紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

岩倉使節の見たアメリカ:『米欧回覧実記』のアメリカ編を読む

2005-08-19 09:50:20 | 歴史
日本人は、外国人による「日本論」や「日本文化論」を読むのが好きで、しばしばベストセラーにもなっているが、アメリカ人もまた同様で、外国人によるアメリカ論を進んで読みたがるようだ。以前、アメリカの大学から客員教授として訪問していた歴史学者から、「19世紀後半に日本の外交使節が欧米を訪問した際の見聞録を読んでみたいと思っているのだが」と訊ねられた。話をしていて、明治11年(1878)に出版された久米邦武編『特命全権大使・米欧回覧実記』のことだとすぐに気づいた。
 
フランス人貴族のアレクシス・トクヴィルによる『アメリカにおけるデモクラシー』は政治学の必読書の一つで、留学中も散々読まされたのだが、同じ19世紀の日本人によるアメリカ訪問記を読んだことがないのを情けなく思っていたのでいつか目を通してみたいと考えていた。この『米欧回覧実記』は岩波文庫から全5巻で出ているのだが、手ごろな現代語訳がなかったため、日本人読者にもトクヴィルほど広く読まれなかったのかもしれない。研究書としては田中彰氏による研究が今は岩波現代文庫に収められて簡単に読めるようになったが、複数の英訳がペーパーバックで出ているトクヴィルと違って、この本の英訳は近年刊行されたばかりの高価で大部の研究図書なので一般の英米人の目に触れることはまだまだ少なさそうである。
 
そのアメリカ人教授にはこの英訳本を紹介したが、果たして読んだかどうかは定かでない。幸い、実家には明治期に出版された原本をそのまま1975年に復刻した本(宗高書房刊)があったので、それを見ながら先行研究には頼らずに、岩倉使節のアメリカ観について考えたこと、感じたことを少し書いてみたい。

岩倉(具視)使節の訪米は明治4年(1871)12月6日にサンフランシスコに到着し、鉄道を使ってネバダ、ユタ州と移動し、ロッキー山脈を越えて、シカゴを訪問し、シカゴから鉄道でワシントンDCを訪問、さらにニューヨーク市、ナイヤガラやニューヨーク州北部を経て、フィラデルフィア、ボストンを歴訪し、明治5年7月3日にボストンからロンドンに発つまでの7ヶ月強の大旅行だった。昨日のブログで取り上げた中江兆民もこの岩倉使節に随行した留学生だった。
 
トクヴィルの場合と同様に『回覧実記』の場合も最初に合衆国の建国までの経緯や自然・地理・産業・人種・教育・宗教・度量衡などについて概説している。独自の文明論的な考察を行なっているトクヴィルと違って、著者・久米邦武は客観的で淡々とした記述に徹していて、意外性のある記述にあまり出会えなかったのが残念だったが、第一巻の訪米編で特に目を引いたのは、1.教育に対する関心の高さ、2.男女関係の日本との違いに対する驚き、3.モルモン教に対する関心、4.州や地方自治に対する関心・観察、5.南北戦争と政党政治に対する考察、6.社会的弱者・マイノリティに対するまなざし、などであった。

まず教育に関しては概説のところで、
「大政府(=連邦政府)より格別に注意せず。各州の自定に任す。(中略)全国一規の学制はあらざるなり。ただその大要は合衆国の本領により、人民の意に任せ、人々自ら奮発せしむるを旨とす。故に欧州のごとく、父兄の督責し、強いて厳法をもって迫り、子弟の入学を促すことなけれども、人皆不学を恥じて、自ら怠らざるは合衆国の気習にて、自由寛政の実行というべし」
と解説し、教育が中央政府ではなく、州に任されていること、全国一律の義務教育を実施しなくても教育が普及するアメリカの自主独立の気風を評価している。
 
大学で『アメリカ社会論』の授業を行なっていても、アメリカの教育が州によって義務教育年齢が違ったり、州や地域によって大きく異なって全国一律のカリキュラムがないことを教えると驚く学生が少なくないが、岩倉使節もまずその点に着目しているのが興味深い。またサンフランシスコ市内では女学校と小学校、大学、兵学校の他、盲学校を訪問し、点字の教材作りについて詳細に記述している。
 
近代国家建設と条約改正を第一目的として欧米訪問した使節だが、随所にマイノリティや社会的弱者への暖かいまなざしが感じられるのが、この『回覧実記』の特徴で、カリフォルニア州ストックトン市では精神病院を訪問し、ユタではモルモン教徒の迫害の歴史に同情し、ワシントンDCでは黒人学校を訪問している。黒人学校訪問の記事では4ページにわたってアメリカにおける人種問題が概観されているのだが、最後に黒人の中には下院議員に選ばれたものも現れ、また巨万の富を築く者も登場していると指摘した上で、
「故に有志の人、教育に力を尽くし、よって学校の設けあるところなり。思うに十余年の星霜を経ば、黒人にも英才輩出し、白人の不学なる者は、役を取るに至らん」
と将来、黒人の教育水準が高くなれば、白人よりも出世するものも出てくるはずだ、とエールを送っているのも印象的だった。この点は白人でない日本人としての、また当時の発展途上国・日本からの使節ならではの共感や同情があったのだと思われた。

ニューヨーク市訪問では、
「米国において毎州の『シティー』は、大抵首府と処を異にす。首府は政令の出る所にて、州の中枢を択ぶ。『シティー』は物産の吐納する所にて良好要衝に興る」と解説し、アメリカにおいては州都と州の中心都市が異なることを指摘し、州都が多くの場合、州の地理的に中央に位置する都市に置かれるのに対し、中心都市は交通経済の要所に発達したという的確な捉え方をしている。
 
ニューヨークでは聖書の出版社を訪ね、アメリカ社会における聖書やキリスト教の重要性について詳述しているが、障害児施設や病院なども訪問し、仔細に観察している点も印象的である。議会や官公庁、大企業などの政治経済の中心だけでなく、社会福祉・社会改革に関わる施設を各都市で必ず訪問している点がやや意外だったが感心した。

他方、「最も奇怪を覚えたるは、男女の交際なり」とした上で、席や道を譲ったりする、いわゆる西洋風の「レディーファースト」には異を唱えている。明治初頭の日本人としてアメリカ人の男女交際に驚いたのは自然なことだと思うが、「我(=使節団)の挙動は、彼(=アメリカ人)の嘱目となりし如くに、彼の挙動も我には怪しまれたり」と、こちらのこともおかしいと思っているのだろうが、自分たちもアメリカ人のことはおかしいと思ったよ、などと啖呵をきっているのが微笑ましい。また州によっては女性参政権を認めている事実にも言及し、当時の女権運動について「心ある婦人は皆、擯斥する」とした上で、男女の義務は別で、だからこそ国防の義務は女性には課されないのであり、東洋の教えでは女性が家庭を治めるのが仕事で、「男女の弁別は、自ずから条理あり。識者、慎思をなさざるべからず」とまとめている。この記述なども全体としてアメリカの共和政治を称えているトーンから判断すると、著者の久米は民主政治の行き着くところは男女同権であり、そうなると日本の場合も社会関係も含めて女性の権利を拡張しなければならないと当然、理解していたはずであり、本能的な警戒感からこのように書いたことが伺われる。

コンサートの情景や、鉄道や市電の描写、町並みやテクノロジーへの驚きなども漢文ながら鮮やかに伝わってきて興味深かったが、アメリカの「自主」の精神というフレーズが繰り返し使われ、アメリカ人の独立不羈の精神に強く印象を受けていた点が明らかである。アメリカ訪問をまとめて、「(米国は)欧州にて最も自主自治の精神に逞しき人、集り来たりて、これを率いるところにして、加うるに地広く、土ゆたかに、物産豊足なれば、一の寛容なる立産場を開き、事々みな麄大をもって世に全勝をしむ、これ米国の米国たるゆえんなりと言うべし」としているが、豊かなアメリカを目の当たりにし、羨望のまなざしを送った反面、明治国家のモデルとしてはプロシアの方が適切だと考えたのだろう。「世に全勝をしむ」というのは今日のアメリカの一人勝ち状況を予見していたような記述だが、こうした明治人の認識が生かされていれば、アメリカに戦争をしかけることはなかったのではないだろうか。そんなことも考えさせられた。

(引用文は岩波文庫によったが、現代仮名遣い・漢字表記に改めた)


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