たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

終わりははじまり

2014-10-19 20:50:54 | 日々の雑感
ここ数か月、勉強会最終日に向けて、あれこれずっと準備にいそしんでいましたが、最終回はイベントとして、たくさんの方にご参加いただき盛況に終わりを迎えられました。

今年になって、なぜか様々な終わりがあって、変化の流れを実感せずにいられないのですが、終わりの寂しさよりも何かが始まるワクワク感のほうが大きいのはなぜなんでしょう…

変化が必然であるならば、終わりも必ずくるものです。
この勉強会を中心に書いてきたここのブログも、そろそろのタイミングなのかなと思います。

とはいえ、研鑽には終わりがなく(旅立つ日までは)今後も他の会にどんどん参加していくつもりですが…
これからは個人サイトのほうで書いていこうかな…なんて思ったりもしています。

心理療法に出会い、このブログを通してもたくさんの学びがありました。
学びを通して自分の変化は、とにも、かくにも、心がほんわか楽になれたことでしょう。

そして、自分の中にある幸せというものを実感できたこと。
それは、自分の中にある「鬼」も「仏」も大切に思う事から、みつけることができました。
すべては自分の中にあるということ。

ここのサイトは、勉強の成果の備忘録として、しばらくは残しておく予定です。

多くの方にご訪問いただき、ご縁をもたせていただいたこと、ほんとうにありがとうございました。

真央ちゃん、ありがとう!

2014-02-25 23:47:03 | 日々の雑感
怒涛のソチオリンピック終わってしまいましたね。
あさイチで、「ソチロス」なんて言ってたけど、ちょっとあるかも(笑)
未だに真央ちゃんのフリー、各国の放送とか観て泣いてるし…

真央ちゃんファンになったのは、グランプリファイナル2005でかがやく「あの」笑顔をみてからだ~と、最近気づいたのです。過去の映像から。

それまではフィギアスケートあまり観る方ではなかったのです。フィギアというより真央ちゃん個人に惹かれているのですね。きっと。なので、フィギアスケートはど素人でさっぱりわからないですが、どんな大会でも真央ちゃんの演技をみるといつも泣けたのです。変な人みたいなので、誰にも言ってなかったですが(笑)

なんでだろう?ファンだから?といつも不思議でした。

でも今回はその謎が解けた気がしました。
ショートもオンタイムで観ていましたが、真央ちゃんの何が起こったんだろう??という表情に、私も???という気持ちで1日過ごしました。でも、私もそうでしたが、日本のファンはフリーで笑顔が見れれば、それだけでいいと本気で思っていた…と思うのです。これって無償の愛?のような…すごいことだな~と。

そしてその夜、圧巻のフリーの演技(泣)

今回は日本だけでなく世界中でも多くの人が泣いたようなのです。
それは、なぜなんだろう…不思議だけど、真央ちゃんの演技には、心の奥の魂を揺さぶる「何か」があるのだと思ったのです。

メダルも採点もとても小さなことに思えてきて…それ以上の「何か」を感じてしまったのですよ。
言語化できない感覚なので「何か」になってしまうのですが、あの瞬間たしかに世界中でその「何か」を共有していたと思うんです。

そして私は「ありがとう」しか、頭に思い浮かばなかったのです。こんなすごい気持ちを感じる事ができた…ことに対してなのかな…

まだしばらく、ソチロス続くかも(笑)

穏やかなお正月

2014-01-06 21:31:17 | 日々の雑感
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

本日より仕事始めで、恒例の明治神宮初詣です。
素晴らしいお天気と、今年も変わらずお参りできたことへの感謝のみ手を合わせてきました。

今年はどんな変化があるのか楽しみですが、変わらない穏やかな日常の継続が、その積み重ねがほんとうは大切な事であると心に刻んでいる毎日です。

江の島の初日の出もおめでたいのでここに…by次男撮影

2013年の大晦日ですね。

2013-12-31 16:46:48 | 日々の雑感
煮物の前に年末のごあいさつ…

今年は、といえばなんといっても「食」でした。って、大食いしたとかではないですよ(笑)
身体に入るものとして真剣に考えて、今の世の食事情と折り合いをつけながら、1食1食大切にと思った1年でした。
最初は長男発信だったのですが…

いろいろ試していた長男も、最後はやっぱり「和食」に落ち着きました。
無形文化遺産にも登録されましたしね!

朝食が、玄米と野菜の味噌汁、野菜の塩麹漬け、納豆+残りの煮物とかで、「いま、昭和30年代か!」
などとつっこみを入れながら、それでも素材が良いと贅沢な食事にみえるのが不思議です。
そして世の中にあるジャンキーな食べ物を欲しがらなくなった家族の変化も不思議です。

食べ物は体だけでなく心も作ると感じているので、自分が今、チョイスする食べ物は、現在の自分の心とリンクしている気がします。
そんなこと考えながら、大晦日を迎えています。

いつも勝手にお休みになっている「たわごと」ですが、気が向いた時にはきっと更新していますので、来年もよろしくお願いいたします。



無農薬な野菜たち…やっぱり色は土色(これでも泥とったほうです)…さて筑前煮にします。


完璧だと存在しない?!~神の数式から~

2013-11-04 15:01:42 | 日々の雑感
今さらなのですが…
9月にNHKスペシャルで放送された「神の数式」第1回,第2回
オンタイムはわくわくしながら観て、録画して何度か観ていましたが、もろもろ大変なことがだいぶ落ち着いたので、この連休にまたゆっくり観ることができました。

でもなぜでしょう?数式などまったくわからないのに…
数式どころか、数学も物理も化学さえも赤点だった私が、どうしてこうまで心惹かれるのか、謎です(笑)

一般相対性理論もヒッグス粒子(ヒッグス場)も簡単なものではないはずですが、とてもわかりやすいイメージで紹介されていて、なんだかわかったような気がして楽しかったんですね、きっと。

現象はすべて数式で表せられるとする物理学者が、壮大な宇宙の誕生からミクロの素粒子まで、それに挑戦しているなんて…私にはまったくできないその世界はただただ、畏敬の念だけです。

そして完璧な美しい数式を求める物理学者たち。
対称性のある数式を美しいと感じ、美しい数式には涙まで流すという…ん~数式はわからなくても感覚的にはなんとなく…わかるような…気がする、なんて言うのはおこがましいでしょうか。
数式は単に数式ではなくて、何か強いエネルギーのようなものを感じるのです。私にとってはわからないものへの憧れです。

実は完璧に美しい数式は計算上、重さ「0」になってしまうということ。無限大∞という計算不能の状態になってしまい、この世には何も存在しないという、現実とはかけ離れた結果になった…というくだりは、ほんと興味深かったです。それをノーベル物理学賞を受賞した南部博士の「完璧な美しさは崩れる運命にある」という「自発的対称性の破れ」で解決したらしいのですが…私には理論はまったくわかりませ~~ん。

でも、完璧な数式だと生き物や物質が存在しないという不思議さに、なんだか「あなたは不完全だから存在しているのよ~」と言われているような気がして、いいんだ、不完全のそのままでいいんだ、私。と都合の良い解釈をしました(笑)

科学的に探求するといっても、目には見えない世界です。
天才たちがなぜ、瞑想したり東洋哲学に傾倒するのか、少しは垣間見られたような気がしました。

最新の超弦理論では物質の最小単位が点ではなく輪ゴムのような形らしい、とか、計算上この世は10次元でなければならないとかいう…どんなことなんだろう??きっとありえるありえると、私にとってはワクワク以外の何物でもないです。
でもね、やっぱり数式も理論もさっぱりわかりません(笑)

争いは「恐れ」の心から。

2013-08-06 23:42:43 | 日々の雑感
7月は更新しなかったのですが、色々と心の栄養をたくさんもらった貴重な月でした。

今日はヒロシマの日。そして父の命日。
原爆、戦争、核について…また、父の事を考える日でもあります。

戦争…戦いというのは、つきつめると個人の心の「ありよう」でしょう。
人の争う心のすべては「恐れ」からきているもの…
怖いから守ろうとする、守ろうとするから武器を持つ、相手がそれを脅威と感じると、相手も「恐れ」から逆に攻撃をしてしまう…負のスパイラルが起こっているような気がしてなりません。

攻撃をする人は、とてつもない「恐れ」の心と、自己否定があるのです。攻撃される人だけがしんどいのではなく、攻撃する人の心の辛さにも目を向けていかないと本当の意味の平和は難しいと思うのです。今の日本は平和ではあるのですが、個人レベルでの争いは多くあるでしょう。

いえ、でも人々の意識の変容は、じわじわ起きていると感じています。

7月末に、「降りてゆく生き方」が横浜上映だったので2回目を観てきました。
この映画は映画館では上映せず、希望した場所で上映されるもので、クチコミやボランティアで広がって、全国各地で上映しています。
4年目とおっしゃっていましたが、そこまで続いていることもさることながら、今回も会場は300人以上で一番前までいっぱいでした。

経済至上主義の「上ってゆく」生き方から、本来の人間のありのままな生き方にもどっていこうというメッセージがこめられています。
便利で簡単、なんでも安く手に入る消費生活…
やっぱり何かおかしいと気がついた人が増えているようです。

自然と対等の生き方は、争う必要がないのです。
すべて共存することだし、ゆだねることだし、自分がありのままでいいからです。
でも…都会でのそれは、ほんとうに難しい問題であるとは感じています。

「投影という考え方」~自分ワークショップ~

2013-01-28 22:52:37 | 日々の雑感
今月は心理学の勉強会がお休みなのですが、勉強会で行うワーク。いつも事例を考えて行ったりしますが、そもそも毎日がワークだと思って過ごせばなんだかおもしろそうですよね。
ということで、自分ワークショップとして「自分の中の無意識を知るには…」を考えてみました。

無意識は自分ではほんとうに意識できないわからない部分です。でも自分の中の95%くらいを占める部分。そんなにたくさんの自分をわからないなんて…わからないものは少しでも知りたいと思うのです。

体の働きも無意識です。内臓がどのように働いているのか、脳がどうやって指令をだしているのか、とかぜんぜんわかりませんよね。
それでも生命を維持してくれている…だから病気も無意識の中にあるものだと思います。

そのわからないものを知るために有効なのが「投影」という考え方だと思いました。
「今の自分に起きている現実は、すべて自分の中から映し出しているものである」と…すぐには理解しがたい考え方ですが、だからこそわからないものが少しは垣間見えるかもと…

そこで、ひとりワークショップは、日々の生活にこの「投影」をもって過ごしてみることにしました。
たとえば、目の前に、自分を罵倒している人がいるとして、それが自分の無意識の中から出ているのだ…と考えてみる…ん~自分の中にこんなひどいものある?映しているのだから、どこかにあるはず…と~考えてもやっぱりわかりにくいですよね。

でも実際わからなくてもいいんです。と~私は思っています。
わからなくても映している何かを真剣に考えるのです。いいとか悪いとかは考えないんです。
で、ず~っと自分の中を考えていると、相手が何を言ったとか、何をしたとかそんなことぜんぜん気にならなくなります。だって自分のわからない部分の方が気になりますもん。

なので、このワークはイライラにもききます(笑) 何かイライラする事が起こった場合、私のどこのどの部分が映ってるの??のほうにずっと意識を集中すると、気がついた時にはイライラしてないのです。
そう、これが本当のねらいです(笑)
それで、もし自分の中にあるものがわかったら、ただ、ただ認めてあげるだけです。
そういう部分もあるのね~と。

この無意識がすべての人やものと繋がっているといいます…というか最近では私は繋がっていると考えています。嫌いな人とも。 これがユングの「集合的無意識」です。

初詣の場所

2013-01-03 10:29:01 | 日々の雑感


明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


今年の初詣は行きたい神社があって、大晦日の夜に実家に行き、紅白の後、お参りの行列に並びながら、その神社で年越ししました。

なんで行きたくなったのか…
パワースポットが流行って久しいですが、自分の生まれたり育った場所というのは、自分にとってパワーがある場所…というのを何かで読んで、あ~あの場所…と思って、今度行こうと思っていたのがこの神社です。

子供の頃はこの神社のすぐ近くに家があったので、毎日遊んでいた場所です。
山や河のない都内に住んでいた私にとって、ここの神社に毎日見守られて育ったんだな~と。
どうやら室町時代からあった神社のようです。

ホントに久しぶりに行って夜だったし、遊具もなくなって周りの様子も変わっていたのですが、神社にある木(なんの木だろ?)を見たとき、あ~この木知ってる…と何かの思いが蘇ったというか懐かしい不思議な感覚がしました。すごいな、木って変わらないんですね。

なんで今まで行かなかったんだろう?今の家はその頃より少し離れてしまったのだけど、歩いてたいした距離ではないのに…
私にとっては、子供の頃とはいえ、あまりにも当たり前の場所で、しかも小さい神社なのでわざわざお参りする場所ではないような感覚だったのかもしれません。傲慢ですね。
きっと他のどの神社よりも温かく見守ってくれていた場所なのに…大事に思わないとね。
パワーもらいました。いい初詣ができてよかったです!



もういくつ寝ると・・・

2012-12-29 15:44:37 | 日々の雑感
2012年もあと数日ですね~

今年のふりかえりといえば、先ず「自由」を満喫したな~という事。
ブログも書きたい時に好きな事を…テーマもめちゃくちゃ(笑)
環境的にも自分の心も「自由」だったと思うんですよ。これでいいのか?なのですが…

相変わらず、天外伺朗さんの本を読んでいます。
読めば読むほどですね、もうすべてが「空」「無」でいいのではないかと。いい…いい…それでいい。

心理学者ユングの「集合的無意識」と物理学者デビット・ボームの「ホログラフィー宇宙モデル」は同じことをいっているのでは…と気づかれています。
そして東洋哲学に繋がっています。やっぱりすごい!すべて繋がっているのだと感じています。

自分が個と思うのは、意識の世界だけであって、同時に存在する無意識の世界は、すべて繋がっている…
だから嫌いな人の嫌いな部分も自分の中にあるし、目の前に起こる問題は自分の中の投影だという考え方もとても納得できるものです。だから許せない事など何もないのです。だって自分なんだから。

正しいも間違いもない、善も悪もない、究極には生も死もない…
般若心経の「色即是空」…科学的に解釈して下さり、難解と思っていたこの文言の一端が垣間見られた感じです。

私は性善説とずっと言ってきましたが、もうどっちでもどうでもいいような気がしています。人間は善も悪も、もともと持っているし、どれが善でどれが悪かは一概に言えないものではないかと思うのです。固定観念にしばられることはないのです。そもそも固定しているものなど何もないですから…

ここで出会えているみなさんとも必ず繋がっていることを実感しています。
なぜか自由なブログになってしまっていますが、来年も気が向いたらご来訪くださいませ。では良いお年を。

自由という感覚 2

2012-10-21 22:56:12 | 日々の雑感


あまりにも湖面が澄んでいて、反転加工したような画像ですが、リアルです…といっても長男撮影です…
クリックして大きい画像で見てみて下さい。



自由な感覚の続き…
これからさらに不思議さが加わった自由という感覚になっていくのでしょうか。

心理療法を学んでいると、必ず、「今ここの気持ち」を感じるということをします。
私はそれがやっと最近「くせ」になってきたようです。これが心が自由になるためのキーかなと思います。

今、天外伺朗(てんげしろう)さんの本を読んでいて、瞑想がよくでてくるのです。そういえば前から気になっていた「ヴィパッサナー瞑想」をよく調べてみたら、「今ここ」のみに集中する瞑想なのです。
あ、これ私やってると思いました。

「今ここの感覚を感じる」「スローモーション」「実況中継」ヴィパッサナー瞑想とはこの3つを柱とするそうです。

1日の内に、気づくと「今、どんな気分?」「体はどこがどんな感じ?」とそれに集中しています。長い時間ではないです。場所も時間も選びません。それに集中すると他の事を考えずにリセットした気分になります。

あと、スローモーション。そういえば、早く行動する事に価値を感じていた私ですが、最近では自然とゆっくりやっている事に気づきました。前は、家事をするときもバタバタ音をたてながら、家の中でも走るくらいに動いていたので、あの頃から比べればスローモーションです(笑)
でも、大抵の事は、ゆっくりやっても時間的にそんなに変わらないんです。

そのほかに、ヴィパッサナーでは、「自分の動きを実況中継のように解説」というのがあって、私はそれはしていませんが、これはたぶん、「今ここ」をわかりやすくするための技だと思います。
最初から何も考えずに「今ここ」だけをみつめるというのは、なかなか難しいものです。
必ず色々な煩悩が現れます。
私は、ヴィパッサナーを実践しようと思ってやっていたわけではないので、「今ここ」がくせになるまではだいぶ時間がかかっています。

私の場合、瞑想とまではいえないですが、なんだか自己流でも効果はある気がします。そしてこれを続けると周りの状況に感情が振り回されない事を実感しています。もっと不思議な自由を体感できるかもしれません。

先日の勉強会でのアサーション。とてもわかりやすかったので次回に。