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このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#350 曠野を行け

2007年04月25日 | 色鉛筆
色鉛筆らくがき…

               


(以下駄文)
絵を始めようと思ったとき、ほとんどの人は「誰にでも描ける○○画入門」などといった本を求めるでしょう。それが最も安全な道と思われます。
本の通りに勉強すれば誰でも安全・簡単に絵が上達するわけです。

ところが、世の中には<このは紅葉>というひねくれ者もいて、「絵は自由に描けばよいのだし、そのために本で勉強するなど百害あって一利なし」と豪語したものであります。
未開の曠野(こうや)を自力で踏破しようという冒険に挑んだのは勇ましいことですが、とても危険で無謀な行為でした。
意気盛んな時はどんな困難も乗り越えられる気持ちになるのですが、常に元気でいられるわけもなく、調子が悪いときは言いようのない不安に襲われることもしばしばあります。
「本で絵の基礎を勉強する」というような裏付けも支えもなく、無知で無鉄砲だけが取り柄ですから、ただひたすら自分を信じるしかありません。

自分を信じる力が弱まると、「自分のしていることは愚かなことなのではないか」「素直に本で勉強した方が良いのではないか」という考えに流されそうになります。

これまで絵について意見を書いたことが何度もありましたが、実はそのとき自信を喪失していて、自分自身を鼓舞するために書いたものなのです。

はい、今がまさに曠野の真ん中で、進むべきか戻るべきか悩んでいたのでございます。
いつも悩みながらも、結局一度も「戻る」を選ばなかったので、たぶんこれからも戻ることはないと思います。

それなら何も悩む必要は無いような気もしますが、あるいは、先に進むためには時々立ち止まって悩むことも必要なのかもしれません。

#349 東京急行電鉄目蒲線・大井町線

2007年04月25日 | 鉄道
白黒写真を見て、3色の色鉛筆で描きました。

               

(以下駄文)
白黒写真を見ていると色が見えてくるのはわたしだけでしょうか?
現実の目には白黒に見えているのに、心の目に色が見えてきます。
そのようにして描いたのが今回の絵です。

白黒写真に限らず、ふつうに物を見ていても、実物とは違う色が見えてくることがあります。
前回「#348貝殻」の絵はそうした実物とは違う色を感じて描いたものです。

以前、わたしの絵を「奇をてらっている」と評した方がいらっしゃいましたが、自分が感じたとおりに素直に描くとそうなってしまうのです。理解されないのは仕方ありません。

絵は「見たとおりに描く」ものだと思っています。
けれども、世間一般に言う「見たとおりに描く」というのは「実物に忠実に」という意味で言うのに対し、わたしは「自分の感覚に忠実に」という意味で言っているので食い違いが生じます。

デッサンの教室に行ったなら、先生に「ここが間違っている」「目の錯覚に惑わされないように」「遠近法を学びなさい」と指摘されるのかも知れません。デッサン教室は実物そっくりに描く勉強をするところなので当然のことでしょう。

けれど、わたしはその考えとは全く逆で、「目の錯覚というのは自分の感覚」なのですからそれを大切にして、目の錯覚の通りに描くべきだと思っています。
「建物や電信柱はまっすぐ立っているはずだ」という知識を持っているからまっすぐ描くというのではなく、まっすぐに見えるからまっすぐに描くのですし、曲がって見えたとしたら、たとえ常識に反していても見た通りに曲がって描くべきです。

このブログの始めの方からご覧下さっている方はよくご存じだと思いますが、わたしの絵は以前は普通だったのに、だんだんと常識はずれの方向に向かいつつあります。
わざと外れようと思っているわけではなく、自分の思ったとおりに描こうとすると自然とそうなってしまうのです。
少しずつ自由な気持ちで絵が描けるようになってきて楽しくなってきたのですが、心配事があります。

楽しく描けたらそれで良いと言っても、描いた以上はやっぱり誰かに見てもらいたいし、理解してくれる人が誰もいないと淋しいものです。
今はコメントしていただける方がいらっしゃって喜ばしいことなのですが、もし、絵が変な方向に進んでしまって誰もついて来られなくなったらどうしようという心配です。

杞憂かも知れませんが、自分の絵がどうなっていくか皆目見当もつかない不安があります。
自分の絵にもっと自信を持たなきゃいけないのかもしれませんが、全然自信が無いのです。

#348 貝殻

2007年04月25日 | 色鉛筆
色鉛筆2色で…
立体眼鏡をかけても立体的には見えません…たぶん。

試しに白黒にしてみたら、普通の鉛筆で描いたようになりました。

このほうが一般受けするのかな?

自分で感じたことを素直に表現しようとすると、世間の人からは理解されない方向に進んで行ってしまうようです。