秀吉は63歳で伏見城で亡くなった 秀吉の墓所
参考 狩野光信 筆 豊臣秀吉
元は、阿弥陀ケ峯中腹にあったが、豊臣滅亡後徳川氏によって社殿は取り壊され、
明治維新後 明治11年 方広寺の大仏殿址地に再興された
石鳥居 昭和10年10月建立 社号標 大正14年10月建立
石灯籠 明治22年11月建立
石鳥居の扁額
豊の 一 の上 鳥の絵になっています 鳩と燕 かな
手水舎
唐門
唐門は明石博高が南禅寺金地院から買い取り明治11年2月寄付した
唐門の神額は後陽成天皇の宸筆 石鳥居の扁額と同じ
中央にかえる股、豪華な彫刻がなされています
唐門の両脇に六角型石灯籠がある。秀吉恩顧の諸大名が奉献した。
大野修理太夫治長の名もみえる
本殿内 秀吉お馬塚 がある この画像の右奥
徳川政権下 豊国廟に参詣することをはばかった
京都の民衆が旧方広寺内のこの地に石塔を設けここに参詣した
ひょうたんの小絵馬
ぞうりの絵馬
ひょうたんの栽培
稲荷大明神
石鳥居は明治44年1月建立
隣は方広寺の鐘楼
宝物館には豊国祭図 等 多数あり