アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院左0370  霊鑑寺  御所人形が有名

2017年06月11日 21時08分28秒 | 寺院

 

円城山と号し、臨済宗南禅寺派の門跡寺院で、もとは鹿ケ谷比丘尼御所または谷ノ御所と称した。慶長17年(1612)頃、後陽成天皇女房大納言典侍は天皇の崩御に際して出家し、一宇を建立してその菩提を弔われたが、正保元年(1644)没せられた。その遺志を継いで、承応2年(1652)後水尾上皇の皇女多利宮を開山として建立したのが当寺の起こり。貞享2年(1685)後西天皇の皇女、普賢院宮宗栄尼(当院2世)のとき、父天皇の旧殿を賜って現在地に移建された。今の表門・玄関・書院・居間はこの時の建物で、書院の襖絵は岡本豊彦の筆になる。「滝水図」「梅雀図」「四季耕作図」をはじめ、狩野派の画家になる花鳥図等が描かれている。

本堂は、徳川家斉の寄進によって建てられた。堂内に安置する本尊如意輪観音像は如意寺の遺仏と伝わる。

庭園は、南庭、東庭、本堂前庭に分かれる。庭内には、後水尾天皇遺愛の散椿をはじめ、数々の椿の名木がある。寺宝として後奈良・正親町・後水尾・後西各天皇の宸翰をはじめ、親王・女王の多くの遺品を伝えている。中でも皇室より御下賜の御所人形が多数所蔵されている。

 

 

 

南側の塀

関連記事 ➡   宝鏡寺  人形寺と呼ばれています  

                           雛さまと御所人形の勢ぞろい

後陽成天皇 ➡  寺院東0356  泉涌寺 3  

            豊国廟  豊臣秀吉の墓所

            豊国神社  

            護浄院  天台宗 勅願所 清荒神  

            閑臥庵  黄檗宗 

寺院 前回の記事  ➡  寺院左0369  瑞光院

五七五

三ツ星も敵わぬ妻の目分量

ことわざ

好きこそ物の上手なれ


寺院左0371  妙見宮

2017年06月11日 12時12分21秒 | 寺院

 

 

左 妙見宮   右  不動堂

 

関連記事  ➡  お寺・神社めぐり02  洛陽12支妙見めぐり

            寺院左0370  霊鑑寺  御所人形が有名

寺院前回の記事 ➡  寺院左0370  霊鑑寺  御所人形が有名

五七五

桂川川面に光る神輿船 /野田

ことわざ

知恵は小出しにせよ


道標左0114  此奥 俊寛山荘地

2017年06月11日 08時26分23秒 | 道標

此奥 俊寛 山荘地

後白河上皇(1127~92)側近の僧である法勝寺執行俊寛(生没年未詳)は,治承元(1177)年6月,自らの山荘で平氏打倒の密議を行い,その首謀として薩摩国鬼界島(現鹿児島県硫黄島)に流された。この石標は,世にいう鹿ヶ谷の謀議が行われた山荘跡地を示すものである

 

昭和14年3月 建立  京都市教育會

 

関連記事 ➡  石碑左0116  俊寛僧都忠誠之碑

             道標左0113  俊寛僧都旧跡道  八丁

             寺院左0206 満願寺  洛陽12支めぐり・辰 溝口健二碑

関連記事 俊寛  ➡    ゆかりの地 俊寛 

道標 前回の記事 ➡  道標左0113  俊寛僧都旧跡道  八丁

五七五

静かな夜 二人語らう設計図 /山本

ことわざ

人間僅か五十年