クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“真名板高山古墳”に代行を向かわせる?

2016年02月11日 | 考古の部屋
体調不良が長く続いている。
喉の痛みは人生最大のもので、
苦痛で眠れない夜を幾夜も過ごした。

職場にも迷惑をかけた。
不幸中の幸いだったのは、この時期に講師の仕事がなかったこと。
声を出すのもひと苦労だったから、
もし講師の仕事が入っていたら断らざるを得なかったと思う。

友人と山登りに行く約束をしていたが、それもキャンセル。
好きなラーメンは食べられない。
というより、唾を呑み込むのも苦行。
もし山登りに行っていたら、
修行僧のように終始無言のままだったかもしれない。

ところで、体調不良になると、何の脈絡もなく思い浮かぶ史跡がある。
今回思い浮かんだのは、
真名板高山古墳(行田市)。

なぜ真名板の古墳なのか自分でもよくわからない。
真名板高山古墳は数メートル埋没している前方後円墳だ。
麓には薬師堂が建ち、
かつてここが真名板氏の館跡だったことを伝える石碑も建っている。

往古、花蔵院という真義真言宗のお寺があったという。
古墳の麓に墓地があるのはそのためだろう。
近くには久伊豆神社が鎮座し、花蔵院が別当を務めていた。

ぴんと来る第六感は大切だ。
実際に足を運ぶと、突然何かがひらめいたり、新しい発見があったりする。
ぼくは動物占いがペガサスだから、
直感はわりと大切にしている。
とはいえ、何もないことももちろん多い。

大人になると実際に足を運ぶのを躊躇してしまう。
しかも体調不良。
無闇に出歩けない。

ならば、代わりに誰かを行かせたらどうなるのか?
自分が行ったように、何かを得られることができるのか?

そういえば、古墳は土山。
「古墳」のフィルターを外せば、小山である。
事例はある。
例えば、さきたま古墳群内にある前玉神社では、
かつて古墳を富士山に見立てて登るのが流行したことがあったのだ(浅間信仰)。

だとすれば、真名板高山古墳を我々が登るはずだった山に見立て、
登頂してもいいのではないか。
早速友人にメールを……
携帯電話に手を伸ばす。
が、すぐに思い直した。

体調不良になると思考も脈絡がない。
なぜ友人をわざわざ古墳に登らせるのだ。
十代のとき、ある物に一緒に登った仲ではある。
が、彼ももう三児の父親である。
本格的な登山姿で古墳にたたずめば、
近所の人に怪しまれるだけだろう。

身近なところで、妻に頼むのが無難かもしれない。
行ってくれるかどうかはさておき……。

しかし、ぼくもいい加減回復傾向にある(と思いたい)。
体調が良くなれば、自分で行けばいい。
海を渡るわけではないのだ。
ただ、そのとき、真名板高山古墳が、
ぼくを呼んでいるかどうかは疑問だが……。
コメント
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