住蓮山と号し、浄土宗西山派禅林寺に属したが、今は単立寺院となっている
浄土禮讃根元地 圓光大師霊場
明治初期の儒者、葵園中沼了三の墓は、門内左手にある。
現在地より東南200m位、鹿ケ谷の山上に、法然上人の如法念仏の道場があって、念仏声明に巧みな上人の弟子住蓮房・安楽房の二僧が住んでいた。たまたま後鳥羽上皇の女房松虫・鈴虫の二人が、二僧の説法に感化され、ひそかに宮中を抜け出て落飾し、尼となった。これを知った上皇は立腹され、二僧を捕えて斬罪に処し、その師法然も土佐国に配流させられた。承元の法難である。それからこの道場は長く荒廃していたが、江戸中期の延宝9年(1681)二僧の菩提を弔うため、現在の地に伽藍を建てたのが当寺の起こり。茅葺の門をくぐると、境内右手に住蓮・安楽の五輪石塔二基がある。境内山林中には松虫・鈴虫の五輪の小石塔二基がある。後世につくられた供養塔である。本堂には本尊阿弥陀三尊像を安置し、その傍らに鈴虫・松虫の坐像および法然上人張子の像を安置する。
洛東12番くあん世音
明治4年8月27日
福井・・・
志ゝケ谷 安楽寺
塀
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五七五
七転び八起きが出来ず苦笑い /寺田
ことわざ
諦めは心の養生