最近、考えさせられたのは責任の取り方、特に連帯責任についてである。某政党のガセメール問題ではなく、卒業式の夜に酒を飲んで騒いでしまった野球部員の高校生の話だ。
卒業式を終えても、その日の内は高校生の身分だとか、3月いっぱいまではそう扱うとか、いろいろな話がある。以前は「退部届」というものがあって、それを出した後は部員でないから、後輩に影響を及ぼすこともなかったとも聞く。
そういう形式的なことで「罪の重さ」や「責任の取り方」が変わるものなのだろうか? むしろ、ある部員が違法行為を行った場合に、その本人とは無関係な他の部員が試合に出られなくなるということ自体を考えるべきではないか。
何か建前に縛られて出場辞退という道を選ぶこと、それは学校側に辞退しなかった場合に非難されるのではないかという逃げの心があるように思えてならない。だって個人の飲酒という行為が部活動に影響を与える必然性が理解できない。
飲酒の結果として騒ぎが通報されてしまったから事が明るみに出て、それで辞退になったとすると、では通報されずに済んでいれば何事もなかったことになったのだろうか。
今、気になっていることは、他に飲酒した(けれども通報はされなかった)野球部員のいる出場校が無いのか、ということだ。その部員が真面目な性格であれば、きっと“良心の呵責”を感じているかもしれないと思うのだ。
建前の国では「卒業式の夜に酒を飲んで羽目を外すくらい構わないではないか」と言える人は少ない。何か建前の前に口を閉ざすばかりになることが怖い。
卒業式を終えても、その日の内は高校生の身分だとか、3月いっぱいまではそう扱うとか、いろいろな話がある。以前は「退部届」というものがあって、それを出した後は部員でないから、後輩に影響を及ぼすこともなかったとも聞く。
そういう形式的なことで「罪の重さ」や「責任の取り方」が変わるものなのだろうか? むしろ、ある部員が違法行為を行った場合に、その本人とは無関係な他の部員が試合に出られなくなるということ自体を考えるべきではないか。
何か建前に縛られて出場辞退という道を選ぶこと、それは学校側に辞退しなかった場合に非難されるのではないかという逃げの心があるように思えてならない。だって個人の飲酒という行為が部活動に影響を与える必然性が理解できない。
飲酒の結果として騒ぎが通報されてしまったから事が明るみに出て、それで辞退になったとすると、では通報されずに済んでいれば何事もなかったことになったのだろうか。
今、気になっていることは、他に飲酒した(けれども通報はされなかった)野球部員のいる出場校が無いのか、ということだ。その部員が真面目な性格であれば、きっと“良心の呵責”を感じているかもしれないと思うのだ。
建前の国では「卒業式の夜に酒を飲んで羽目を外すくらい構わないではないか」と言える人は少ない。何か建前の前に口を閉ざすばかりになることが怖い。