色鉛筆らくがき…
(以下駄文)
絵を始めようと思ったとき、ほとんどの人は「誰にでも描ける○○画入門」などといった本を求めるでしょう。それが最も安全な道と思われます。
本の通りに勉強すれば誰でも安全・簡単に絵が上達するわけです。
ところが、世の中には<このは紅葉>というひねくれ者もいて、「絵は自由に描けばよいのだし、そのために本で勉強するなど百害あって一利なし」と豪語したものであります。
未開の曠野(こうや)を自力で踏破しようという冒険に挑んだのは勇ましいことですが、とても危険で無謀な行為でした。
意気盛んな時はどんな困難も乗り越えられる気持ちになるのですが、常に元気でいられるわけもなく、調子が悪いときは言いようのない不安に襲われることもしばしばあります。
「本で絵の基礎を勉強する」というような裏付けも支えもなく、無知で無鉄砲だけが取り柄ですから、ただひたすら自分を信じるしかありません。
自分を信じる力が弱まると、「自分のしていることは愚かなことなのではないか」「素直に本で勉強した方が良いのではないか」という考えに流されそうになります。
これまで絵について意見を書いたことが何度もありましたが、実はそのとき自信を喪失していて、自分自身を鼓舞するために書いたものなのです。
はい、今がまさに曠野の真ん中で、進むべきか戻るべきか悩んでいたのでございます。
いつも悩みながらも、結局一度も「戻る」を選ばなかったので、たぶんこれからも戻ることはないと思います。
それなら何も悩む必要は無いような気もしますが、あるいは、先に進むためには時々立ち止まって悩むことも必要なのかもしれません。
(以下駄文)
絵を始めようと思ったとき、ほとんどの人は「誰にでも描ける○○画入門」などといった本を求めるでしょう。それが最も安全な道と思われます。
本の通りに勉強すれば誰でも安全・簡単に絵が上達するわけです。
ところが、世の中には<このは紅葉>というひねくれ者もいて、「絵は自由に描けばよいのだし、そのために本で勉強するなど百害あって一利なし」と豪語したものであります。
未開の曠野(こうや)を自力で踏破しようという冒険に挑んだのは勇ましいことですが、とても危険で無謀な行為でした。
意気盛んな時はどんな困難も乗り越えられる気持ちになるのですが、常に元気でいられるわけもなく、調子が悪いときは言いようのない不安に襲われることもしばしばあります。
「本で絵の基礎を勉強する」というような裏付けも支えもなく、無知で無鉄砲だけが取り柄ですから、ただひたすら自分を信じるしかありません。
自分を信じる力が弱まると、「自分のしていることは愚かなことなのではないか」「素直に本で勉強した方が良いのではないか」という考えに流されそうになります。
これまで絵について意見を書いたことが何度もありましたが、実はそのとき自信を喪失していて、自分自身を鼓舞するために書いたものなのです。
はい、今がまさに曠野の真ん中で、進むべきか戻るべきか悩んでいたのでございます。
いつも悩みながらも、結局一度も「戻る」を選ばなかったので、たぶんこれからも戻ることはないと思います。
それなら何も悩む必要は無いような気もしますが、あるいは、先に進むためには時々立ち止まって悩むことも必要なのかもしれません。
自分で模索していくもの…。
と、このはさんの文を読んで
個人的に思いました。
我が道を行く…というのは
辛い部分もあるかもしれませんが、
似たような絵があふれる中で
光り輝けると思います。
自力で進んでいくのは困難が大きい分、得られる喜びも大きいのかな?
これからも、ときどき弱音を吐きつつも、あきらめずに自分の道を行けたら良いなと思います。