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クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

卵かけご飯はかなりの“ごちそう”だった? ―子ども学芸員(84)―

2013年08月14日 | 子どもの部屋
幼い頃、「卵焼きはごちそうだった」と、母親から聞いたことがある。
運動会のときくらいしか食べられなかったらしい。

田舎でニワトリを飼っていれば、
毎日卵が食べられるというそんな単純なものではない。
卵は貴重な現金収入としてお金に換え、
あるいは贈り物としたため、なかなか食べることができなかったという。

かつては、ハレの日(晴れの日)のごちそうがあった。
正月やお祭りなどの“年中行事”や、
結婚や帯祝いなど“人生儀礼”の日などに食べるごちそうで、
普段口にできないものが多かった。

いまでは意外に思うだろうが、“白米”はごちそうの一つだった。
現在のように白米が一般的に食べられるようになったのは昭和30年代からで、
それ以前は“大麦”が主食だったのだ。
米に麦を混ぜて炊く麦飯が主流で、
稗(ひえ)や粟(あわ)を合わせる地域もあった。

羽生市内では、田んぼよりも畑地の方が多い地域があり、
そこでは麦を混ぜて食べていたのだろう。
または、すいとんやうどんにして空腹を満たした。
小川にもうなぎがたくさんいたというくらいだから、
川魚は貴重なタンパク源だったに違いない。

ぼくが幼い頃に放送していた「日本昔ばなし」では、
「おらぁ、白いまんまが食いてぇだぁ」というセリフをよく聞いた気がする。
江戸時代とおぼしき登場人物たちが、
できることなら白いご飯が食べたいというニュアンスだ。

それは、滅多に白米が食べられなかったことを意味している。
すでに述べたが、何も混ざっていない白米を食べられるようになったのは、
高度経済成長期を迎える昭和30年代からで、
ずっと昔から「飽食」だったわけではない。

そんな白いご飯に、卵を落として食べる料理はなんてぜいたくなのだろう。
いまではシンプルで、粗食と思われるかもしれない。
あまりに簡単すぎて、
卵かけご飯をしばらく食べてないという人も少なくないと思う。

でも、昔の人にとってはごちそうこの上なかったのだ。
ハレの日でもあまり口にできなかったかもしれない。
逆に言えば、いまの時代はいかに毎日が「ごちそう」なのかがわかる。
昔の人が現在を見たとき、一番羨ましく思うのはそのことかもしれない。

ちなみに、ぼくはご飯の上に卵を割って、かき混ぜる派だ。
以前はかき混ぜてからご飯にかけていたが、
いつの間にか前者になっている。
噂に聞くと、卵かけご飯専用のしょうゆはかなりおいしいらしい。

シンプルな料理だから贅沢なものがある。
飽食の時代だからこそ、大切に味わっていただこう。


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