goo blog サービス終了のお知らせ 

クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“須影(すかげ)”ってどんな意味? ―子ども昔語り(24)―

2007年08月17日 | 子どもの部屋
羽生市須影(すかげ)にはいま“会の川”は流れていませんが、
かつて古利根川が入り込んでいた跡がところどころに見られます。
その昔、砂山で3つに分かれた利根川のひとつが、須影に流れていたのです。
須影小学校の裏を流れる“手子堀用水路”は、
その利根川の旧流路のひとつです。

しかし、昔の利根川は流れが安定していたわけではありません。
まとまった雨が降ればすぐにその流れを変えていました。
なので、手子堀用水路だけでなく、
地面より下がった田んぼや、須影公民館の裏なども、
かつて川が流れていた跡として見ることができます。

須影保育園のあたりは丘になっていますが、
これは“河畔砂丘(かはんさきゅう)”です。
須影河畔砂丘と呼ばれ、
古利根川が運んだ土砂と風によって作られました。
なので、付近の地面は砂地で須影元中学校のグラウンドが水はけがいいのは、
古利根川の置きみやげのようなものでしょう。

そもそも“須影(すかげ)”というこの地名、
須(=洲)は川の流れによってできた“自然堤防”を指し、
影は“後ろ”という意味があります。
つまり、「自然堤防の後ろにできた村」とことから、
須影という名前がつけられたのです。

川が流れた跡を耕して田んぼにしたところを“川田”と言い、
古い本には「渡川」という小字(こあざ)がついています。
いまでは想像もできませんが、
昔は須影に川を渡るための“渡し場”があったのでしょう。
高台に上ったとき、須影を流れる豊かな利根川を見ることができたはずです。

このように須影は古利根川の面影をたくさん残し、
かつては八百八筋の川だった板東太郎(利根川)を見ることができます。

※画像は古利根川が流れていた場所です。
 現在は田んぼとなり、地名に“川田”とつけられています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “須影”を舞台にした短編のご... | トップ | 8月18日生まれの人物は?(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

子どもの部屋」カテゴリの最新記事