日本最初の三宝荒神
三宝荒神は火の神 秘仏 祟神ともなるから恐ろしい
奈良時代の宝亀2年(772)、僧開成が
摂津国清澄寺で8本の手を持つ八面八臂の像を作ってまつった。
のちに、後小松天皇が下京区の観音寺に安置した。
このころから清荒神と呼ばれるようになったという。
今のお寺に移されたのは慶長5年(1600)
後陽成天皇によって皇居の守護神とされてからです。
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光格天皇の御胞衣塚がある
厄除開運御火箸
清浄水 「無垢の井」
標柱は三宅安兵衛遺志建立
ここは東門
手水舎 「無垢の井」と命名されています
表の北門です
提灯は清荒神(きよしこうじん)
清三寶大荒神は日本で最初で秘仏
標柱は三宅安兵衛遺志の建立です
常施無畏寺(じょうせむい)と号し、天台宗の寺で通称清荒神という。
本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳(じょうげん)が醒ヶ井高辻の地に勧請し、初めて清荒神と言われた。その後、慶長5年(1600)ここに移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合せ祀って長日の御祈願を行い、元禄10年護浄院の院号を賜わり今日に至っている。また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。尊天堂内に安置される福徳恵美須神はもと禁裏に奉安せされていたが、明治維新に際しここに移され、京都七福神の一に数えられ、世に尊信が篤い。なお、荒神町の地名はここより起こったものという。
本殿 鳥居建立年月 無記銘
扁額 清の右の部分 顔のように見えます
厄除開運御火箸 今は火箸は使わなくなりました
夫婦円満・縁結び 「道祖神」
地蔵尊
弁財天
光格天皇 御胞衣塚
大なべ いつ 使われるのでしょう
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