〔15.1.23.日経新聞:経済教室面〕
〈ポイント〉
○農業を守るための措置が逆に衰退を促す
○生乳指定団体や豚肉の差額関税は廃止を
○地域農協の独自性発揮へ系統改革も必須
バター不足が続いている。今年が初めてではない。2008年にも品薄騒動があったし、10年にも緊急輸入がされている。なぜ繰り返されるのか。バターが不足すれば、ただちに輸入すればよいと考える読者も多いのではないか。
ところが、バターの輸入は独立行政法人の「農畜産業振興機構」が事実上、独占している。多くの汎用工業製品、資源商品、農産品では国際市場の価格変動で需給が調整され、品不足が長期化することはない。しかし国内の生産、流通、輸入のすべてを公的に数量で管理しようとすると需給の変動に機動的に対応できず、しばしば綻びが生じる。
牛から搾られる生乳の生産は、「指定生乳生産者団体制度」にもとづき、日本を10地域に分け、毎月、事実上の生産数量上限を置いている。生産農家は原則、生乳を指定団体に売ることが義務づけられている。指定団体は乳業メーカーと交渉したうえで、飲用乳、脱脂粉乳・バター用、チーズ用など用途別に異なる価格で売り渡す。
このうちバター用など価格の安い加工用原料乳については、指定団体が国からの補助金を含めた額を生産農家に支払っている。生産数量の上限を超えて生産した場合、補助金を得られない。補助金は前年度の単価に生産費の変動率を乗じて当年度の単価を決める方法が採用されている。
指定団体は生乳の買い付けや売り渡しで独占的地位を有する。一方、出荷した生乳はほかの農家と共同でプールされるため、農家は品質を工夫しても、酪農製品でブランド力を発揮できない。このような数量調節を主体とする管理、コストに上乗せする価格設定、厳しい輸入制限により、日本の酪農業では農家による創意工夫、高品質化、ブランド化、輸出努力は皆無に近かった。差別化を図るとしたら、指定団体を外れてアウトサイダーになるしかない。
コメの自由化の歴史にたとえるならば、酪農業の現状は自主流通米が許される1969年以前の状況である。このような社会主義的な計画経済がバター不足の背景である。
バター不足が起きないようにするとともに、高品質の酪農製品がつくられるようにするためには、指定団体制度の段階的廃止が必要だ。とくに生乳の流通に競争を持ち込む必要がある。過去の生乳の買い取り拒否が現行制度の根拠とされるが、これはIT(情報技術)を活用した生産管理、長期契約制度の導入、十分な競争環境の確保や価格メカニズムの活用により、自動的に防ぐことができよう。
中国では、オーストラリアから牛乳が高い輸送費をかけて航空タンカーで空輸され、地元産の4~5倍の価格で売られているという。日本の安心・安全の酪農製品がアジアの中間所得層から需要されることは明らかであろう。輸出努力とブランド化が必要だ。
輸出を促すには海外からの輸入の自由化も必要だ。バター不足を生み出すような機構による国家貿易の仕組みを廃止し、誰でも輸入できる一般関税を段階的に引き下げることが望ましい。バターなどは安価に消費者に提供し、国産品は品質の高い飲用乳やチーズなどで差別化し、酪農の活性化を図ることが重要だ。
アベノミクスの「強い農業」をつくる鍵は生乳の流通プロセスと、加工酪農製品の生産・流通への競争の導入である。こうして酪農業を、社会主義的な計画経済(需要に合うよう供給して価格を維持)から、質の向上を伴うイノベーション(革新)を競い合う環境に転換すれば、輸出産業に育てることができる。
牛肉の関税は80年代の「牛肉・オレンジ戦争」を経て91年に輸入数量の割り当てを自由化(関税化)し、関税率は当初の70%から38.5%に引き下げられた(協定税率は50%)。当時は日本の牛肉が壊滅的打撃を受ける、との論調があったが、実際は違った。競争によって牛肉の産地、部位、品質の差別化が進み、価格も多様化した。安い部位の肉は輸入され、高級肉である国産のブランド牛肉の輸出が進もうとしているのである。
米国や日本でのBSE(牛海綿状脳症)問題などの危機も、国際的な調達先の多様化で乗り越えてきた。今後、日豪自由貿易協定(FTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)が進展しても、国産の高級牛肉の優位性は揺るがないばかりか、輸出の商機が増えるだろう。
一方、同じ畜産でも豚肉についてはブランド化や生産イノベーションが進んでいない。一つの理由が、豚肉特有の関税制度にある。
豚肉の輸入には「差額関税制度」が採用されている。分岐点価格(1キログラム524円)よりも安い豚肉は原則、基準輸入価格(同546.53円)との差額を関税額とし、それより高価な豚肉は4.3%の従価関税を課すという変則的なものである(図参照)。安価な外国産豚肉が国内に流通するのを防ぎ、国内生産者を保護する目的とされる。
この制度のもとでは、関税の支払額を小さくするために、輸入価格を高く偽るインセンティブ(誘因)が強い。分岐点価格以下なら、輸入価格を100円偽ると100円もうかる、つまり関税を脱税する誘惑が大きい、非常に問題の多い制度である。豚肉輸入にかかわる脱税が繰り返し摘発されているのは、この制度によるところが大きい。
節税のために輸入価格を分岐点価格に近づけようと、安価な部位に高価な部位を混ぜた輸入(コンビネーション輸入)も横行し、加工業者に必要のない外国産の高級部位が投げ売りされる事態となっている。被害を受けるのは高級部位の国内生産者である。本来、この制度で守られるはずの生産者が守られていない。
単純に差額関税制度を撤廃し、部位ごとに一般関税に置き換えれば、こうした混乱は解消する。その関税もいずれ撤廃したうえで、効率的生産を後押ししつつ、保護が必要なら最低所得で補償するような国内生産者向けの補助金に切り替えることが望ましい。日本政府は関税などによる農産品の「保護」に経済資源や政治力を傾けるのではなく、ブランド化や物流確保などを通じて輸出を促進する政策に注力すべきである。
ここまでは酪農と畜産(とくに豚肉)を例に問題の指摘と解決策を示した。しかし、問題の根源は関税で保護されている農産品に共通である。
政治的理由で一部農業(者)の保護を残すとしても、効率的な生産者の生産意欲や改革努力をそがず、中長期的には農業を強くするような政策手段を採用することこそが重要である。一般に関税などよりも、直接所得補償などの国内補助金による保護のほうが、消費者が負担する保護費用が小さくなる。副産物として、今後のFTAやTPPの交渉妥結にも良い効果がある。
保護の形を変えつつ、農業者の創意工夫を生かし、相互の切磋琢磨(せっさたくま)を促す仕組みを導入する。政府が進めようとしている農協改革も、その一環である。
末端の地域農協には地域の多様な実情に即して独自性を発揮し、自主的に地域農業の発展に取り組み、組合員の農業者を支援する役割がある。全国組織の中央会指導の系統体制を改めることで地域農協の自由度を高め、また、金融業や保険業に頼った経営から脱皮することが求められる。生乳の指定団体も、基本的には農協や連合会を構成員とする系統組織である。運営は全国横並びであり、地域の独自性や製品の差別化を図るには同様の改革が必要となる。
農業改革は小手先ではなく、抜本的な制度改革を必要とする。アベノミクスによる強い農業が実現するか否かは、その制度改革の成否にかかっている。
いとう・たかとし ハーバード大博士。専門は国際金融。兼政策研究大学院大教授
ほんま・まさよし アイオワ州立大博士。専門は農業経済
〈ポイント〉
○農業を守るための措置が逆に衰退を促す
○生乳指定団体や豚肉の差額関税は廃止を
○地域農協の独自性発揮へ系統改革も必須
バター不足が続いている。今年が初めてではない。2008年にも品薄騒動があったし、10年にも緊急輸入がされている。なぜ繰り返されるのか。バターが不足すれば、ただちに輸入すればよいと考える読者も多いのではないか。
ところが、バターの輸入は独立行政法人の「農畜産業振興機構」が事実上、独占している。多くの汎用工業製品、資源商品、農産品では国際市場の価格変動で需給が調整され、品不足が長期化することはない。しかし国内の生産、流通、輸入のすべてを公的に数量で管理しようとすると需給の変動に機動的に対応できず、しばしば綻びが生じる。
牛から搾られる生乳の生産は、「指定生乳生産者団体制度」にもとづき、日本を10地域に分け、毎月、事実上の生産数量上限を置いている。生産農家は原則、生乳を指定団体に売ることが義務づけられている。指定団体は乳業メーカーと交渉したうえで、飲用乳、脱脂粉乳・バター用、チーズ用など用途別に異なる価格で売り渡す。
このうちバター用など価格の安い加工用原料乳については、指定団体が国からの補助金を含めた額を生産農家に支払っている。生産数量の上限を超えて生産した場合、補助金を得られない。補助金は前年度の単価に生産費の変動率を乗じて当年度の単価を決める方法が採用されている。
指定団体は生乳の買い付けや売り渡しで独占的地位を有する。一方、出荷した生乳はほかの農家と共同でプールされるため、農家は品質を工夫しても、酪農製品でブランド力を発揮できない。このような数量調節を主体とする管理、コストに上乗せする価格設定、厳しい輸入制限により、日本の酪農業では農家による創意工夫、高品質化、ブランド化、輸出努力は皆無に近かった。差別化を図るとしたら、指定団体を外れてアウトサイダーになるしかない。
コメの自由化の歴史にたとえるならば、酪農業の現状は自主流通米が許される1969年以前の状況である。このような社会主義的な計画経済がバター不足の背景である。
バター不足が起きないようにするとともに、高品質の酪農製品がつくられるようにするためには、指定団体制度の段階的廃止が必要だ。とくに生乳の流通に競争を持ち込む必要がある。過去の生乳の買い取り拒否が現行制度の根拠とされるが、これはIT(情報技術)を活用した生産管理、長期契約制度の導入、十分な競争環境の確保や価格メカニズムの活用により、自動的に防ぐことができよう。
中国では、オーストラリアから牛乳が高い輸送費をかけて航空タンカーで空輸され、地元産の4~5倍の価格で売られているという。日本の安心・安全の酪農製品がアジアの中間所得層から需要されることは明らかであろう。輸出努力とブランド化が必要だ。
輸出を促すには海外からの輸入の自由化も必要だ。バター不足を生み出すような機構による国家貿易の仕組みを廃止し、誰でも輸入できる一般関税を段階的に引き下げることが望ましい。バターなどは安価に消費者に提供し、国産品は品質の高い飲用乳やチーズなどで差別化し、酪農の活性化を図ることが重要だ。
アベノミクスの「強い農業」をつくる鍵は生乳の流通プロセスと、加工酪農製品の生産・流通への競争の導入である。こうして酪農業を、社会主義的な計画経済(需要に合うよう供給して価格を維持)から、質の向上を伴うイノベーション(革新)を競い合う環境に転換すれば、輸出産業に育てることができる。
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牛肉の関税は80年代の「牛肉・オレンジ戦争」を経て91年に輸入数量の割り当てを自由化(関税化)し、関税率は当初の70%から38.5%に引き下げられた(協定税率は50%)。当時は日本の牛肉が壊滅的打撃を受ける、との論調があったが、実際は違った。競争によって牛肉の産地、部位、品質の差別化が進み、価格も多様化した。安い部位の肉は輸入され、高級肉である国産のブランド牛肉の輸出が進もうとしているのである。
米国や日本でのBSE(牛海綿状脳症)問題などの危機も、国際的な調達先の多様化で乗り越えてきた。今後、日豪自由貿易協定(FTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)が進展しても、国産の高級牛肉の優位性は揺るがないばかりか、輸出の商機が増えるだろう。
一方、同じ畜産でも豚肉についてはブランド化や生産イノベーションが進んでいない。一つの理由が、豚肉特有の関税制度にある。
豚肉の輸入には「差額関税制度」が採用されている。分岐点価格(1キログラム524円)よりも安い豚肉は原則、基準輸入価格(同546.53円)との差額を関税額とし、それより高価な豚肉は4.3%の従価関税を課すという変則的なものである(図参照)。安価な外国産豚肉が国内に流通するのを防ぎ、国内生産者を保護する目的とされる。
この制度のもとでは、関税の支払額を小さくするために、輸入価格を高く偽るインセンティブ(誘因)が強い。分岐点価格以下なら、輸入価格を100円偽ると100円もうかる、つまり関税を脱税する誘惑が大きい、非常に問題の多い制度である。豚肉輸入にかかわる脱税が繰り返し摘発されているのは、この制度によるところが大きい。
節税のために輸入価格を分岐点価格に近づけようと、安価な部位に高価な部位を混ぜた輸入(コンビネーション輸入)も横行し、加工業者に必要のない外国産の高級部位が投げ売りされる事態となっている。被害を受けるのは高級部位の国内生産者である。本来、この制度で守られるはずの生産者が守られていない。
単純に差額関税制度を撤廃し、部位ごとに一般関税に置き換えれば、こうした混乱は解消する。その関税もいずれ撤廃したうえで、効率的生産を後押ししつつ、保護が必要なら最低所得で補償するような国内生産者向けの補助金に切り替えることが望ましい。日本政府は関税などによる農産品の「保護」に経済資源や政治力を傾けるのではなく、ブランド化や物流確保などを通じて輸出を促進する政策に注力すべきである。
ここまでは酪農と畜産(とくに豚肉)を例に問題の指摘と解決策を示した。しかし、問題の根源は関税で保護されている農産品に共通である。
政治的理由で一部農業(者)の保護を残すとしても、効率的な生産者の生産意欲や改革努力をそがず、中長期的には農業を強くするような政策手段を採用することこそが重要である。一般に関税などよりも、直接所得補償などの国内補助金による保護のほうが、消費者が負担する保護費用が小さくなる。副産物として、今後のFTAやTPPの交渉妥結にも良い効果がある。
保護の形を変えつつ、農業者の創意工夫を生かし、相互の切磋琢磨(せっさたくま)を促す仕組みを導入する。政府が進めようとしている農協改革も、その一環である。
末端の地域農協には地域の多様な実情に即して独自性を発揮し、自主的に地域農業の発展に取り組み、組合員の農業者を支援する役割がある。全国組織の中央会指導の系統体制を改めることで地域農協の自由度を高め、また、金融業や保険業に頼った経営から脱皮することが求められる。生乳の指定団体も、基本的には農協や連合会を構成員とする系統組織である。運営は全国横並びであり、地域の独自性や製品の差別化を図るには同様の改革が必要となる。
農業改革は小手先ではなく、抜本的な制度改革を必要とする。アベノミクスによる強い農業が実現するか否かは、その制度改革の成否にかかっている。
いとう・たかとし ハーバード大博士。専門は国際金融。兼政策研究大学院大教授
ほんま・まさよし アイオワ州立大博士。専門は農業経済