られてしまうのです。

「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があります。
勝利や成功を収めても、用心を怠ってはならないという意味ですが、
信方の場合緒が緩んでしまったのかもしれません。
ドラマでは劇的に彼の死が描かれていました。
しかし、あまり華々しくなると劇画的になります。
首実検中に首をとられたとする方が、まだ人間くささがあるというもの。
ときとして戦国武将の生き様は、
現代に生きる我々に警句を与えてくれます。


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2 コメント

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はじめまして (りり)
2007-07-17 10:43:27
興味深い内容で、すごく分かり易く読ませて頂きました。「風林火山」楽しんでいます。
もともと学生時代から、日本史が好きでしたが、学校で習った程度しかしりません。
しかし、ドラマとはいえ、今回の板垣を観て、上田市の史跡に行ってみたいと思ったほどでした。
これからも、興味深い歴史上のお話をたのしみにしています。ブックマークさせていただきます。
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ありがとうございます。 (クニ)
2007-07-17 19:29:04
りりさん

はじめまして!
コメントを寄せていただきありがとうございます。
今年の大河ドラマは見応えがありますよね。
「風林火山」の登場人物はみんな魅力的です。
千葉信一さんはこの板垣信方役をもって引退されるようですが、
見事に有終の美を飾ったと思います。
今後は「板垣信方=千葉信一」になってしまいそうです。

拙ブログでは歴史を主軸においていますが、
ときに“トレンド”として歴史とはあまり関係のない記事も載せています。
今後ともご高覧いただければ幸いです。
お気軽に遊びにきて下さいね。
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