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このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#534 北風昏迷録(4)

2007年10月10日 | そのほか
当時唯一の光は、まゆみちゃんという友だちができたことでした。
家が近かったので学校の行き帰りが一緒になったのがきっかけで仲良くなりました。
とても優しくて、わたしがどんなに無口でも明るく話しかけてくれました。
学校の誰とも口をききませんでしたが、まゆみちゃんとだけならおしゃべりできるようになりました。

わたしはいじめから自分の身を守るために、いつもまゆみちゃんと一緒にくっついていました。
けれども、完全にいじめから逃れることはできませんでした。

上靴はいつもどこかに放り出されていましたし、隙を見せては人目のつかないところにむりやり連れて行かれて蹴られたり殴られたりしました。

それに学年が上がってくると男子・女子の力関係が変わってきます。
まゆみちゃんもだんだんとわたしをかばいきれなくなってきました。
まゆみちゃんは、先生や親に言った方が良いと言いましたが、わたしが口止めをしていました。事実を知れば母が悲しむからです。

3年生から4年生に上がるときに、クラス替えがありましたが、幸いにもまゆみちゃんと同じクラスになりました。
ただ、わたしをいじめていたグループもまた同じクラスに入り、地獄の日々は終わらなかったのです。
ある出会いが訪れるまでは…
つづく…

#533 北風昏迷録(3)

2007年10月10日 | そのほか
のどかな田舎の学校から都会の学校に転校したことが、運命の分かれ道でした。

わたしは極度の緊張下にありながらも、あたらしい同級生と仲良くしようとがんばりました。
隣の席の子に自分から積極的に話しかけました。無口で人見知りするわたしにとって、これ以上ないがんばりでした。
でも、それがいけなかったようです。

「おまえらできてるのか!?」とからかわれました。
わたしにはその言葉の意味がぜんぜんわかりませんでした。
隣の子はそれ以降一言も口をきいてくれません。
転校した初日からいじめられるようになりました。

当時の学級内は男子と女子がいがみ合って、対立関係にありました。
さらに男子グループ・女子グループ内もいくつかの派閥に分かれておりました。
学校区内に高級住宅地が含まれており、そこには会社の社長・重役や役所の上級職の人たちが住んでいて、その子どもが同じ学級に何人かおりました。
後年聞いたところによりますと、大学付属小学校の「お受験」に失敗してやむなく市立の小学校に来たというわけです。服装も態度も一般庶民の子とは違っておりました。
その「エリート階級」の子に幾人かの庶民の子らが取り巻き、派閥を形成していたのです。

もちろん小学校一年生当時のわたしには理解できないことでした。
そもそも、男子・女子などという区分けもわかっていませんでした。
田舎の学校に居たときはみんな仲良しでしたし、お風呂も銭湯で一緒に入って遊んでいたくらいでしたから。

転校初日のまだ相手の名前すらもわからないうちから、悪口を言われ、叩かれ、蹴られ、ひどい目に遭わされました。
けれども、もっとも耐え難く悲しかったのは、鉛筆を全部折られ、消しゴムも粉々にされてしまったことです。

わたしの家が貧乏なのは子供心にもわかっていました。ご飯の食べられない日もありましたから。
母親がやっとの思いでためたお金で買ってくれた鉛筆や消しゴムが無惨なことになってしまったのは、自分の体を痛めつけられることよりもつらいことでした。

心を固く閉ざし、そのときより一言も話をしなくなりました。
何も言わず無抵抗なわたしに対するいじめはその後3年間続きました。

家では父親に暴力を受け、学校でもいじめに遭い、その地獄の中にあって、ただ一つ救いが、友だちが一人いたことでした。
つづく…