僕以外の家族が全員インフルエンザにかかり、
しばらく家事に追われる日々を送りました。
ある日、夕飯に炊き込みご飯を作ったときのことです。
ふと小学3、4年生に担任だった女性の先生のことを思い出しました。
先生はときどき、給食であまったまぜご飯をおにぎりにしていたからです。
大量に残ったご飯を戻すのは忍びなかったのでしょう。
先生は腕まくりをすると、せっせとおにぎりを作っていきました。
もう「ごちそうさま」をしたあとです。
配膳の片付けをしている真っ最中で、
すでに教室を出て行った子もいます。
それに、作ったおにぎりを全員に配るわけではありません。
まだお腹に余裕のある子だけ食べなさい、というものでした。
先生の作ったおにぎりは、やけにおいしそうに見えたのを覚えています。
相手は小学生ですからさほど大きなものではなく、
量も10個前後だったでしょうか。
僕は全くお腹が空いていないのに、
先生が作ったおにぎりには必ず手を伸ばしていました。
おいしそうに見えたからにほかなりません。
そして、実際にそのおにぎりはとてもおいしいものでした。
満腹状態なのにおいしいおにぎりというのは、
やはり先生が握ったからなのでしょう。
とても厳しいイメージのある先生だっただけに、
何か特別のもののように見えたのかもしれません。
先生が握ったおにぎりの味は、約30年が過ぎたいまもはっきりと覚えています。
だから、まぜご飯や炊き込みご飯を見たり食べたりするときに、
ふと思い出すのでしょう。
懐かしい感情と同時に、またあのおにぎりを食べたいと思うのです。
おにぎりを食べられたのは、
あの先生を担任に持った僕らの特権だったわけですから。
小学5年生にあがると、別の先生が担任になりました。
はっきりと覚えていませんが、
おにぎりを作った先生はほかの学校へ移っていった気がします。
先生の消息は知りません。
風の噂で先生のことを聞くことはありましたが、
その真相を確かめる術は幼かった僕にはありませんでした。
大人になって、知り合いの先生に訊ねてみても首を傾げられるばかりです。
世代としても、もうだいぶ上なのでしょう。
町で偶然見かけることもありません。
また、普段から先生を探しているわけでもありません。
40歳になり、先生のおにぎりを思い出したのは、
家族がインフルエンザになったのがきっかけです。
炊き込みご飯を作らなければ、思い出すことはなかったでしょう。
逆の言い方をすれば、50歳や60歳になっても、
炊き込みご飯やまぜご飯を見たり食べたりしたとき、
同じように脳裡に浮かぶのに違いありません。
五感の記憶は強いものです。
特に、味と匂いは瞬く間に記憶を蘇らせます。
寂しいのは、あのときのおにぎりをもう食べることができないということ。
お店へ行き、お金を払えば食べられるというわけではありません。
あのとき、あの場所でしか味わえなかったものです。
宿題の量はやたら多く、テストは必ず抜き打ちで、
妥協を許さず、どんなものでも全力だった先生。
小学生時代、一番勉強したと実感しているのは、
その先生が担任だった2年間にほかなりません。
そんな先生が、昼休みの一コマに作ったおにぎりでした。
その味をよく覚えているのは、
先生の優しさとあたたかさを、おにぎり越しに感じたからなのかもしれません。
しばらく家事に追われる日々を送りました。
ある日、夕飯に炊き込みご飯を作ったときのことです。
ふと小学3、4年生に担任だった女性の先生のことを思い出しました。
先生はときどき、給食であまったまぜご飯をおにぎりにしていたからです。
大量に残ったご飯を戻すのは忍びなかったのでしょう。
先生は腕まくりをすると、せっせとおにぎりを作っていきました。
もう「ごちそうさま」をしたあとです。
配膳の片付けをしている真っ最中で、
すでに教室を出て行った子もいます。
それに、作ったおにぎりを全員に配るわけではありません。
まだお腹に余裕のある子だけ食べなさい、というものでした。
先生の作ったおにぎりは、やけにおいしそうに見えたのを覚えています。
相手は小学生ですからさほど大きなものではなく、
量も10個前後だったでしょうか。
僕は全くお腹が空いていないのに、
先生が作ったおにぎりには必ず手を伸ばしていました。
おいしそうに見えたからにほかなりません。
そして、実際にそのおにぎりはとてもおいしいものでした。
満腹状態なのにおいしいおにぎりというのは、
やはり先生が握ったからなのでしょう。
とても厳しいイメージのある先生だっただけに、
何か特別のもののように見えたのかもしれません。
先生が握ったおにぎりの味は、約30年が過ぎたいまもはっきりと覚えています。
だから、まぜご飯や炊き込みご飯を見たり食べたりするときに、
ふと思い出すのでしょう。
懐かしい感情と同時に、またあのおにぎりを食べたいと思うのです。
おにぎりを食べられたのは、
あの先生を担任に持った僕らの特権だったわけですから。
小学5年生にあがると、別の先生が担任になりました。
はっきりと覚えていませんが、
おにぎりを作った先生はほかの学校へ移っていった気がします。
先生の消息は知りません。
風の噂で先生のことを聞くことはありましたが、
その真相を確かめる術は幼かった僕にはありませんでした。
大人になって、知り合いの先生に訊ねてみても首を傾げられるばかりです。
世代としても、もうだいぶ上なのでしょう。
町で偶然見かけることもありません。
また、普段から先生を探しているわけでもありません。
40歳になり、先生のおにぎりを思い出したのは、
家族がインフルエンザになったのがきっかけです。
炊き込みご飯を作らなければ、思い出すことはなかったでしょう。
逆の言い方をすれば、50歳や60歳になっても、
炊き込みご飯やまぜご飯を見たり食べたりしたとき、
同じように脳裡に浮かぶのに違いありません。
五感の記憶は強いものです。
特に、味と匂いは瞬く間に記憶を蘇らせます。
寂しいのは、あのときのおにぎりをもう食べることができないということ。
お店へ行き、お金を払えば食べられるというわけではありません。
あのとき、あの場所でしか味わえなかったものです。
宿題の量はやたら多く、テストは必ず抜き打ちで、
妥協を許さず、どんなものでも全力だった先生。
小学生時代、一番勉強したと実感しているのは、
その先生が担任だった2年間にほかなりません。
そんな先生が、昼休みの一コマに作ったおにぎりでした。
その味をよく覚えているのは、
先生の優しさとあたたかさを、おにぎり越しに感じたからなのかもしれません。
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