木っ葉の微塵日記

流れ者が日々のあれこれをつぶやきます。当たって砕けるかも~
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年度末

2006-03-31 22:27:48 | Weblog
3月31日である。今年は冬が寒く、地方によっては大雪となったが、なぜか、そういう年の桜は早いのだという。実際、東京・横浜ではすでに満開宣言が出ている。

が、ここ茨城では、まだ3分~5分咲きといったところで、しかもここ数日は冷え込んでいるせいか、あまり咲き進まない。

春は別れの季節か、それとも出会いの季節か、というアンケートを見たが、日本では間違いなく区切りを感じる時であろう。だって、学年・卒業・就職・転勤など、やはり年度替わりに起こることが多いから…。

ただ、人為的に何かに区切りをつけることは、気持ちを新たにするためにあっても良いと思うが、自然の移ろいや人が生きていくことには時間の区切りなどありはしない。ずっと何かを続けていくこと、たゆまず目指すところに向かっていくことは、大事なことであろう。

昔、「休みたいと思ったら死ね」という歌があったように思うが、時には休みながら、でも少しずつでも進んでいきたい。取り敢えず、今年度お疲れ様

大合併

2006-03-30 23:59:46 | Weblog
ここ茨城県では「平成の大合併」の最後として、27日に“つくばみらい市”が誕生した。

伊奈町と谷和原村の合併であるが、隣の“つくば市”にあやかろうというのか、かなり恥ずかしい名前に思える。実際、この名前が決まった後でも地元の識者が反対していたようだ。

と思っていたら、小川町、美野里町、玉里村も同じ日に合併して“小美玉(おみたま)市”になったそうだ。負けず劣らず恥ずかしい気がする。

茨城には、村は1つしか残らないことになった。東海村だ。きっと儲かっているのだろう。

国技

2006-03-29 21:07:04 | Weblog
大相撲春場所の千秋楽をテレビで観た。相撲を観るのは久しぶりである。

朝青龍と白鵬の優勝決定戦になったが、その前の相撲も併せて、かなり見応えがあった。

口さがない人は、2人とも負けて決定戦になるなんて“できすぎ”だというが、相撲も興行ではあるけれどプロレスじゃあないんだから、ガチンコだと思った。

すっかりモンゴル勢力が強大になった相撲界であるが、全く違和感はなく、国際化が進んでいることは良いことと思う。

“国技”なので、日本人の横綱がほしい、という声があるが、スポーツなのだから、ルールに則って、強い者が横綱になれば良いことであろう(品格も必要なのかもしれないけれど)。

何にしても、強い者どうしが対戦する、それが観ている方にも一番の楽しみではないか。

宇宙基本法

2006-03-28 19:14:02 | Weblog
が国会に提出されるという。何の基本なのかと思えば、宇宙開発の利用についてであって、それも自衛という名の軍事利用を可能にするためだというのだ。

宇宙という名の地球大気圏外に行くためには、大変なエネルギーを必要とし、だから莫大な金がかかる。戦争という殺し合いのために、そのような労力をかけるとは本当に莫迦げたことだ。

人間の智恵と汗は、そんなことに無駄遣いすべきではない、と思う。本当にそんな法案が出てくるのであれば、断固として反対したいと思う。

小学校で英語

2006-03-27 23:11:30 | Weblog
必修にするという話がニュースになっている。

が、小学5,6年生で週1時間程度、ということでは、挨拶くらいしか教えないのかもしれないし、どの程度の教育効果があるか解らず、逆に時間を削られる教科があるのではないかと心配になる。

ニュースでは「コミュニケーション能力の育成を重視」としているが、そうであれば英語を教えるよりも大事なことがあるような気もする。例えば、具体的なテーマについて議論する能力とか、ボランティア活動実習、いや、そんなに構えずとも自分の住む街の散歩などはどうだろうか。

むろん、英語が自由に操れるようになれば、より多くの世界の人と異文化コミュニケーションが取れるのだろう。しかし、地球上でさえ英語を母国語としている人が多いという訳ではない(地球外まで考えれば全く解らない)し、本当に大切なことは、言葉という技術ではなくて、何を伝えるかという心であろう。

それには、教室にこもって単語を暗記するような勉強ではなく、様々なことを身をもって体験し、それに向かっていくということを積み重ねた方が良いように思うのだ。そして、もちろん人間だから、心を表すための言葉という技術も必要だろうが、まずは自分の国語をしっかり習うべきと思う。

英語は(他の国の言葉も)、興味を持って勉強したいという生徒にだけ教えてあげれば良いのではないだろうか。

腹ごなしと頭ごなし

2006-03-26 16:38:39 | Weblog
先日、ちょっと食べ過ぎた日に「腹ごなし」しながら考えた。

「頭ごなし」って「腹ごなし」と関係あるんだろうか、と。

「こなす」と言えば「何かをうまくやる」という意味だと思っていたが、辞書を引くと第一に「食物を消化する」とあった。しかしそれならば「腹をこなす」は正しい使い方ではなさそうだ。「腹がこなれる」とも言うような気がしていたが、辞書を見る限り「食べ物がこなれる」と言うのが正解らしい。ちなみに漢字では「熟す」と書くようだ。

さて、「頭ごなし」はどうだろうか。gooの辞書では「あたま-ごなし」となっているが、「ごなし」の漢字が記されていないので、同じ「こなす」が起源なのかどうか、判らなかった。ただ、「こなす」の項目に「人をけなす。軽くあしらう」ともあるので、語源は近いのかもしれないと思った。が、まだ判らない。

言葉は母国語として何十年もしゃべっていても、難しい

国民栄誉賞

2006-03-23 20:35:43 | Weblog
何だか釈然としないものが残る“世界大会”で優勝したからと言って、急に“国民栄誉賞”とかいう話が出てくるのには、少しうんざりさせらる。

もちろん、様々な制約の中で選手は良くやったに違いない。でも、それで金メダルを手にすることができたのだから、それで充分に報われていると思うのだ。

まあ、今回の話はすぐに立ち消えになったようだから今さら何かを言うべきでもないのかもしれないが、こういう時に「賞を出そう」という話は、むしろ出す側が出したいという意図が見えてしまう。

と思ったら、今度は紫綬褒章の授与が検討されているというではないか。決してもらうことのない者のひがみかもしれないが、勲章ってもらうと嬉しいのだろうか?

以前「自分で自分をほめてあげたい」と言った選手がいたが、人に褒めてもらうよりも、自分が納得して生きることの方が、より大切なのではないか、と思う。少なくとも、自分は、そうありたいと思うのだ。

サンディエゴ

2006-03-21 19:24:05 | Weblog
今日は曇りがちな天気だったようだが、もう10年くらい前にサンディエゴを訪れた日は、いかにもカリフォルニアといった感じ(って、どんな感じだ?)の青空が美しい日だった。

2泊3日と言っても、街に着いたのが真夜中で帰りは朝から出発したので、実質的には丸1日しか滞在できなかった。しかも日中は会議に出席していたので、市内観光さえもしていない。

それでも、せっかくここまで来たのだから、と、夕方からストリートカーに乗ってティファナに出かけたものだ。

国境の検問も(アメリカ→メキシコは)何もなくゲートを通るだけだし、米ドルも使えるので他の国に行ったという気分が出にくいが、しかし街のたたずまいは青空の眩しかった綺麗なサンディエゴとは明らかに違い(夕方ではあったが)、繁華街の賑やかさ・けばけばしさや物売りの客引きの声はアメリカでは聞かなかったものだ。

あまり時間が取れなかったので、適当に歩いて、適当に買い食いをし、アメリカへ戻った。確かに境があって“国”というものが存在すると実感できる1日だった。今日は野球を見ていて、そんなサンディエゴを思い出した。

WBC

2006-03-20 21:16:30 | Weblog
WBCと聞くと何かボクシングのようだが、今や野球の世界大会?のことである。MLB(アメリカ大リーグ)が決めた妙なルールに乗り損なったのはアメリカ自身かもしれないが、大変な盛り上がりを見せた韓国でなくても、おかしな感じを持つ点が多かった。

先日のオリンピックも“国威発揚”に使われることがある。今年はサッカーのワールドカップもある。今回のWBCでも、おかしな大会にしては急に盛り上がってきたように思える(もっとも、韓国に2回負けて、そして勝ったからというだけかもしれない)。

スポーツの試合なのだから、良いゲームが見られれば良いのではないか、と思ってしまう。実際には見ていないのだが、そういう意味で3回行われた日韓戦は、どれも好ゲームだったようだ。

そんなことを言っていると、「国を愛する心」が足りない、と言われてしまうのだろうか。しかしながら、自分の国を愛する心は、他の国を憎む心ではないだろう。そもそも“国”とは何なのだろうか? 生まれた所というのであれば、それは家であり村であり地球ではないか。特に国という単位を愛さなければならないこともあるまい。

ましてや愛する心は、他人からとやかく言われることではあるまい。この国の首相は、心の問題は他人から指図されるものでない、と言っていたような気がする。それを強制してくるようなことが無いと良いのであるが…。

教室で日韓戦

2006-03-19 23:33:26 | Weblog
どこかの小学校で、生徒にはプリント(テスト)をやらせて、自分はTVで野球の日韓戦(準決勝じゃなくて2次リーグ)を観ていた先生がいる、というニュースを新幹線の中で見た。

どうして、そういう話がニュースになってしまうのか、という点にも興味があるが、この話では何を問題にしているのだろう?

先生が仕事の時間にテレビを観るのがいけない? でも生徒には授業の一環としてテストをやらせているのだから、その進行に影響がなければ何をしていても構わないような気もする。

ただ、自分が野球の中継を観たいがためにテストをやらせて時間を作ったのだとすれば、ちょっと問題か。

もしも、野球を生で観たかったのなら、「今日の授業は野球観戦」と決めて、生徒も一緒にテレビ観戦したら良かったのではないか。

ただ、実際にそういうことをすれば、「ちゃんとした授業をしていない」という、別のお叱りを受けそうな気もする。それくらいの“ゆとり”があった方が良いように思うのだが…。

なお、この話は「国を愛する心」とは無関係です。本当は、そろそろ、その話題にもふれたいところなのだが…。