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RUNNING BEAR Ⅱ

くまこの日記です。コメントは承認制とさせていただきます。

海外の記事。

2016-08-22 21:30:27 | 航平君記事
少し前に訳を頂いていたのに_(._.)_、なかなかアップできなかった外国の素敵記事(*^。^*)。
いつもありがとうございます(^^♪。


Kohei Uchimura retains gold at Rio 2016 as Max Whitlock claims bronze こちら

内村航平は2016年リオで金メダルを維持 マックス・ウィトロックは銅メダル

スーパーマンは生き残った。光り輝く素晴らしき才能の内村航平は、水曜日、世界最高の体操選手としての伝説を維持した。しかしながら、過去10年近くの中では、最も過酷で彼の力が厳しく試されたのであった。2日前に日本チームを団体金メダルに導いたその男は、若きウクライナのオレグ・ベルニャエフが0.099ポント彼に及ばずに最後の演技を終えることになるまで、結末が見えないまま、それを待っているしかなかった。また、マックス・ウィトロックはイギリス人としては108年の間成し遂げられなかった、個人総合のメダリストとなった。

ウィトロックの演技は、男子チームにとって刺激にも裏付けにもなり、彼らはイギリスの体操競技を新たなステージに導き続けていることを証明している。「自分とコーチのスコット・ハンはこの4年間、必死に努力してきた。」とウィトロックは、銅メダルを輝かせながら語った。「自分はオールラウンダーであることを証明したかった。それが達成できたと思う。」

彼のヒーローであり、YouTubeで演技を常に観ている内村の隣に並んで表彰台に立つことは、ウィトロックにとって光栄なことでもあった。「そしてオレグ。彼とは何年も試合で競ってきた。彼は大変なスコアを叩きだし、驚異的な結果を残した。だから、彼らに次いで3位になれたことはとても光栄に思っている」

内村はオリンピックの個人総合において2連覇を達成したが、これは同じく日本人の加藤澤男が1972年に成し遂げたのに続いて、まだ史上2人目である。内村の物語が映画になったならば(今回のドラマチックな勝利によって映画化は間違いなく実現するだろう)、それはアニメだとしか想定できないだろう。その27歳が見せたのは、漫画のヒーローのようにかっこよく乱れた髪、そしてとびきりの笑顔。彼がまた証明したように彼のアクションスキルは、卓越している。

美しい体操は、内村の究極の追求である。彼の宿命ともいえるかもしれない。体操選手であった彼の両親は、彼に「平和な飛行」を意味する名前を授けた。5フィート3インチの彼は、ロシア女子体操のキャプテンであるアリーヤ・ムスタフィナよりも背が低い。彼のチームメイトが今週初め、表彰台で金メダルを祝福して腕を突き上げた時、彼の足は宙に浮いていた。だが、彼が空中を舞っている時はずっと大きく見え、彼の身体は長いラインと精巧なカーブを描き、つま先はバレリーナのように、ぴんと伸びている。

最後は内村のエレガンス(優美さ)とヨーロッパチャンピオンでありオリンピック予選で首位だったベルニャエフのストレングス(力強さ)の戦いに要約される。内村がいつも通りの技を繰り出すと、その22歳は計り知れない力強さによる演技で応え、つり輪で強大な力強さを見せつけ、前半の演技を終えたところでトップに立った。

演技の合間、ベルニャエフはウエアのフードをかぶり、彼の周りで高まりつつある期待感から自らを遮断しようとしているかのようであった。一方、内村は厄介なポケモン以外の誰かを追いかけることに慣れていなかった。彼はDスコアが0.3ベルにゃエフに劣る平行棒に向かう時、困惑しているように見えた。ベルニャエフは、最も得意な種目を終えて内村に1点近くのリードを持って鉄棒に臨むこととなった。

他方、ウィトロックは勝負の週、いささか苦戦をしていた。世界選手権個人総合銀メダリストとしてオリンピックに臨んだが、有力選手としての評判にも拘わらず、彼の力通りのスコアを出せていなかった。競技の前、彼は身体をかがめ、観客に顔を向けるというより足元を見つめているかのようにしていた。だが、 世界選手権あん馬チャンピオンが得意種目の演技を開始し、終末技で見事に2度台上で旋回して降りた時、暫定で首位に立った。

彼は、最後までメダル圏内に留まり続け、難度の高い跳馬のユルチェンコ3回ひねりは着地が乱れたものの高得点、平行棒は団体決勝で自身が出したスコアよりも0.5程上回った。だが、最後の種目であるゆかの演技において、最後から2番目のコースで何かに煩わされたか、ラストのタンブリング前、彼は何かを振り払うかのように頭を振って見せた。「そこまでの緊張と言うことではなかったと思うが、何が起こったのかわからなかった、と言うのが正直なところ。ちょっとミスがあったけれど、取り戻せたことを嬉しく思う」 ウィトロックはライバル達がどこに位置しているか全くわかっていなかった。「最終的にはとても緊張した。正直、とてもきつかった」。15.2のスコアによって、内村・ベルニャエフと4位に位置していたロシアのダビド・ベルヤフスキーの演技に運命が委ねられることになった。

もし、内村に得意でないことが1つあるとすれば、それは「プレッシャーを感じる」ことだ。彼は最終種目を終えると、ウィトロックを上回り、ベルニャエフは金メダルに14.899が必要なことがわかっている状態で鉄棒に臨んだ。ベルニャエフは予選の鉄棒で15.133を出していたが、最後は14.8にとどまった。

ファンが「スーパームラ」と呼ぶその男は、個人総合で記録的となる8年連続で無敗となり、加藤澤男やニコライ・アンドリャノフ、そして彼にとってのヒーローであるビタリー・シェルボら過去の偉大な選手達と並ぶ地位を堅固なものにした。

誰もが認めるシモーネ・バイルズですら、彼を称賛し彼に憧れていると認めている。そして、まだ終わったわけではない。2020年の東京大会において、彼以上にふさわしいシンボル、看板選手はいないだろう。内村は、前人未到の個人総合3連覇を地元の大会で目指すかもしれないことを既にほのめかしている。(※)

ウィトロックの当面のプランは、現在スペインで休暇中のフィアンセのリアに電話をすることであり、この銅メダルは種目別決勝におけるメダル獲得に弾みをつけることは間違いない。「みんな、団体の結果については未だに落胆している。だが、前に進まねばならない。願わくばこのメダルが仲間たちの刺激となれば、と思う」

(※原文ママ)

キラキラライティングの写真がいいですね(*^。^*)。

航平君が東京で個人総合3連覇を目指すかもしれないとほのめかしたという点は、「?」なんですけど、原文がそうなっているので、そのままにしました。

やっぱり、マンガなんだ(*^。^*)。
実写じゃなくて、マンガ。
実写でも表現できないくらい、ありえないようなことを航平君はやってのける。

「奇跡の大逆転」という表現も、個人総合に関してはあったけど、「奇跡」について、ほかの日本人選手が語ったこんな言葉が新聞に載っていて。

『奇跡は願うものではなくて、積み重ねて起こすもの。』

これを語った日本人選手は、怪我のため、思うような成績を残せなかった選手。最後に奇跡を願ったけど、やはり奇跡は起こらなかったことに対しての言葉。深いなあ~。

航平君の周りで起こる試合展開などは、マンガでしかないけれど、そこに伴うありえないような結果は、航平君の日々の努力の積み重ねの結晶。
ロンドンからの4年間、このリオでの数日にすべての焦点を定めて、逆算し、今日やるべきこと、今週やるべきこと、この試合でやるべきこと、この1年でやるべきこと、と、着実に積み重ねてきた航平君。
こうも見事に、焦点を定め切れるものだろうかと、リオ五輪が終わって、そのすごさに改めて心が揺さぶられるのです。


そして、外国ではこんなに評価されてるよ~という日本の記事(*^。^*)。
内村航平が体操個人総合で2連覇 ロシア紙「無敗の日本人を王座から引きずり下ろせなかった」 米NYT「内村ほど才能を持った選手いない」こちら

読みごたえがありますね(*^。^*)
絶対王者でありながら、皆のお気に入りの選手
航平君は、世間的にはクールな印象ですが、本当に表情豊かな、愛すべき選手ですよね(*^。^*)。






コマネチさん和訳。

2016-08-17 21:06:14 | 航平君記事
昨日ご紹介したコマネチさんの記事。こちら

和訳、頂きました\(^o^)/。
毎回、感謝して、載せさせていただきます(*^。^*)。

やっぱり、海外の記事は、とても好きです(^^)。

内村航平は史上最高か? 「Yes、その通り」とナディア・コマネチ

内村航平が、ハイリスクな鉄棒の演技において、高く舞い上がり、よろめくこともなくピタリと着地した時、彼にオリンピック個人総合の二連覇をもたらしただけでなく、彼を史上最高の体操選手にならしめた。これは、ナディア・コマネチの評価である。

4年前、コマネチはまだ、その日本人体操選手のことを、前人未到の世界選手権3連覇とオリンピック金メダルを個人総合で達成したのにも拘わらず、「史上最高」と呼ぶには時期尚早と考えていた。

だが、内村がその後も3年連続世界選手権個人総合のタイトルを取り続け、加藤澤男が1972年に達成して以来のオリンピック個人総合2連覇を達成した時、コマネチは議論は終わった、と言った。

「内村は史上最高です」とコマネチはインタビューに答えた。

「彼がこれほどにも長期間にわたって彼が達成してきたことを見て下さい。世界選手権とオリンピックで8年間もの間負けなしです。それが彼のレガシーです。」

トップ選手たちによる、落下の無いハイレベルな試合において、ウクライナのオレグ・ベルニャエフは3種目目からトップに立ち、最終種目の前まで日本の偉大な選手に0.901点の差をつけていた。

心臓が止まるかのような演技は、最終的に「スーパームラ」を追いかける者たちの上に押し上げた---わずか0.099ポイント上回った。

その差は、前人未到の世界選手権個人総合6連覇の記録を持つ内村を、史上最高の体操選手と決定づけるものでもあった。

「オリンピック史上最高の体操競技の試合でした。金メダルを獲れたかも知れない選手が5~6人いました。」と、オリンピックで初めて10点満点を取り、その後40年以上もの間、最も著名な体操のチャンピオンであり続けるコマネチは語った。

「なので、内村は鉄棒でリスクを取りました。そして大変なプレッシャーがかかる最終種目で、彼は、本当に、本当に素晴らしかった。彼はピタリと着地しました。もしほんの少しでもよろめいていたら、彼は金メダルを逃していて、その結果、彼が史上最高かどうかの議論はまだ続いていたでしょう。」

水曜日まで、史上最高と名乗りを上げられたかもしれない体操選手が数人いた。

加藤は1976年にあと1ポイント以内でオリンピックの個人総合3連覇というところまで行った。彼は3大会で、8個の金メダルを含む、12個のメダルを獲得した。

ソ連のニコライ・アンドリャノフは加藤の3連覇を阻止した選手で、7個の金メダルを含む15個のオリンピックのメダルを獲った、史上最もきらびやかな男子体操選手となった。

また、1992年のバルセロナ大会で、圧巻の6個の金メダルを獲ったビタリー・シェルボもいる。

彼らと比較し、内村はオリンピック3大会で、3個の金メダルを含む7個のメダルを獲得したにすぎない。

しかしながら、数では足りなくても、内村は彼の体操のスタイルとエレガンスで、それを補って余りある。彼は、体操界のロジャー・フェデラーだ。彼が演技を行う時、彼はその素晴らしい才能と優美さで、観客を魅了するからだ。

「彼の体操はアメージング。彼の演技の出来映えは、たった一つの欠点もなく、本当に完璧なものを見られることがあります」とコマネチは熱弁した。



加藤澤男さん、アンドリャノフさん、シェルボさん。
航平君の体操人生において、カギになる人たちですよね。

航平君の世界選手権の試合が終わると、2位との差を報じられ、その点差が小さくなってくると、次の優勝は危ない、みたいなことを書かれたりもしました。
しかし、今回はこの考えられないほどの小さな点差が、非常に意味のあるもののような気がします。
両者ミスらしいミスがなく、お互いの良いところを遺憾なく発揮し、もう、難度を下げるという選択肢はなくなる、そんなギリギリの闘い。
そんな闘いだからこそ、航平君の強さが更に引き出されたのだと思います。

世界に衝撃を与えた体操選手であるコマネチさんの言葉はとても嬉しいです(*^。^*)。


演技の途中なのに、なんでこんな無垢な瞳なんでしょうか



ロイターの記事。

2016-07-30 21:48:44 | 航平君記事
先日、WEB記事で上がっていたロイターの記事ですが、元記事の翻訳を頂きました\(^o^)/。
外国の記事は、独特の言い回しとか、雰囲気があって、とても好きです(*^-^*)。
元記事は、日本語の記事よりもっと長くて、2部、記事があります。



For Uchimura, it's all in the performanceこちら




2016年7月21日 午後9:48(米国東部夏時間)

内村にとって演技が全て

日本の内村航平は、初めて参加した試合では負けた。だが、リオオリンピックでは44年ぶりに個人総合連覇を達成する男となるだろう。 それでも、彼は個人総合の結果はそれほど気にしないと言う。

「体操を勝ち負けでやっているわけではないので」と彼は今年初めロイターのインタビューで答えた。
「要は体操を通して何を伝えたいかだ。勝ち負けは問題では無い。」

2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲ってから、その27歳はオリンピック、世界選手権の個人総合タイトルを総なめにし、今、1972年に同じ日本人の加藤澤男が達成して以来の個人総合オリンピック連覇が有力視されている。 世界選手権個人総合6連覇と世界選手権で19個のメダルを獲得した内村は体操選手の両親のもとで生まれ、3歳から体操を始めた。 両親が設立した日本の南西部にある体操教室でトレーニングをする中で、両親がアメリカから取り寄せたトランポリンで彼は空中感覚に磨きをかけた。その後四半世紀近く、彼は練習熱心と言う倫理を失うことはなかった。
「特別なことは何もしていない。基本的に毎日の練習で培われたものだと思う。どれだけ毎日本気でやれるか、だと思う」と、穏やかな口調で内村は言った。

「今まで一度も怠けたことは無いと思う」 週に2日、彼は練習の休みを取り家で過ごすが、寝ている時でも体操から離れられない。
「どんな演技の夢を見るかによるが」と彼は言う。「本当に悪い夢の時もあるし、本当に良い夢の時もある」

昨年グラスゴーで行われた世界選手権で、内村は誇らしげに6本の指を立て、個人総合6連覇を祝福して見せた。 だが、それは37年ぶりに日本が獲得した団体金メダルがあったからであり、リオでの団体金の目標に拍車をかけている。

日本はオリンピックで団体金メダルを1960-1976年の間に5連覇で獲得したが、その次に表彰台の一番高いところに上ったのは2004年のアテネ大会であった。その後、2008年と2012年のオリンピックでは中国が団体金メダルを獲得したが、グラスゴーの世界選手権では、らしくないミスが出て、中国は優勝を逃した。 日本チームの演技も、内村が鉄棒で落下する等、完璧と言うには程遠い内容だった。
「個人総合のことは団体が終わるまで考えるべきことじゃないと思っている」と内村は言った。「どれほど団体金メダルが欲しいかと言うことしか考えられない。団体が全てだ。」

次の2020年には東京でオリンピックが開催されるので、日本のファンは次の4年間も彼らのヒーローが続けることを何よりも望んでいる。だが、現時点で内村のリオ後の計画はまだわからない。 彼は大学で知り合った女性と結婚し、2人の小さな娘がいる。内村は体操であらゆる成功を収めてきたが、娘たちに体操選手のエリートになって欲しいとは望んでいないと言う。
「男の子だったら多分体操選手になって欲しいと思ったと思う」と彼は言う。「でも、女子の体操は自分は良くわからないし、男子よりもずっとシビアだと思う。自分は厳しい部分だけを見て、子供たちは楽しい部分しか見ないだろうが。」



Robots' Uchimura and Biles ready to rollこちら



2016年7月26日 午後9:13(米国東部夏時間)

内村とバイルズというロボットたちは準備万端

世界最高の体操選手たちは、彼らが練習で流した汗と涙がオリンピックで必要な力をもたらしてくれることを願っているだろう。「ロボット」と称される記録更新が期待されている二人のチャンピオンのプラグを抜くために。

日本の内村航平とアメリカのシモーネ・バイルズは4年のオリンピックサイクルの間、トップに君臨しており、もし彼らがリオの試合で個人総合のタイトルを逃すようなことになれば、体操競技において最も衝撃的な出来事を目撃することとみなされるだろう。

2008年の北京大会以降、オリンピックと世界選手権の全ての個人総合のタイトルを取ってきた、キング・コウヘイは、同じ日本人の加藤澤男が1972年に達成して以来となるオリンピック個人総合連覇を有力視されている。


だが、全てを征服したその体操選手は自国のマンガの中で不滅化され、世界中の熱狂的な10代のファンたちに支持され、まだ手にしていないオリンピックの団体金メダルをしっかりと見据えている。 中国の男子体操の総合力は、1994年以降、世界選手権で12回中10回、オリンピックで5回中3回、団体で金メダルを獲っていることに認められる。

日本は団体で1960年から1976年にオリンピック5連覇し、その後アテネ大会で表彰台の頂上に上ったが、内村の前の世代が成し遂げたことだ。内村が国際大会にデビューしてから、日本は2008年と2012年は中国の後塵を拝し、銀メダルであった。ついに昨年世界選手権グラスゴー大会で中国を破り、彼は男子団体を「リオの栄光」に導けることを望んでいる。

「どれだけ団体金メダルが欲しいかと言うことしか考えられない。団体しかない」と世界選手権個人総合6連覇の内村はロイターに語った。
1m62cmと小柄な姿に拘わらず、内村は体操界の巨人と称され、究極の完璧さの終わりなき追及をするその姿は、数えきれないライバルたちを精神的にも屈服させてきた。

「海外の選手たちにはマシーンのように演技する、と言われる。褒め言葉ととらえている」と、既に金1つ、銀4つのオリンピックのメダルを持っている内村は言った。
「自分にとって、演技や動きが機械的と言うのは完璧と言うこと。ロボットは人間よりもどんな時も正確に同じような動きが出来るから」

彼よりもメダルをたくさん獲ったり、金メダルをたくさん持っていたりする体操選手はいるが、内村のように長きにわたり体操界のトップに君臨し、6種目を通じて優秀なレベルを維持してきた選手はいない。

チャンピオンが取って変わられるスピードが、ウサイン・ボルトが100mを駆け抜けるよりも、速いと思われるような過酷なスポーツにおいて、内村の体操寿命の長さは論理を覆すかのようだ。

だか、オリンピックの歴史を塗り替えることが期待されているのは、その27歳だけではない。

内村が2008年に初めてオリンピックでメダルを獲得した時にはまだ11歳だった、アメリカのバイルズは、世界選手権の女子個人総合で史上初の個人総合三連覇を成し遂げ、無敵となっている。

「みんな、私のことを宇宙人とかロボットとか言うけど、彼(内村のこと)こそ、そうだと思う」と、世界選手権で10個の金メダルを獲得し、最も成功した女子アスリートである19歳はロイターに語った。
「内村選手が成し遂げたことはとても驚くべきことであり、誰も彼のようには出来ないと思う」

彼女は過去20年、女子体操で誰も成し遂げていない偉業に向かっているところである。オリンピックで女子体操が行われるようになった1952年から、個人総合連覇したのは、Larisa Latynina (1960年), Ludmilla Tourischeva (1972年) 、そしてLilia Podkopayeva (1996年)の3人だけしかいない。

1996年以降誰も連覇を成し遂げていないのは何故と思うか、と1m45cmのエネルギッシュなその選手に聞いた。
「まだ生まれる前のことだからわからないわ」と1997年生まれのその体操選手は、おどけて答えた。
バイルズとアメリカのチームメイト(過去、個人総合金メダリストとなったGabby Douglasを含む)は連続金メダルの圧倒的な有力候補である。





「数えきれないライバルたちを精神的にも屈服させてきた。」という部分がとても好き(*^。^*)。
ただ勝つだけじゃない。あ~もう、こいつにはどうやってもかなわない。そう思わせてしまうほどの強さ。
その強さを支えるのは、特別なことじゃない。四半世紀の間の毎日の練習という、気の遠くなるほどの地道な努力。
それほど長い間、一日も怠けることなく続けることが出来る、その精神力こそが、航平君の才能ですね。

男の子だったら体操選手になって欲しいと思ったと思う、という言葉。
そうなんだ。やっぱり。


TIME誌の最新号、表紙が航平君ですね(*^。^*)。こちら

洋書が売ってる様な大きな本屋さんなら、置いてある可能性があるそうです。
一番大きな本屋さんに行ってみようかな。




tokyo weekender.

2016-07-07 23:01:38 | 航平君記事
少し前に遠藤先生がつぶやいてくださった「tokyo weekender」の記事。こちら





和訳を頂きました\(^o^)/。
嬉しい(*^。^*)。


体操選手 内村航平は 昔から モンスター・パフォーマー(怪物のような選手) だった
2016年6月24日(スポーツ)


前回、内村航平が体操競技・個人総合の試合で敗れた時、ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領だったし、リーマンショックが引き金となった世界経済危機は、まだ数か月先のことだった。
史上最高の体操選手として広く認められている、スポーツ界の逸材・内村は、単にライバル達に勝って来たと言うだけではなく、ライバル達を完膚無きまでに打ち負かして来たと言って良い。

如何にしてその男が「キング・コウヘイ」として知られるようになったのだろうか? そして、彼はどんな子供だったのだろう?
それを知るため、ウイークエンダーは、最近、その27歳と、彼を良く知る女性、彼の母である周子と話をした。

「彼はシャイだったし、殆ど何も食べてくれなかったりもした子でした」と彼女は言う。「体操はずっと彼の人生でした。赤ん坊の頃でさえ、彼はベビーベッドの中で手すりの間でスイングしていました。大きくなって、水泳や野球をやりたいか?と聞いたのですが、他の何にも興味を示さなかったです。体操だけにしか関心がありませんでした。」

航平は、共に体操選手だった両親の影響を受けた。両親が長崎で経営するクラブで3歳から体操を初め、時間さえあればトランポリンで練習して過ごした。ノートとピンクパンサーのぬいぐるみは、新たに体操の動きを理解するために役立った。




「やりたい体操の技を描いていました」と彼は言う。「そのあと、ぬいぐるみでその動きをやってみたんです。ぬいぐるみで動きをイメージをすると、色々な技が自然に出来るようになりました」

「体操教室で、年上の子からそのぬいぐるみをもらったんですけど」と周子は続けた。「どこにでもそれを持って行っていたので、真っ黒になってしまっていました。暫くして彼のベッドで見つけた時には、ピンクパンサーが洗われていました。彼のとても大切な物の1つだったんですね。」

日本語と英語をミックスして喋る周子は、テンション高く、少しエキセントリックなキャラクターという印象を与える。彼女は息子の応援に世界中を駆け回っていて、スタンドから彼女の叫び声が良く聞こえてくる。「学生の時は恥ずかしかったけれど、自分も父親になった今は、それをありがたいと思えるようになりました」と航平は語る。


「コーチとして、いつもエネルギッシュで元気いっぱいでした」と彼は言う。「自分は好き嫌いが激しかったけれど、母は自分のために栄養のある食事を考えてくれたし、あまり厳しく言われませんでした。自分の個性を育てることが大事と理解していて、自由にさせてくれました。母の教え方が形式ばっていなかったので、そのやり方が今の自分の練習方法に反映されているのだと思います」

航平が最初に体操の技術を磨いたのは両親の体操教室だったが、15歳の時、彼は長崎の実家を離れ、彼の憧れだった塚原直也と共に練習が出来る東京に行くことを決めた。塚原は2004年のオリンピックで日本の団体金メダルに貢献した選手で、航平は子供の頃、その選手のビデオを繰り返し見て研究していた。

「息子を本当に行かせたくなかったのですが、直也君は息子のヒーローだったし、私に勝ち目の無い戦でした」と周子は言う。「振り返ってみると、良い決断だったと思います。彼は本当に成長したので。彼が高校3年生の時、彼を見て初めて「本当に素晴らしい」と思ったことを思い出します。その後、どんどん素晴らしさが加速して行きました」

北九州市に生まれたそのスターは、国際大会に18歳でデビューし、その1年後2008年のオリンピックで結果を出した。北京で日本の団体銀メダルに貢献し、その後、個人総合ではあん馬で2度の落下があったのにも拘わらず、ヤン・ウェイに次ぐ2位で、日本人として24年ぶりの個人総合の表彰台に上った。その後、彼は個人総合で無敗である。




過去8年間で、航平は金メダル1つを含む5個のオリンピックのメダルを獲得し、世界選手権では6個の個人総合金メダルを含む10個のタイトルを獲得した。彼はいつもダントツで勝利するため、他の選手にとっては2位を争う試合となる。
ライバル達は彼を「機械」とか「モンスター」と称する。キューバのマンリケ・ラルドゥエトは、昨年の世界選手権個人総合で銀メダルを獲ったあと、その日本の体操選手と競えたことが「誇り」と言ったし、2014年の大会で銀メダルだったマックス・ウィトロックは表彰台で彼の隣に立てたことを「とても素晴らしいこと」と言った。

母親によると、航平を高めているものは、完璧へのあくなき欲求だと言う。「彼は立ち止まることをしないのです」と彼女は言う。彼女は、息子が圧倒的なトップ選手になって、安心して息子の演技を見られるようになったのだろうか?
「とんでもない!」と彼女は即答した。「いまだに凄く緊張します。試合はどんどんレベルが上がっていきますし、他の選手たちは航平がやっていることをマネしてきて、その結果、他の選手達との点差はどんどん縮まって来ていますから」


最近の世界選手権の2大会では、2位との点差は1.492と1.634であり、2009年の2.575点差や2011年の3.101点差と比べると縮まってきていると言う彼女の指摘を裏付けてはいるが、それでもまだ、彼と他の選手とは大きな差がある。

ライバル選手たちは、彼と戦うために難度を上げてきているが、彼らはその5フィート4インチ(162.6cm)のスーパースターの演技の美しさや真っ直ぐに伸びたつま先は持ち合わせていない。
だからこそ、多くの人たちが「キング・コウヘイ」を史上最高の体操選手だと認めているのだ。しかしながら、彼自身は、史上最高の体操選手は、1992年のバルセロナオリンピックで前人未到の6つの金メダルを獲得したビタリー・シェルボだと思っている。


「自分にとって、シェルボ選手の演技は、過去最高なのです」と航平は言う。「エレガントだし、完璧で、尚且つ高得点。自分もシェルボ選手のような『印象に残る』演技をしたいです。でも、彼はシェルボ選手であって、自分は内村と言う別の選手なので。彼を超えることは出来ません。自分は自分のベストを目指すだけ」
シェルボのバルセロナでの偉業は、二度と繰り返されたり超えられたりするものでは無いだろう。オリンピックの歴史の中で、シェルボが最も印象的な男子体操選手だったことは疑う余地が無いが、長期間にわたって君臨していたと言う面では、誰よりもはるかに優れているのが内村航平と言う男である。
体操競技のような体に負担のかかるスポーツにおいて、このように長期間にわたり無敵でいるということが、彼と言う人物と才能の証である。


リオでのライバル達は、彼に勝つためには何か特別なものを身につける必要があることを知っている。彼は個人総合の争いにおいて優勝の大本命であり、更に少なくとも他に1種目では金メダルのチャンスがあると期待されている。

だが、個人での成功では満足できない。彼が切望しているのは、団体金メダルだ。オリンピック過去2大会において、日本はライバルの中国の後塵を拝していた。しかしながら、昨年10月にグラスゴーで日本は37年ぶりの世界選手権団体金メダル獲得し、自信を持ってリオに乗り込んでいく。
「4年前、最初日本は団体4位と判定され、頭が真っ白になりました。」と彼は言う。「呆然としてしまって、日本が銀メダルだと判定が変わっても、ショックな気持ちは変わりませんでした。自分自身の演技に怒りを覚えていました」
「振り返ってみて、チームメイトと一緒に表彰台に上れたことは嬉しかったけれど、リオではチャンピオンとして仲間と表彰台に上がりたい。他の何よりも団体金メダルが欲しいです。日本では、誰もがアテネで勝利をつかんだ時の、冨田さんの鉄棒の最高の着地シーンを思い出します。それは伝説的な演技だけれど、ブラジルでは自分たちがそれが出来るよう一生懸命頑張らないといけないと思っています」




体操競技の強国の再スタート

日本は、体操競技において通算95個のオリンピックのメダルを獲得しており、そのうち金が29個で、ソビエト、アメリカに次いで三番目に位置している。29個の金のうち、24個は1960年~1976年の間に獲得したもの。8個の金メダル、3個の銀メダル、1個の銅メダルを獲った加藤澤男は、オリンピックで歴代9番目の成績を残している。他、4人の日本人男子体操選手達は、トップ100に含まれている。

オリンピックで団体5連覇を達成した時は黄金時代だった。最も印象に残る勝利は1976年のモントリオールオリンピックであり、その大会で藤本俊はゆかで膝蓋骨にひびが入る故障をしたのにも拘わらず演技を続け、続くあん馬でも9.5、つり輪も自己最高の9.7のスコアを出し、日本の団体優勝に貢献した。
その後40年間で、日本の男子体操選手が獲得したオリンピック金メダルは4つだけ。しかしながら、現在の団体チームはモントリオール大会以来、最高の結果を出すことが出来るのではという強い期待が生まれている。 内村航平と加藤凌平は既にリオオリンピック出場を決め、恐らく、田中佑典、白井健三、萱和磨らが加わるのではないかとみられ、全員メダル候補となる力を持っている。
女子は、寺本明日香、村上茉愛、杉原愛子が選考会で強みを見せた。日本の女子のオリンピックチャンピオンは、まだ誕生していない。




こんな風に内容がわかることに、とっても感謝いたします(*^。^*)。

個人総合で連覇を狙う航平君ですが、航平君の凄いところは、その間、ずっと勝ち続けてきたことですよね。
その間、怪我もあり、アクシデントもあり、いろいろあったけど、でも、ずっと勝ち続けている。
周子ママの応援を恥ずかしいと思っていた学生時代。
男の子だもん。それが素直な感情ですよね。でも、自分が父親になって、親のありがたみがわかる。
この「感謝」は、本当に心から湧き出る感謝なんだろうなって思います。
ただただ全力で応援したいという親の気持ちがわかるようになって、キングはまた一回りも二回りも大きくなってますよね(^^)。





常に先を見る。

2016-07-06 18:20:29 | 航平君記事
今日は、昨年の世選のいろいろをちょっと見ていて。

世界選手権の時はやはり新聞記事は大きい(*^。^*)。
写真も大きいし。

リオ五輪も、新聞、またゲットしなければ。
テレビ放送と同様、新聞も地域差があって、同じスポーツ紙でも関東はカラーで、こちら地方はモノクロだったり(・o・)。
今度の五輪は早朝の試合ですので、夕刊に載ることになりますね。
WEB記事もいいけど、やっぱり、紙ものはいいなあ~と、眺めながら思いました(^^)。

で、好きだったのが、米田さんのこの記事。



「普通の選手は試合で使う技を練習し、練習した技を試合で使う。しかし、内村は試合で使わなくても練習するし、練習しても試合で使わない。試合で使うのは完成されたとき。だからミスもしないし、美しさも十分ある。優勝だけではなく、さらなる高みを目指している。」

あん馬のG難度も、出来るよ(*^。^*)。
使わないけど(^^)。

航平君の場合は、6種目のバランスを考えるので、出来る技も封印されてるもの、沢山あるんだろうなあ~。
昨年の世選後は、もう、これ以上難度を上げるのは難しいと言っていたけど、「ゲイロード2」という今まで使ってなかった技を披露してきた。

今、この新しい技を入れてきたことは、先を見据える航平君なので、これが東京に繋がっているような気がしてきます。
スペシャリストになるなら鉄棒だとも言ってるし。
ゲイロード2では終わらない何かが、東京で待ってるかもヽ(^。^)ノ。

やっぱり、航平君の体操は、わくわくすることだらけですね(^^)。