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中原中也のことを 書きたいと思う



 あれは確か 1980年代の末くらいだったか。テレビで中原中也が主人公のドラマを見た。たしかイケメン俳優の三上博史が演じていたと思う。屋台かなんかで友人の文士と酒を飲みながら、からんで取っ組み合いのけんかを始めるシーンをよく覚えている。

 本物の中也もきっとそんな感じだったに違いない。誰しも青春の一時期に、中也にはまってしまった経験があるんじゃないかなあ。僕も高校生の時から読み始め、なぜか今もって読み続けています。

 青春のはかなさ、もどかしさ、清々しさ、美しさ 荒々しさ、そんな要素がすべて含まれた、ガラス細工のような感性の詩人と思う。

 確かに教科書にもその詩が掲載される有名な詩人ではあるけど、いまいちメジャーな存在ではないよね。それに生前、詩集は『山羊の歌』の1冊しか出版していないし。死後も『在りし日の歌』だけだし。

 有名な詩もさることながら、“中也”と聞くと、フランスの詩人ランボーを気取った山高帽子をかぶった写真を連想する人が多いと思います。あれ、18歳の時初めて上京してきたときに東京で撮ったんだって。

 中也は、軍医だった父の転勤のため、2年間だけ金沢にいたこともある。住んたのは今の寺町5丁目で、料亭つば甚の隣らしいです。父に連れられて見た軽業(サーカス)の残像をもとに、かの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」で知られる「サーカス」を書いた由。

 でも、この詩は、その冒頭というか本体というか

   幾時代かがありまして
     茶色い戦争ありました
   幾時代かがありまして
     冬は疾風(しっぷう)吹きました


 にもっと注目してほしいなあ

 長男を病気で亡くし、失意のうちに、東京生活に別れを告げ郷里山口に帰ることを決心した中也は、それまで書き溜めた詩を清書し、友人であり最大の理解者であった小林秀雄に原稿を預けた。しかし古里に帰ること叶わず、鎌倉の病院で没した。享年30。その翌年、次男も亡くした。孝子夫人の胸中やいかに。

 その中也の、生前最後の詩がある

  

 おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
 煥発(かんぱつ)する都会の夜々の灯火を後に、
 おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
 そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい



 くーーーーっ 泣けるねえ













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