〔14.12.09.日経新聞:エコノ探偵団面〕
「国産旅客機の開発が進んでいると報道で見ましたが、日本経済にはメリットがあるのでしょうか」。近所の大学生の疑問に探偵の松田章司が「利用者には影響がありそうですが、経済への影響も気になりますね」と調査を始めた。
国産旅客機の開発は三菱重工業グループが進めている。近距離輸送を担う座席数100席以下のリージョナルジェット機で、国産初のジェット旅客機。同社グループが開発する「MRJ」(三菱リージョナルジェット)は70~90席クラスで、計画では2015年4~6月に初飛行、17年4~6月に納入を開始する。
需要増で参入余地
章司はまず三菱重工業を訪ねた。MRJ推進室長の石川彰彦さん(58)は「日本の旅客機開発は、1962年に初飛行したプロペラ機『YS―11』以来です。この間、当社は欧米の航空機メーカー向けの部品製造や防衛部門の機体開発で技術を蓄積してきました」と指摘。「完成機事業は設計から構造部材や装備品、組み立て、顧客サポートまでをまとめ上げ、高い付加価値が見込めます」と話した。
開発主体である子会社の三菱航空機(名古屋市)にも話を聞いた。経営企画部長の岩佐一志さん(55)に会うと「MRJは燃費効率が他の同型機より20%優れ、騒音の影響が及ぶ面積も40%小さい。リージョナルジェット機は今後20年で5360機(61~100席)の新規需要を見込んでおり、当社はシェア5割を目指しています」と説明した。
航空会社の話も聞こうと章司はANAホールディングスに向かった。同社はMRJの導入を早々に表明。機材計画チームリーダーの吉田秀和さん(46)は「地方路線では90~100席のリージョナルジェット機が採算に合います。国内線での使用比率は現在の約15%から5年後に20~30%になりそうです」と教えた。
「そういえば航空機市場は参入障壁が高いと聞いた」。章司は産業組織論が専門の東京大学教授の大橋弘さん(44)に意見を求めた。
大橋さんは「航空機市場は先発者利益が顕著です。機体製造には関係国の当局から安全基準などの認証を得る必要があり、ノウハウを蓄積した先発者のほうが認証を得やすい事情があります」と指摘。「既存企業の機体で訓練を受けたパイロットが、新規企業の機体で訓練を受ける際、設計の違いが大きいために生じる『スイッチングコスト』も先発者に有利に働きます」
ただ「最近は1回の輸送量より輸送回数が重視されています。待ち時間が省けるなど経済効率が上がるためです。これを『時間価値の増大』と言いますが、小型機による多頻度輸送はその対応策です。既存企業も機体の小型化を進めていますが需要を賄えず、参入余地は大きいでしょう」。
海外調達なお多く
「日本の航空機産業はどう変わるのでしょう」。ニッセイ基礎研究所上席研究員の百嶋徹さん(52)を訪ねると、台湾企業の創業者が唱えた「スマイル曲線」を見せた。業務工程をグラフの横軸に、利益率を縦軸にとると、人の笑顔の口元のような曲線になることからその名が付いた。経営学でも定着してきたこの曲線では完成品の組み立ての利益率が低く、部品生産や顧客サポートは利益率が高い。
「組み立ての利益率は低いですが、完成品を造り全体を束ねると顧客サポートの利益も得られます。国産旅客機は日本企業が高い利益を得る好機です。ただ裾野の広がりが不十分です。MRJは部品の6~7割が海外調達で、日本企業は十分に利益を取り込めていません」と百嶋さん。
航空機の部品点数は約300万点、小型機のMRJも約95万点。2万~3万点の自動車より産業の裾野は広い。
自動車に次ぐ柱に
調べると、三重県が航空機産業の育成を検討していた。三菱重工業が2月、松阪工場をMRJの部品製造拠点にして取引先とのクラスター(産業集積)をつくると発表。県ものづくり推進課長の山路栄一さん(56)は「航空機産業で本県は愛知、岐阜両県に見劣りしており、今後は自動車に次ぐ産業の柱にしたい」と強調。国内外の大手部品企業の誘致や県内企業との連携、人材育成を進めるという。
三重県には既にMRJの素材加工に携わる企業がある。ウォータージェットという高速の水圧による素材加工で米ボーイングからも仕事を受注している三重樹脂(鈴鹿市)だ。社長の打田昌昭さん(69)に会うと「航空機産業では国際品質規格(JISQ9100)の認証を取得しても、製品の納入前の厳格な検査態勢など乗り越えるべきハードルは高いです」と指摘した。
調査を進めると、航空機産業の技術は他産業に大きな影響を与えることも分かった。三菱総合研究所チーフコンサルタントの奥田章順さん(56)は70~98年のデータを基に推計。設備や加工の受発注で他産業に与える効果は1.1倍にとどまるが、航空機産業の技術が他産業に使われ生産を誘発する技術波及効果は9倍、合計で10倍だ。「最近では炭素繊維材料も技術波及の代表例です。完成機を造る企業が国内でクラスターをつくれば、さらなる新技術が生まれやすくなります」と力説した。
事務所で報告を終えた章司が「探偵業にも新技術が生まれるといいんですが」と付け加えると所長が一言。「いつの時代も足で稼ぐのが基本」 (以上)
「国産旅客機の開発が進んでいると報道で見ましたが、日本経済にはメリットがあるのでしょうか」。近所の大学生の疑問に探偵の松田章司が「利用者には影響がありそうですが、経済への影響も気になりますね」と調査を始めた。
国産旅客機の開発は三菱重工業グループが進めている。近距離輸送を担う座席数100席以下のリージョナルジェット機で、国産初のジェット旅客機。同社グループが開発する「MRJ」(三菱リージョナルジェット)は70~90席クラスで、計画では2015年4~6月に初飛行、17年4~6月に納入を開始する。
需要増で参入余地
章司はまず三菱重工業を訪ねた。MRJ推進室長の石川彰彦さん(58)は「日本の旅客機開発は、1962年に初飛行したプロペラ機『YS―11』以来です。この間、当社は欧米の航空機メーカー向けの部品製造や防衛部門の機体開発で技術を蓄積してきました」と指摘。「完成機事業は設計から構造部材や装備品、組み立て、顧客サポートまでをまとめ上げ、高い付加価値が見込めます」と話した。
開発主体である子会社の三菱航空機(名古屋市)にも話を聞いた。経営企画部長の岩佐一志さん(55)に会うと「MRJは燃費効率が他の同型機より20%優れ、騒音の影響が及ぶ面積も40%小さい。リージョナルジェット機は今後20年で5360機(61~100席)の新規需要を見込んでおり、当社はシェア5割を目指しています」と説明した。
航空会社の話も聞こうと章司はANAホールディングスに向かった。同社はMRJの導入を早々に表明。機材計画チームリーダーの吉田秀和さん(46)は「地方路線では90~100席のリージョナルジェット機が採算に合います。国内線での使用比率は現在の約15%から5年後に20~30%になりそうです」と教えた。
「そういえば航空機市場は参入障壁が高いと聞いた」。章司は産業組織論が専門の東京大学教授の大橋弘さん(44)に意見を求めた。
大橋さんは「航空機市場は先発者利益が顕著です。機体製造には関係国の当局から安全基準などの認証を得る必要があり、ノウハウを蓄積した先発者のほうが認証を得やすい事情があります」と指摘。「既存企業の機体で訓練を受けたパイロットが、新規企業の機体で訓練を受ける際、設計の違いが大きいために生じる『スイッチングコスト』も先発者に有利に働きます」
ただ「最近は1回の輸送量より輸送回数が重視されています。待ち時間が省けるなど経済効率が上がるためです。これを『時間価値の増大』と言いますが、小型機による多頻度輸送はその対応策です。既存企業も機体の小型化を進めていますが需要を賄えず、参入余地は大きいでしょう」。
海外調達なお多く
「日本の航空機産業はどう変わるのでしょう」。ニッセイ基礎研究所上席研究員の百嶋徹さん(52)を訪ねると、台湾企業の創業者が唱えた「スマイル曲線」を見せた。業務工程をグラフの横軸に、利益率を縦軸にとると、人の笑顔の口元のような曲線になることからその名が付いた。経営学でも定着してきたこの曲線では完成品の組み立ての利益率が低く、部品生産や顧客サポートは利益率が高い。
「組み立ての利益率は低いですが、完成品を造り全体を束ねると顧客サポートの利益も得られます。国産旅客機は日本企業が高い利益を得る好機です。ただ裾野の広がりが不十分です。MRJは部品の6~7割が海外調達で、日本企業は十分に利益を取り込めていません」と百嶋さん。
航空機の部品点数は約300万点、小型機のMRJも約95万点。2万~3万点の自動車より産業の裾野は広い。
自動車に次ぐ柱に
調べると、三重県が航空機産業の育成を検討していた。三菱重工業が2月、松阪工場をMRJの部品製造拠点にして取引先とのクラスター(産業集積)をつくると発表。県ものづくり推進課長の山路栄一さん(56)は「航空機産業で本県は愛知、岐阜両県に見劣りしており、今後は自動車に次ぐ産業の柱にしたい」と強調。国内外の大手部品企業の誘致や県内企業との連携、人材育成を進めるという。
三重県には既にMRJの素材加工に携わる企業がある。ウォータージェットという高速の水圧による素材加工で米ボーイングからも仕事を受注している三重樹脂(鈴鹿市)だ。社長の打田昌昭さん(69)に会うと「航空機産業では国際品質規格(JISQ9100)の認証を取得しても、製品の納入前の厳格な検査態勢など乗り越えるべきハードルは高いです」と指摘した。
調査を進めると、航空機産業の技術は他産業に大きな影響を与えることも分かった。三菱総合研究所チーフコンサルタントの奥田章順さん(56)は70~98年のデータを基に推計。設備や加工の受発注で他産業に与える効果は1.1倍にとどまるが、航空機産業の技術が他産業に使われ生産を誘発する技術波及効果は9倍、合計で10倍だ。「最近では炭素繊維材料も技術波及の代表例です。完成機を造る企業が国内でクラスターをつくれば、さらなる新技術が生まれやすくなります」と力説した。
事務所で報告を終えた章司が「探偵業にも新技術が生まれるといいんですが」と付け加えると所長が一言。「いつの時代も足で稼ぐのが基本」 (以上)