
神社の一角に建つ“芥川龍之介”の碑。
蓮田市の稲荷神社の境内にそれはある。
その名も「関口廣庵頌徳碑」。
“関口廣庵”とは旧平野村根金(現蓮田市)に生まれた人物で、
本名を関口平太郎という。
岩槻で按摩や針灸を修行後、東京で開業。
その近くに芥川龍之介が住んでいた。
龍之介は関口氏に治療してもらっていたらしい。
神経質な龍之介にとって、関口氏の治療は心地よいものだったかもしれない。
特に薬物自殺を図る晩年に治療を受けていることから、
龍之介の疲弊ぶりは関口氏には手に取るようにわかっただろう。
そんな関口廣庵を讃える碑が建立されたのは大正6年のこと。
裏の碑銘を見ると「発起人」として、
「村社稲荷社 氏子一同」とある。
碑の表面には関口氏の功績が刻されており、
最後に撰文をしたとして「文学士芥川龍之介」の名前が見える。
特徴的なのは、碑文が芥川龍之介の自筆の書ということ。
お堅い書体ではなく、柔らかくてどこかぬくもりさえ感じられる。
龍之介が25歳のときの撰文及び書ということで、
平成15年に建てられた説明板によると、
「全国の龍之介の碑文中で最も古いものとされ」るらしい。
しかも、自筆文章の碑は唯一のものだとか。
関口廣庵の碑の建立のいきさつは定かではない。
話が具体化するにつれ、関口氏は撰文を近所に住む龍之介に頼んだのかもしれない。
龍之介は35歳で自らこの世を去ってしまうが、
関口氏は63歳まで生き、家業に勤しんだという。
芥川龍之介に親しむ本好きの人は多いだろう。
各出版社の「夏の100冊」の影響のせいか、
僕は夏になると芥川作品を再読したくなることが多い。
朗読CDでも芥川作品に親しんでいるが、
読むほど聞くほどに味わいが出てくる。
蓮田市の龍之介の碑は自筆文章唯一のものという。
まるでそこに龍之介自身が佇んでいるようではないか。
今年も夏がやってくる。
「本」という形態ではなく、
「碑」の文で芥川龍之介に触れてみると、
一味違った楽しみ方ができるかもしれない。
蓮田市の稲荷神社の境内にそれはある。
その名も「関口廣庵頌徳碑」。
“関口廣庵”とは旧平野村根金(現蓮田市)に生まれた人物で、
本名を関口平太郎という。
岩槻で按摩や針灸を修行後、東京で開業。
その近くに芥川龍之介が住んでいた。
龍之介は関口氏に治療してもらっていたらしい。
神経質な龍之介にとって、関口氏の治療は心地よいものだったかもしれない。
特に薬物自殺を図る晩年に治療を受けていることから、
龍之介の疲弊ぶりは関口氏には手に取るようにわかっただろう。
そんな関口廣庵を讃える碑が建立されたのは大正6年のこと。
裏の碑銘を見ると「発起人」として、
「村社稲荷社 氏子一同」とある。
碑の表面には関口氏の功績が刻されており、
最後に撰文をしたとして「文学士芥川龍之介」の名前が見える。
特徴的なのは、碑文が芥川龍之介の自筆の書ということ。
お堅い書体ではなく、柔らかくてどこかぬくもりさえ感じられる。
龍之介が25歳のときの撰文及び書ということで、
平成15年に建てられた説明板によると、
「全国の龍之介の碑文中で最も古いものとされ」るらしい。
しかも、自筆文章の碑は唯一のものだとか。
関口廣庵の碑の建立のいきさつは定かではない。
話が具体化するにつれ、関口氏は撰文を近所に住む龍之介に頼んだのかもしれない。
龍之介は35歳で自らこの世を去ってしまうが、
関口氏は63歳まで生き、家業に勤しんだという。
芥川龍之介に親しむ本好きの人は多いだろう。
各出版社の「夏の100冊」の影響のせいか、
僕は夏になると芥川作品を再読したくなることが多い。
朗読CDでも芥川作品に親しんでいるが、
読むほど聞くほどに味わいが出てくる。
蓮田市の龍之介の碑は自筆文章唯一のものという。
まるでそこに龍之介自身が佇んでいるようではないか。
今年も夏がやってくる。
「本」という形態ではなく、
「碑」の文で芥川龍之介に触れてみると、
一味違った楽しみ方ができるかもしれない。

勝目梓が伯父さんだって人に会ったことあるけど、本を送ってくると親が全部燃やすんだと言ってたなあ。せっかくだから、読んでから燃やせばいいのに〰っ。サユ〰っ。